東京バレエ団と佐々木忠次 | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

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Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

「日本にこれまでになかった世界的な
 バレエ団を作り上げるんだ。そう決意したとき、
 ぼくは三十歳だった。」 
 
佐々木忠次『闘うバレエ』冒頭の一説。
 
もともとバレエは、ヨーロッパにおける貴族・宮廷文化。
 
体型を考えると、その差は歴然ですが、
「白鳥の湖」をはじめとする
アンサンブル(集団演技)であれば、
勝ることができると、彼は考えました。 
 
彼が運営する東京バレエ団では、 
設立当初より、民音(民主音楽協会)
資金提供があり、軌道を乗せる力に。
 
そして、彼は民音に、本物を日本人に観せようと、
世界一級のバレエ団の招へいをもちかけ、
それが、「世界民音バレエシリーズ」として、実現しました。
 
東京バレエ団は、いく人もの振付師と接触するなかで、
フランスのベジャールが、「ザ・カブキ 」をプロデュース。
  
その出来は、ベジャールが、その通し稽古の最後の場面で、
感動のあまり、稽古場で泣いていたほど。
 
その後、各地を巡業し、86年、ついに、
パリ・オペラ座で公演するまでに至ります。
 
しかも、それは、パリ・オペラ座における、
数十年振りの外国バレエ団による公演。
 
その後、ベジャールは、「 」という、
三島由紀夫をモチーフにした
ストーリー性のあるバレエを作成。
 
」も、ヨーロッパで反響が大きく、
宇宙大の観点から、三島由紀夫が眺められていると、
賞賛されていました。
  
佐々木氏は、巻末のエピローグで、こう語っています。
 
「感動するのはただひとつ、観客とまったく同じように、
舞台そのものに感動するということだけなのだ。


(中略)ぼくが設立したんだなどという感動はない。
ただ、観客のひとりとして、すごい舞台に感動しているのだ。


自分と同じような感動を観客にも味わってもらいたい。
日本の、そして世界の観客に、世界一流のバレエ団の舞台を、
その感動を味わってもらいたい。


それが東京バレエ団に託した、ぼくの夢だった」
 
この本を読んで、より一層、自分は、
バレエが好きになってしまったのでした。。


闘うバレエ―素顔のスターとカンパニーの物語 (文春文庫)/佐々木 忠次
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