サラリーマン・宮澤賢治 | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

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Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」などで
童話作家として有名な宮澤賢治。
 
彼は職業作家のように思われますが、
生前に得た印税は、たった5円の無名作家で、
自費出版によるたった二冊だけでした。
  
社会人として初めは、岩手県花巻にて、
教員として過ごし、給与面でも優遇され、
安定した生活をしていました。
 
しかし、5年後、農民への願望が強くなり、
花巻農学校を退職します。
 
彼自身、ハイカラで進取の気性に富んでいる面があり、
丸善で洋書を取り寄せたり、外国の輸入レコードを
聴いたり、上京して、エスペラント語や、
チェロ、オルガン、タイプライターなどを習い、
歌舞伎座を見学したりしてました。
 
実際、作家願望はあったのですが、思うように
実現できずにいたのです。
 
彼は最終的に、東北粉砕工場にて、
技師兼サラリーマンとして働き、
各地を営業活動しながら奔走していきますが、 
しばらくして病に倒れ、37歳にして亡くなります。
 
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
 
知れば知るほど、彼の複雑な人生が浮かび上がってくるのでした。
 
「願望が 迷いさまよふ 人生も」シチョウアタリ 
 

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