「美しいすみずみまで届く純粋な音、
身体の中から出てくる光った音、
心の奥深くにある人間のあらゆる感情を
表現することのできる多彩な音色を求めて、
それを来る日も来る日も追いかけていきたい」
梯剛之『いつも僕のなかは光』のエピローグ。
現在、プロのピアニストですが、
一時、かなり話題にもなったので、
ご存じの方も多いと思います。
特に、2000年のショパンコンクールでは、NHKにより、
ドキュメンタリー「心の音で奏でたい~ピアニスト梯剛之~」が放映。
自分も当時、高校3年で、寮で友人と観ており、
テレビを観ながらその友人が、こういうのです。
「小さいとき、彼とよく一緒に遊んでたんだけど、
まさか、こんなになるとはね」
「彼の母親が偉いんだよね。いつも脇に付き添って」
彼と一緒に遊んでいたということも驚きでしたが、
彼の母親が偉いという意味が、その時は、
よく分かりませんでした。
しかし、この本を読んで、非常に納得しました。
実は、その友人も親が外交官兼任で、
IAEAの仕事をしているため、
家が、IAEA本部のウィーンにあり、
超本格派のクラシック好き。
CDに関しては、自分も何枚か持っており、
一度は、彼のコンサートにも行きました。
協奏曲がメインでしたが、アンコールでソロ演奏があり、
音の綺麗さに、心が洗われる気持ちでした。
彼には、かつて紹介した「どんぐりの家」
のような、
悲壮感的なものがまったくなく、
障害は個性だといいますが、彼の場合、
文字通り、全盲であるがゆえに、
他のピアニストにはない、音の美しさがあります。
全盲である以上、当然苦労はあると思いますが、
彼にとっては、「見る」こともごく普通だといいます。
「人の感動と、僕の感動できる心のタイミングが
一致した時、そこに風景を感じ、郷愁を感じることが
できたのでした。そんな時、僕も一緒に風景の
美しさに喜び、一緒に"きれいだな"と思えるのです。」
彼の美しさは、演奏だけでなく、上記の通り文章も、とにかくきれいで、
ピアニストだからというのではなく、彼の心の美しさと感性によるもの。
文学作品としても、十分価値があると思います。
そして、日本についてはこう語っています。
「日本では、誰も聞いていないゴミのような音が、
人間を追い立てて、必要以上に忙しくさせているのでは
ないかと思います。憩いの場で音が大きすぎると、
人が疲れてしまいます。もしかしたら今の日本で
みんなにイライラがたまり、人の気持ちがすさむのは、
音も拍車をかけているのではないかと僕は思っています。」
ピアノって、こんなにも人生を
豊かにしてくれるもの何ですね。
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