半年ほど前、自分は野口健講演会に行きました。
TOKYOFM、アースコンシャスアクトという企画で、
コスモ石油がメインスポンサーで、毎年開催されているみたいです。
会場は、渋谷CCレモンホール(旧渋谷公会堂)でした。
野口健に関しては、それまでにも何冊か本を読んでいたため、
ある程度は、どういう人物か分かったつもりでいました。
開始定刻になると、スーツをまとって、おもむろに、
壇上の脇から、現われました。
一旦、口を開くやいなや、
会場は一気に彼の勢いにのまれ、
野口節といいますか、いわゆるマシンガントークで、
完全に聴衆は、彼のペースに乗せられていました。
本で読んでいたかぎりでは、破天荒な性格のイメージが
あったのですが、実際に話を聞いてみると、
精神的にも、非常に成熟した人物であると感じました。
エベレスト級の山に登るときは、
本当に生死の境をさまようわけで、
登山家たちは、山で、多くの死と直面することになります。
それは、過去に遭難した人が、
そのままの状態で、凍ったまま残っていたり、
一緒にいったクルーが、死ぬこともしばしあります。
そういった環境においては、
誰人たりとも、死から例外はなく、
常に非常な緊張感の中で、登り下山しているわけであります。
彼は自身の体験を踏まえながら、
ユーモラスにそれらを語っているのですが、
日常、安全で死から遠い生活をしている自分たちにとっては、
想像でとらえるしかなく、本当に実感をともなうには、
実際に、それらの山に登頂するよりない気はします。
通常、エベレスト級の山の場合、
1ヶ月ぐらいかけて、挑戦するわけですが、
彼自身も、山に入って、1週間ぐらいすると、
野生化してくるというのです。
それは、人間性を失うという意味ではなく、
生きるか死ぬかという、緊迫感の中で、
ちょっとした音にも、予兆を感じなければならないのです。
それはつまり、雪崩(なだれ)にしても、
かならず、事前に音が発生するわけで、
それらを聞き分けようと、五感が研ぎ澄まされた状態でなければ、
危険なのであります。
アフリカのサバンナに生息している野生動物が美しいのも、
それは、絶えず生きるか死ぬかのところで、
必死に日々を生き抜いているからこそ、
毛並みにもツヤがあり、鋭い表情をしているわけであります。
しかしながら、動物園にいるライオンは、
骨抜きされた状態で、百獣の王とは、
到底呼べない状態にあります。
余談ですが、個人的には、動物園というものは、
好きではなく、研究目的、保存、
繁殖目的もあるのでしょうが、
動物の生きる権利というものを考えると、
せめて、サファリパークのような形態をとるべきであり、
動物園は、極論すれば、人間のエゴに思えてしまうのです。
動物園ももとをたどれば、詳細は知りませんが、
おそらく、ヨーロッパ人が、新しい地域(アフリカ・南米など)を
探検しにいったときに、珍しい動物が生息していて、
それらを母国の人に見せるために持って帰ったのが、
始まりではないかと思うのです。
そんなこんなで、講演会は続きます。