アンダーグラウンド | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

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スウィングが揺さ振る罪悪と、やがて焙り出される業。
ループする悲喜劇。
映画の神が持ち回り制ならば、確実にこの時のエミールは選ばれていた。

何とあの『アンダーグラウンド』がスクリーンに還って来た!!!
15年振りの、しかもデジタル・リマスターで、である。
監督は当然エミール・クストリッツア(いつも思うんだけれど日本人には苦手な発音だね)。
1995年のカンヌでパルムドールを受賞している他、ここ日本でもミニシアターブームの中心になった作品だ。

個人的な話、90年代半ばから後半に掛けて、全く映画館から離れていた。
いや、映画は人一倍見てはいたのだけれど、それはTVでのロードショーであったりレンタルであったり・・・。今となっては何であんな一番美味しかった(所謂ミニシアター系が一番充実していた)頃を逃したのか後悔だけが記憶と共に胸の奥に沈殿しているのだ。
『アンダーグラウンド』もご多聞に漏れずレンタルで見たなー。当時はそれで充分満足はしていたけれど、矢張り今となっては“劇場に行けよバカ!”と若き自分を叱咤したいな。
と、言うのも、2000年代以降再び(高校卒業するぐらいまでは割りと映画館に行ってた)映画館に通う様になり、そんでもってここ近年で随分と“リバイバル上映”に味を占めた私にとって、“映画館で観る”事と“家で見る”事の圧倒的な差(それは大きな画面だの音響だのなんてレベルの話ではなく)に、今までの自分の“映画感”が随分と脆い物差しの上で成立していたんだな・・・との疑念が湧き上がってしまったからである。

さて、『アンダーグラウンド』。
お話は監督の祖国ユーゴスラヴィアの激動の50年を、圧倒的な映像と音に拠って現代の寓話としての映画へと昇華したもの。
濃密に愛し合い、時に憎しみ合う二人の男と一人の女。この映画の黄金のトライアングルを軸に、戦争が引き裂く人々や大地の悲しみと、それでも尚逞しく生きようとする様の喜びが渦巻く。
確かにこれは映画的な面白味に溢れた作品であるのに、どっからどこまでも規格外で、約3時間、そしてスクリーンと言う枠があるにも関らず、それこそ地下空間で騙され続けた登場人物同様我々観客は映画の世界に現実世界と切り離され引き摺り込まれっ放しである。
私は今回神戸新開地のアートヴィレッジセンターで観たのだけれど、あの地下空間で映画が終わった時、本当に地上に上がって3時間だけの時間経過で済んでいるのか甚だ疑問であった。
いや、これは大袈裟な話ではない。
映画館で映画を観ると言う行為はそれぐらいの感動と、それ相応の覚悟を伴い、だからこそ我々映画ファンは一度囚われると逃れられないのだ。

そう言えば、監督のエミールは今作でその評価と人気を決定的なものにしたものの、この内容が生んだ大騒動(描かれた歴史観や政治的描写への批判)に映画監督引退宣言まで飛び出しちゃったんだよね。あれは映画の時に人智を超える程の力を感じさせたな。
後に引退宣言は撤回したものの、この後の彼の作品は徹底してエンターティメントに振り切っちゃってますもんね。

しかし、これ、本当にね、その衝撃的内容(こんな話を誰がまともに成立させちゃえます?)だけでもお腹一杯なのにさ、役者陣のテンションもそれにも増しての音楽も、そんでもってあまりにリアルなカメラや美術(どうやって撮ってんの???ってとこ満載)だったり、黙示録的ヴィジョンと圧倒的な猥雑さのカオスっ振りとかさ・・・感性が下痢します!
今回改めて再見して印象に残ったのは効果的にインサートされる回転運動なんだけれど、あれが示唆するものとか考えてみると色々興味深いよね。



全国を再び興奮の坩堝へと誘っている本作、掛かるスクリーンを調べて是非巻き込まれて下さいませ。
物語はまだまだ続いているのである。