いばらのない道 | ~俺もないけど心配するな~

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デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

人は、人生の岐路に立たされた時、いくつかある進路の中から、なるべく「いばら」のない道を選ぼうとする。

誰だってそーする。

私もそーする。(形兆兄貴じゃないぞ)


しかし、考えてみれば、「いばらのない道」などはあり得ない。

人生において、どの道を進もうとも、必ず、多かれ少なかれ、「いばら」には遭遇してしまうものだ。

仮に、目の前に、「右」「真ん中」「左」の3本の道が選択肢として存在しているとしよう。

岐路に立たされた時、うすぼんやりと、それぞれの道の先にどれほどの「いばら」があるのか、誰でも感じ取ろうとする。

ところが、ここで人は、2つのタイプに分かれるように思う。

1つ目は、「いばら」があることを覚悟するタイプ。
2つ目は、「いばら」がないことを確認するまで進まないタイプ。

言うなれば、前者には「覚悟」があって、後者には「覚悟」がない。


「覚悟」があるタイプは、きっと、「どの道を選んでもいばらはつきものだから、とにかく、ある程度の希望を持てたら、1本選んで、進んでみよう」というように、ガンガン進んでいくことができるのだろう。

例えば、真ん中の道を進んだとしよう。

進んでいく先に「いばら」を見つけても、そんなものはあって当たり前。多少、かすり傷を負ったくらいでは、なんともない。

歩き方も、最初から「いばら」があることを想定しているから、とても慎重だし、仮に「いばら」で傷を負っても、その対処も万全だ。

それよりも、「いばら」じゃないところにイイ物を見つけた!

泉が湧いていたり、チョウチョウが飛んでいたり、小鳥がさえずっていたり、きれいな花が咲いていたり!

いばらよりも、そういう、「思いも寄らないプラスのもの」に目が行って、それらを発見して幸せを認識することができる。


しかし、「覚悟」がないタイプは違う。

仮に、右の道を選んだとしよう。

慎重に選んだはずの道には「いばら」がないと思い込んでいる。

だから、歩き方もかなり無防備。

辺りに見える泉やチョウチョウや小鳥や花などは、あって当たり前、特に感動もなにも感じやしない。

ところが、無防備にるんるんとスキップしながら歩いていると、思いがけず「いばら」が身体をかすめる。

ほんのちょっとしたすり傷なのに、覚悟がなかった分だけ大騒ぎ。

「うおぉぉぉ! イッテ~!!! なんだよ、おい、最悪だよ、死んじゃうよ~! くっそ~、あっちの道に行っておけば良かった、マジで! もうだめだよ、この道、イヤだよ~! もうヤダ、もうヤダ、もうヤダ!!!」


・・・周りから見れば、「そんな程度のかすり傷でヒーヒー言ってんじゃないよ」とあきれてしまうくらいだが、本人にとっては、「いばら」という「思いもよらないマイナスのもの」に目が行ってしまい、すっかり前へ進めなくなってしまっている。


「覚悟」がある人は、「マイナス」よりも「プラス」に目が行き、
「覚悟」がない人は、「プラス」よりも「マイナス」に目が行ってしまう。

「覚悟」がある人は、多少の困難でも乗り越えて進んでいけるが、
「覚悟」がない人は、ほんの少しの困難でも前へ進む力を失ってしまう。


前回、「幸福」も「不幸」も、自分の「認識」しだいだ、ということを書いた。

その認識も、何かを始める最初の時点で「覚悟」を持つか持たないかで違ってくるのではなかろうか。


去年の震災から、私も含め、日本中が意気消沈してしまったところがあるが、これから、どんな道を歩いて行こうとも、少なくとも自分だけは、「覚悟」を持って進んでいきたいと思う。

「覚悟」を持つことが、「幸福」を認識することにつながるのだと、思う。