もともと私はどちらかというとアジア派なのですが、ここ数年はよくヨーロッパへ行きます。
特別な理由がなくてもけっこう行ってしまいます。
まわりから「用もないのにいったい何のために?」と問われることも・・・。
私自身もふと、なぜ来てしまったのだろうと自問することもしばしばです。
絶景や絶品料理に惹かれるのももちろんですが、それだけで理由のすべてを説明しきれません。
便利さ、安全さなどは、むしろ圧倒的に日本に軍配です。
ただそこには日本にはない時の流れを私は感じます。
そこに惹かれているのかもしれません。
一言で表現するのは難しいのですが、とにかくそこへ行くとなぜか楽しくなり元気がもらえる気がするのです。時の流れにカラフルな色がついているような気さえするのです。
彼らも普通に生活をしているだけなのに、でも、いつもそれなりに楽しそうなのです。
彼らが楽しそうだと、行き会う私たちもついついつられて楽しくなってしまいます
なぜ彼らはそんなに明るくて楽しくふるまえるのか?
ところが訊いてみても私が納得できる理由はなにもないんです。
EUの危機が叫ばれている昨今、彼らは決して金銭的に恵まれているわけではありませんし、先行きが明るいわけでも決してありません。
私たち日本人のほうが、よほど恵まれているくらいです。
よくよく彼らの生活をのぞいてみると、どうやら彼らは日常の生活そのものを楽しんでいるようなのです
なにげない、人とのつながり、できごと、仕事、街の風景、四季の移ろい・・・すべてに何か楽しさを見出しているようなのです。
それはまるで時の流れそのものを楽しんでいるかのようです。
彼らにとって時の流れそのものがイベントでありエピソードなのかもしれません。
いっぽう合理的な私たちにとって、日々の時の流れは、イベントとイベント、あるいはエピソードとエピソードをつなぐ単なる退屈な待ち時間でしかないのかもしれません。
たまたまクロアチアで、宅配便の話になりました。
日本全国津々浦々、1~2日で届く宅配便があるだけでも信じられない様子ですが、彼らは時間指定の宅配便などこの世にありえないと言い張ります。
ただ、彼らはこうも言います。
「もしも時間指定の宅配便が可能になったとしても、あまり羨ましいとは思わない・・・かも。」
「なぜなら、時を早回ししてもさほど意味がないと思うから・・・。」
もしかしたら幸せは何気ない時の流れの中にもたくさん潜んでいるのかもしれません。
そして彼らはちゃんとそれを上手にキャッチしているのでしょう。
私たち(日本人)はきっと、その多くの幸せを見逃してしまっているのかもしれません。
もしも私たちも時の流れを楽しむ術(すべ)を身に着ける術(すべ)があれば、日本人ももう少し楽しく元気になれるかも・・・とそんなふうに夢想しながら足繁くヨーロッパに通うのかもしれません?!