12月8日(木) ~「雅楽多や」の営業日です~
昨日は風もなく、温かい一日でした。
「雅楽多や」はお休みでしたが、夕方、思い立って「愛媛万葉苑」に行きました。
「雅楽多や」は、「一草庵」や「御幸寺」の南側になりますが、東側には、塀をへだてて「愛媛万葉苑」の庭が広がってています。
「愛媛万葉苑」は、昭和28(1953)年、護国神社境内に、御霊を慰めるために「郷土植物園」として造られたのがはじまりです。
その後、園内に万葉集の傑作「熟田津にぎたつの歌」の碑が建立され、それを契機として、一帯に万葉歌人の詠んだ植物を蒐集栽培し、昭和43(1968)年に『愛媛万葉苑』として開苑しました。
「万葉集」4516首の歌のうち約1500首に約150種の植物が詠まれています。
(説明板より)
よく耳にする歌にちなんだ「あかね」がありました。
天皇、蒲生野に遊猟する時に、額田王の作る歌
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る」
~紫草の生えている野、天皇の占有地であるその野を
行き来しながら、野の番人が見ないでしょうか、
見るでしょう、あなた(=大海人皇子)が
袖を振って私に愛情を示しているのを~
有名な歌(万葉集巻1-20)ですね。
額田王は、もともと大海人皇子(天智天皇の弟)の妻でしたが、天智天皇の妻となりました。
この歌に対し、大海人皇子
「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」
~紫草のように艶やかで美しいあなたを憎くく思うのなら、
人妻知りつつ、どうして私が恋をするだろうか。
今でもあなたのことを想い焦がれています。~
ストレートに言うと、「兄が弟から略奪婚」というできごとを経てもなお「思い続ける愛」となりますが、互いに中年になってから昔を懐かしむ酒宴での、しゃれの利いたやり取りであったという説もあります。
皆さんはどちらだと思いますか?
いずれにせよ、この時代の人々は、力強く生きていた気がします。
万葉集には、「防人の歌」など、庶民の歌も多く読まれていますが、どの歌も稚拙ながらも思いが伝わるいい歌だと思います。
そういう、古に生きた人々の歌と、その歌にちなんだ植物を眺めながら、紅葉の道を歩いてみませんか?
「愛媛万葉苑」は、護国神社の西側の「みゆき会館」の建物の横にあります。
中を歩いて奥まで行くと、「雅楽多や」のすぐ東側に出ますが、残念ながら塀があるため、出ることはできません。
(塀がなくなれば、素敵な散策コースになりますね)
「雅楽多や」へは、一度、道路に出てから橋を渡ってお越しくださいませ。
雅楽多や(がらくたや)
松山市御幸1丁目438、電話080-2987-1129
営業 木・金・土・日 11:00~15:00
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