録音芸術と舞台芸術とは異なった表現手段でありますから、
たとえば映画と舞台演劇は全く同じ観点から比較されるべきものではないし、
そもそも一方が素晴らしければ、もう一方はニセモノということでもないのですが、
ナゼか音楽再生の場合は生の演奏と比較されて、このように結論づけられることがよくあるのです。
これはもともとオーディオマニア自身が”原音再生”なる言葉を打ち立ててしまったことにも起因しています。プラトンの三角形みたいな話です。
我々は正三角形を知っているが、現実世界には物理的な制限(紙の凹凸とか)があるため、極限まで観測すればどこかに必ず誤差があり、これを実際に描いたり、目にしたりすることはできない。
本当の三角形はイデア界(観念上の理想世界)にだけ存在する。
「え~~?何そのイデア界って。そんなの存在しないじゃん」ってなりますよね?
小林秀雄が、生の音楽を追い求める五味康祐との対談でこんなことをおっしゃっていました。
「君、生の音楽なんてものはだねぇ。存在しないのかもしれないよ?生の音楽が存在するとしたらそれは聴く者の態度のことだよ。これから起こる出来事に期待する態度だよ」
オーディオから再生される音楽を延々と”生の音楽”と比較し続けるということは、
あたかもアキレスが亀に追いつくことができないのと同じく、
無限にその差異を探し続ける行為になりかねないと。
オーディオに生の演奏よりも優れている部分があるとするならば”今ここにいない人”の音を感じることができるということですから、自らの感性を、差異を見いだすためだけでなく、亀を追い抜くために活かせたらいいんですけどね。
申し遅れました。ダイナミックオーディオ企画室の佐藤です。
音楽を紹介するブログでございます。
とはいえオーディオを調整する場面では、なるべく電気的な加工のされていないアコースティックでできればマイクの少ない音源を基準にした方がやりやすいです。
たとえばこういう
L'Infidele: Lute Works/Eduardo Eguez









