「いやベースとか分かんないし」と断ったのですが、なんだかんだで色々やって、ギターに目覚めました。ただ、受験があったので本格的にやるのは大学に入ってからでいいかと思って、ある程度で抑えていました。
大学に入って、軽音楽部に見学に行ってみると、普通に、全裸のおっさんが焼酎を持ってたたずんでいたりして、うわ、、軽音ヤバいとこなんじゃ、、、と思って怖くなって、大人しそうなフォークソング研究会に入りました。
ここで出会った榎田という奴が凄い奴で、ピラミッドパワー、ポジティブシンキング、帝王学、フランクザッパなどを極めていて、見た目は可愛い感じのイケメンで女性にもモテて、友達感覚で付き合っていたけど常に尊敬の目で見てました。こういう人って、何が凄いかっていうと、聞き上手なんですよね。話してて凄く充実させてくれるというか、、、本人は我慢してる部分も多いのかと思います。そんなところに器の大きさを感じました。
フォークソング部を一年後に麻雀疑惑でクビになって、次にムードミュージック研究会という所に入りました。
ここは後にプロになるような滅茶苦茶上手い人から全然何も出来ないような人まで幅が広かったです。
大学卒業後は榎田の影響もあってMTRを使い、とにかく沢山曲を作ってインターネット上にアップロードしていきました。
当時の時勢もあるかもしれませんが、レッドツェッペリン風のサウンドに素人の女の子のボーカルを乗せるのが割とウケました。
そんな活動を気に入ってくれたMC狂太郎と出会い、ユニットを作りました。
MC狂太郎は作詞能力が異常で、素晴らしい歌詞を書けるので相当頭がいい人なんだろうなと思いました。サウンド的にはoasisみたいな感じでしょうか。マルチプレイヤーでしたが、自分とやるときはベース&ボーカルをやってくれました。
それと並行してMC狂太郎とのコラボだけでは息苦しいので、歌伴でもやろうかなと思って活動したharuka、、、今の妻です。
この人はボーカル能力は低いような気がしましたが、歌声にぐっとくるところがあり、特にビブラートが深くて古臭くて良かったんですよね、、、悩殺されました。
その後、割と忙しくて音楽活動ができなくて10年くらい間が空きました。
音楽活動はできなくても楽器いじりは続けていて、ある程度自分の理想的な楽器が作れたところで、でも楽器があっても演奏や練習の場所がないとな〜、、、あとは流れるようにHMC活動にハマっていきました。
HMC活動はジャズを基本としていたのに、主催者の自分としてはジャズ知識が全然なく、、、、
でも、やったもの勝ちというか、色々と参加者の皆様に教えてもらいながら、成長していけてるのかな、と思える気がします。
一人でやってたら全然何もなかったですからね。
まとめると、自分としては人との繋がりなんて全然重要視していなかったけれど、今は、結局それが全てだったのかなと思っています。
皆様、ありがとうございました。