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~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

(前回からの続き)

ボーリングを終えた我々一行は、ヘロヘロになりながらも飲み会の会場となる松戸駅まで電車で移動した。

しかし優勝者のTさんは都合が悪く、飲み会はパス。

さらに飲み会からもう2人参加する予定だったのだが、2人とも急に来られなくなり、結局、ヘロヘロの3人だけで松戸駅西口のSくら水産に入った。(ヘロヘロなのは私だけだったかもしれないが…)

時刻は18:30。

しばらく飲んで食べてしゃべっていると、別の生徒から「今から行きます」との連絡が。

最初からいたヘロヘロメンバーの1人が入れ違いで帰り、再び3人で飲み始めることになった。

ここで20:40。

この後、なぜか私の学生時代の友人から「今松戸にいるから飲もう」との誘いがあり、流れで無理やり合流させた。

学生時代の友人と、私の生徒2人。

なんとも妙な気分だったが、その後1時間半近く飲みながら、余計な暴露話にはならず内心ホッとしながら飲み会が終了。

日頃、運転代行ではお客さんはみんな酔っ払いだが、たまには自分が酔っ払うのも良いものだ。

生徒達も日頃のうっぷんは晴らせたかな?



昨日は私の教室の生徒達と懇親会をした。

二部構成で、一次会は「ボーリング」、二次会は「飲み会」だった。

私の英語教室は主に大人を対象としているからこういう飲み会を企画することがよくある。

ボーリングを企画するのは初めてだが、まあ、私が発作的に突然ボーリングをやりたくなったので、無理やり生徒達を巻き込んだ形と言えなくもない(笑)

私は指の関節が太いため、ボーリング場にあるボールでは、どうしても重いボール(14ポンド~16ポンド)しか指が入らない。

昨日のように3ゲームも投げると、手も腕も脚も腰もダルダルのヘロヘロになる。

兼ねてから指穴が大きくて軽めのマイボールを作りたいと思っているのだが、マイボールを手に入れる程上手い訳でもないし、頻繁にボーリングをする訳でもないから、結局いつも思いとどまってしまう。


会場はS京成線のTきわ平駅の目の前のボーリング場だった。

参加者は私を入れてわずか4人。

一応、優勝者にはゲーム代と靴代を免除するというエサをまいたのだが、まあ、場所と内容を考えればよく集まった方か。

今回の企画のように参加者の実力がバラバラで不透明な時にはスコアで競うのは不公平になる。

そこで、1ゲーム目の自分のスコアから2ゲーム目の自分のスコアを予測し、一番近い数字を出した人の勝ち、ということにした。

同様のルールで3ゲームまでやったが、なかなか当たらないものだ。

私は予測した2回とも15ポイント程外れた。(具体的なスコアは言わない、いや、言いたくない(笑))

結局優勝者は最年長のTさんだった。
おめでとう!

この後、4人とも想像以上に疲労困憊したまま(笑)、二次会の飲み会へと移動したのであった。

(続く)


笑顔というものは人から人へ伝染するチカラを持っている。

相手が笑顔だと、こちらもつられて笑顔になってしまうことがある。

一旦笑顔が出ると、それまで自分を支配していた「緊張」「不安」「嫌悪」「無関心」「苛立ち」など、あらゆるマイナス感情が緩和される。

緩和されるどころか、時には「リラックス」「好意」「安心」「好奇心」「爽快感」などのプラス感情にすっかり変化してしまうこともある。

人に教えることを生業にしているからには、自分の笑顔で相手を笑顔にさせてやれるようでなければならないと思う。

しかし、これがなかなか思うようにいかない。

英語教師の私ではなく、ドライバーの私ならこれができるのだが…

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運転代行の仕事は、サービス業と言える。

代行で呼ばれて行った先の居酒屋のおかみさんやお客さんが無愛想な時、私の中で「勝負」が始まる。

この無愛想なおかみさん(あるいはお客さん)が、私の笑顔につられて笑顔になったら私の勝ちだ(笑)。

逆に笑顔にさせられなかったら私の負け。

笑顔で勝負して勝つと、相手も気持ち良いだろうが、私も気持ち良い。


これと同じことを、本業の英語教師として、なんとか取り入れたいと常々思っている。

しかし、発音を練習したり、文法を理解しようとしたりする生徒の顔は真剣だ。

時にはホッとさせてあげる為に笑顔を送ってやることもあるが、基本的には英語を学ぶというのは真剣でなくてはならないと思う。

上手な発音を身につけたり、正しく文法を理解したりするのは、生徒自身が自力でやらなくては意味がない。

教師が笑顔でホッとさせてやれば上達するという訳ではない。

生徒が一人になった時に自力で英語学習ができるようにさせてやるのが教師の務めではないだろうか。

まるで「あしたのために・その7(孤独との戦い)」を矢吹丈に分からせようとする丹下段平みたいだ。(←分かるかなぁ…)


リングに上がればボクサーは孤独だ。

コーチもセコンドも、ボクサーが一旦リングに上がってしまったら、もう助けてやることはできないのだ。

そこは真剣勝負の世界であり、コーチもセコンドもただ見守るしかない。ましてや笑顔が助けになる訳でもない。

同じように、英語を使う時には生徒は孤独になる。

たった一人で相手とコミュニケーションをとらなくてはならない。

教師がいつもそばにいて助けてあげられる訳ではないのだ。


運転代行のようなサービス業では基本的に笑顔が武器になるが、英語教師のように人に教えるような仕事では、笑顔はあくまでも補佐的な、しかも一時的な助けにしかならないことが多い。

もちろん補佐的でも一時的でも、笑顔が生徒を救うことがあるのも事実だ。
しかし、指導のメインは笑顔ではないだろう。

それでも、人の心を和らげる笑顔は、どうにかして授業に取り入れたいというのが本音だ。

きっと笑顔をうまく取り入れている教師もいるのだろう。

笑顔と厳しさのバランスは、いつだって難しい。