南三陸町へ行ってきた(3) | ~俺もないけど心配するな~

~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ


<前回の続き>


7月22日の朝7時頃に古川の街を出発した私達は、8時30分頃には南三陸町に到着した。

途中はのどかな田園地帯だったが、次第に山道に変わり、そのうち、破壊された自動車がひっくり返っている光景を目にした。

私:「あの車、ここまで流されてきたのかな?」

K氏:「たぶん、そうじゃないですか?」

そういうやり取りをしている間にも、私の運転する車はどんどん海の方、つまり、被害の大きいエリアへと進んだ。

廃棄された自動車がきれいな列となって並べられている光景もあり、「ああ、ここは処理された後なんだな」と納得したりした。

しかし、すぐに、道の両端がすっかり開けた空間となり、建物の瓦礫や木材などがその空間にめちゃくちゃに放り出されたような風景が目に飛び込んできた。

道路は、自動車が通行するには問題がない。

しかし、道路のすぐ横は、もはや、人間が足を踏み込んだり、ましてや生活したりできるような空間ではなかった。

そういう光景に言葉がつまりながらも、私達は、とりあえず南三陸町防災ボランティアセンターを目指した。

携帯の助手席ナビは、「志津川駅」をゴールに設定しておいたが、目的地はボランティアセンターのある「南三陸町スポーツ交流村」だ。

途中、車を路肩に停めて、紙の地図でボランティアセンターの場所を確認。

山をぐるっと回るように行かなくてはならないことが分かった。

そうして、ようやく南三陸町ボランティアセンターに到着した。

広い駐車場があり、既にたくさんの車が停められていた。

軽く100台以上はあるだろうか。

私達は駐車スペースを見つけて車を停め、作業のための身支度をした。

外は、22度くらいだろうか。少し涼しい。

このボランティア活動のために購入しておいた「安全ブーツ」と「カッパ」を装着し、さらに「昼食用の食料」と「ゴム手袋」と「防塵マスク」をバックパックに詰め込み、日焼け止めクリームを顔に塗った。

受付のテントを見つけ、中で用紙に名前を書き終えると、早速、スタッフの女性から指示があった。

女性:「お車をお持ちですね。お二人は一緒に来られたのですね。では、物資仕分けの作業をお願いします。」

私達:「はい、わかりました。」

女性:「物資仕分けは、ここから離れた『歌津中学校』というところでやっています。」

そう言いながら、女性は地図で場所を示した。

メモを取りながら、私達は歌津中学校の場所を確認し、頭に記憶させた。

女性:「作業の指示は、向こうで出されます。既に3人のボランティアの方々が向かっているので、合計5人での作業になります。作業は午後3時過ぎまでだと思いますが、4時までにはここに戻って来て下さい。」

おそらく、ボランティアセンターの業務が午後4時までなのだろう。

私達は再び車に乗り込み、歌津中学校へ向かった。

車で移動すること、約15分。

漁船が内陸まで押し流された光景が飛び込んでくるのを横目に、私達は歌津中学校に到着した。

物資仕分けの作業は、瓦礫撤去のような重労働ではなさそうだ、とK氏は私に教えてくれた。

~・~・~・~・~・~

今回のボランティア活動に対する私の基本スタンスは、「絶対に無理をしない」というものだった。

そもそも、ボランティアとは、私の中では「ゆとりの範囲内」で行うものだという考えがある。

自分を犠牲にしたり、ゆとりの範囲を超えたりしてまで人のために働くというのは、私には受け入れられない部分がある。

だから、私の中でのボランティア活動とは、「人のため」というよりも、「自分の満足を満たすため」と言える。

「情けは人の為ならず」という言葉があるが、あれと同じだ。

「ボランティアは人の為ならず」というのが私の基本的な考え方だ。

だから、「頼まれれば何でもやります」という気持ちがある一方で、自分の体への負担が大きいと判断した場合は遠慮なく力を抜いたり、断ったりするつもりでいた。

瓦礫撤去のような、慣れない重労働を覚悟していたが、もし午前中で疲れ果てた場合には、帰りの運転のこともあるので、午後は作業をせずに帰ってこようとさえ思っていた。

そういうわけで、物資仕分けという仕事を割り当てられたのは、まあ、私にとっては好都合だったと言える。

~・~・~・~・~・~

さて、歌津中学校の体育館に到着すると、そこには、徳島県からの役人さんが2人派遣されていた。

体育館の中には支援物資が並べられており、地元の被災者たちが物資を求めてここまでやってくるのだ。

役人さんの指示に従い、私達は作業を開始した。

とは言え、被災者の人たちが来なければ、私達の仕事も始まらない。

震災から4か月近く経っており、最近では物資を受け取りに来る人の数も頻度もずいぶん減ったという話だった。

仕事の内容はいたってシンプル。

パンと牛乳と野菜ジュースを、被災者1人に1個ずつ、そして2リットルのペットボトルのお茶と食塩袋を1世帯に1つずつ、袋や箱に入れて渡して行くのだ。

それ以外の物資を希望する人は、そこにあるものならば何でも受け取ることができる。

ただし、仮設住宅に入居した人は、水以外はもらえないそうだ。

物資の中には、ふとん、おむつ、洗剤、電池、タオル、虫除けスプレーなど、様々なものがある。

午前は10時から12時までの2時間のみ、午後は1時から3時までの2時間のみ、窓口が開いている。

ボランティアメンバーは、私とK氏以外に、あと3人いるはずだったが、どういうわけか、あと2人しかいない。

10時になってもあと1人が現れないので、仕方なく4人だけでやることになった。

しかし、仕事を始めてみてすぐに分かったのだが、この仕事に4人も必要はない。

1人か、せいぜい2人いれば十分に回せる仕事量だ。

恐らく、最近になって需要が減ったのだろうが、同時にたくさんの被災者が窓口に押しかけた時のことを想定しているのだろう。

結局、そのような事態にはなることもなく、体力も全く消耗することもなく、淡々と午前の2時間が過ぎ去った。



<続く>