氷雪の門・樺太1945年夏 | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

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Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

先日、渋谷のシアターNにて、「氷雪の門」という終戦時における
樺太問題を扱った映画を観てきました。
 
氷雪の門・公式サイト
http://www.hyosetsu.com/index.html

作品自体は、1974年に制作されたのですが、
横やりが入ったために、一旦上映が中止となり、
長い年月を経て、社会の目に触れるようになりました。
 
そういったいわく付きの映画であったため、興味を持ち、
見たのですが、内容自体は予備知識なしに、すべて理解するのは
困難な状況でした。
 
wikiからストーリの概要を引用しますが、
8月15日、玉音放送によって終戦が告げられ、
樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されましたが、
8月20日のソ連軍の上陸掃討作戦開始まで間に合いませんでした。
  
志願して職場に留まり、そのために追い詰められた女性交換手達は、
通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、
自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなく、
九人の乙女の像にも刻まれた
「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉。
 
$道玄坂で働くベンチャー課長
(「氷雪の門」稚内市内にある慰霊碑)

$道玄坂で働くベンチャー課長
(同敷地内にある「九人の乙女の像」)
 
その詳細については、wikiで「真岡郵便電信局事件」という項目でまとめられています。
 
wiki「真岡郵便電信局事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 
この映画を観るまで、こういった事実すらあったことを自分は知らず、
驚きましたが、さらに驚かされたのが、シアターNの映画館の前に掲示されている投稿で、
特筆すべきは84歳と94歳の方からのものです。
 
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拡大画像
http://www.flickr.com/photos/49264719@N06/4890676975/
 
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投書の内容としましては、94歳の小川さんは、若干文字が読みづらく、
自分ではすべて判読できないのですが、、大正5年に樺太で生まれ、
父親が刑務所に勤務していたことから、その思いでを語られています。
 
また、84歳の成瀬さんは、つぎのとおりです。
 
「小生は関東軍の兵士として終戦直後、
北朝まで軍人家族の守りのため北朝鮮でソ軍に収容され、
約四年間収容生活をして今回の人々と同じ苦労をして
シベリアに行って来ました。映画は感じ同じ苦労を共にしました
(成瀬 一)」
 
今日は65年周年の終戦記念日。

シアターNにて、下記日程にて上映しておりますので、
お時間のある方はご覧ください。
 
シアターN・上映案内 
http://www.theater-n.com/movie_hyousetsu.html