ゲームアツマール様に投稿していた「愚か者がデスゲームを創った~ありがとう、さよなら~」という作品を昨日、復活させました。ともに沈んでもらおうかと思ったのですが、紹介していただいているので……。
作者なのに、分岐条件を忘れていました。
プレイしていて、作中でこういうことが言われていることに気がつきました。
「ゲームはなぜ、悪く言われるのか?」
これは私も常々思っていることなのです。私は暗黒時代、ゲームに逃避することでなんとか生きてきました。ゲームが無い世界に生まれていたら、命がなかったかもしれません。
ゲームに恩返しがしたい、と思いました。
けれど、現在ゲームをとりまく環境は変わってきています。まず、子供がプログラミングを学び、大会があることで親の意識も変わっているようです。次に高齢者施設でeスポーツが取り入れられています。
私がゲームを創る意味はあるのか、と考えました。私はゲームが好きですが、知能が低いので創る側には向いていないと思います。
でも、やってみたいことがいくつかあります。
以前、RPGツクールを使用して、図書館の紹介をしているゲームを見たことがあります。戦闘がなく、プレイすることで対象への理解を深める作品を創ってみたいです。
エーベルージュという作品と地球温暖化は関係があるので、温暖化を進ませないためにはどうすればいいか、といった風に教育(?)タイプのゲームもいいですね。
私が影響を受けたファミコンの「サラダの国のトマト姫」という作品からは、優しさを教わりました。子供時代、私はしかられてばかりでしたがサラトマ的な考え方をした時だけは褒められた記憶があります。現実は、人と人は分かりあえるものではないと理解しましたが(今更だな)子供の頃から、教訓を含む物語が好きだったので(悪いことをしたら、やり返される等)自分でも、ユーモアを交えながら何かを学べる作品を創りたいですね。
ゲームを悪く言っているのは、別に個人の自由ですが世代的なものもあるかもしれません。私は本を読むことも好きですが、本が悪く言われているのを見たことはありません。没頭しすぎてドライアイが悪化した時もあるので、何ごとものめりこみすぎない方がいいですね。
自己啓発を読むのも好きですが、自己啓発書を読むことを現実逃避と言う方もいました。創作で仕事をしている方に「創作とは現実逃避だ」と言って来る方もいるようです(未確認)
現実逃避、というのも私の中で大きなテーマなので(考え中のメンタリアル~絶望のゲーム~という作品も登場人物が全員、現実逃避をしている)何か作品を創ってみたいです。