彼自身、当時の最年少記録を更新し、
目的は果たしたわけで、正直なところ、
あまりにもしんどいので、
もう二度と、ヒマラヤには登りたくないという
気持ちであったといいます。
しかし、帰国後の記者会見で、
「次はいつ登りますか?」という、
予期せぬ(?)質問に、まさかもういかないとは言い出せず、
その場の即興で、ヒマラヤのゴミの清掃活動をしにいきますと、
答えてしまったというのです。
その後、何回にもわたって、
ネパールに行き、ヒマラヤの清掃活動を行うのですが、
それには、様々な困難が生じました。
ネパールは、インドとおなじく、
カースト制度が現代も残っており、
ポーターであるシェルパ族は、
位的には、中の上ぐらいであり、
そのゴミを拾うという行為は、
下級にひとが行うことであり、
自分たちは絶対にゴミを拾うために、
登山はできないと拒んだといいます。
それを彼は、何とかして、説得し、
清掃活動が行えるようになったといいます。
現在では、シェルパたちも意識が変わり、
自分たちが清掃活動をしていることを
誇りに思っており、自発的に、
野口健がいなくても、定期的に行っているとも、
言っていました。
一応、ゴミ拾いといっても、
街中のゴミ拾いとは全然違い、
それこそ、数百キロ、数トンという単位の
ゴミの量になるのです。
清掃活動による困難はそれだけでなく、
彼は、日本隊が過去に残していった
ゴミを回収し、日本に持ち帰ったわけですが、
彼は、世間に対する認識を高める目的もあり、
それらの展示を行ったのであります。
それが、日本の登山会から猛反発があり、
野口健がそれらを持って帰ってきたがゆえに、
過去の登山隊が残していったことが、
暴露され、汚名を着せられたというのです。
日本の登山会を詳しくは知りませんが、
よく言えば、伝統的であり、
悪く言えば、閉鎖的、権威的な組織であるといえます。
野口健などは、登山会からは、
完全にのけ者にされており、
世間が彼の活動、実績を評価し、認めているため、
登山会としても、容認せざるを得ない状況にある気がします。
いつの時代においても、
先駆者に批判はつきものなのでしょうか。
今後の彼の活動に、注目していますし、
自分もただ傍観しているだけでなく、手足を動かして、
もっと現場に関わっていきたいというのが、
自分の率直な思いだったりします。