信じる | 同志社大学ボート部公式ブログ

まだまだ寒い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。


いつもお世話になっております。

2回女子漕手の福原彩加です。


大学生になってから、幸せを感じる瞬間が多くなりました。

この頃、スマホやイヤホン、パソコンなどを充電する時によく幸せを感じます。

充電が切れると、その機器は全く使い物にならなくなります。壊れてもいないのに、、充電できることに感謝です!笑



ここから本題に入ります!

少し長くなりますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。


一年前の私は同志社大学ボート部に入学して、寮生活を送っているなどと、全く想像していませんでした。人生は何が起きるのか全くわかりませんね。分からないからこそおもしろいのだと常々感じます。


さて、突然ですが、「信じる」とはどういうことでしょうか。考えたことはありますか。私はこの疑問の答えに、まだ辿り着いていません。


広辞苑では、

①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う。

②自分の考えや判断が確実であると思う。確信する。

と明記されています。


あまりピンときません笑


「信じる」とはどういうことなのか、と疑問を抱き始めたのは、大学生になってからのことです。正しくは、ある時「自分を信じる」という言葉が印象に残り「自分」とは、「信じる」とは、と分解して考え始めたことが発端です。

「自分を信じる」という言葉は今まで何度も聞いてきましたが、ここまで深く印象に残ったのは今回が初めてです。なぜ、これほどまでに心に刺さったのでしょうか。恐らく、リハビリの日々が始まったことが原因だと思います。


高校時代の部活動で膝を怪我しており、昨年の12月に同じところを痛めてエルゴを漕ぐことができなくなりました。それから、予想もしなかった長いリハビリの日々が始まりました。エルゴを引けない、乗艇できない、陸トレのメニューができない現実、リハビリをしている自分、

全てを受け入れなければなりませんでした。

自分が他の部員と違うメニューでリハビリをして、なぜ復帰しようとしているのか。完全に復帰できるのか自信も根拠もないのに、、自問自答する日々です。


今まで、小学校4年生からずっと何かしらのスポーツをやり続けてきました。しかし、輝かしい結果を残したことは一度もありません。スポーツをすること自体は楽しかったですが、テレビなどで、自分と同じ世代の人がスポーツで活躍している姿を見てとても羨ましかったです。その人たちは想像を絶するような努力をしているのは分かっていだはずなのに、自分は上の世界に行けていないことを環境のせいにしていました。


中学の卓球部時代は、卓球未経験の人が顧問で、卓球経験者の部員などいませんでした。中学のハントボール時代も、ハンドボール経験のある顧問の先生が自分の代になった時に転勤となってしまいました。新しい顧問の先生はハンドボール未経験者で、ほとんど練習に姿を見せず、自分達でメニューを考え練習していました。部員の人数も1チーム作れるギリギリの人数で、試合を想定した練習もまともにできませんでした。弱小で、ほとんど勝ったことはありません。今思えば、努力が足りなかったから。ただそれだけです。


自分は結果を何も残していない、ということに心残りがあります。確かに結果が全てではなく過程もとても大切ですが、どこか結果を追い求めてしまいます。


このボート部には環境を言い訳にできないほどの設備があります。仲間がいます。過去に囚われてばかりではいけないのは分かっています。今をどう生きるか、です。


話は戻りますが、なぜリハビリを続けているのか、、

それは、結果を環境のせいにし、自分と正面から向き合わなかった自分を変えるためです。ここで諦め、逃げては自分に負けたことになります。


何度も自問し、何度も同じ思考回路を辿り、何度も同じ回答に辿り着きます。結局やるしかないのです。

やるってどうやって?

自分を信じて、前に進み続けるしかありません。でも、やっぱり信じるってどう言うことなのか、、、?


と言うようにループに陥ってしまいます笑



「過去の自分が今僕の土台となる」

これはある曲の歌詞の一部です。


過去に囚われてばかりではいけませんが、過去が今の自分を作っていることは確かです。その過去を受け入れ、目標に向かって進んでいくのみです。クヨクヨ考えている暇はありません!笑



自分の代わりは誰もいません。



自分を信じてあげられるのは、自分しかいません。



最後は、自分のために自分が動くしかないのです!!



「信じる」とは何か、からかなり脱線してしまいましたが、以上が自分が辿る思考回路です。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。