〈前回のつづき〉
前回まで、自分をコントロールするには、「力を入れる」と「力を抜く」をバランスよく行うと良い、ということを書いた。
しかし、今日はもう一歩踏み込んでみよう。
人間、スポーツでも仕事でも勉強でも、一旦夢中になれば、自然と「力」が入ってしまうものだ。
ところが夢中になりすぎて、力が入りっ放しになっている自分自身に気づかないこともある。
自分は平気でも、少しずつ、身体への負担は増えてくる。
すると、自分が意識するよりも先に、大抵は「身体」が反応する。
それは、ちょっとしたサインから始まるから、なかなか気づけなかったりする。
軽い咳だったり、肌荒れだったり、肩こりや頭痛だったりする。
そういうサインが出た時に、(特に代謝が落ちる20代後半以降の人は)自らグッと「ブレーキ」を踏まなくてはならない。
これは、「アクセルを緩める」という消極的な減速ではなく、自ら「力」を入れて行う積極的な減速である。
前回までに書いたことは「力を入れる」と「力を抜く」で自分をコントロールするということだったが、「ブレーキを踏む」というのは、言うなれば推進力を抑える方向に「力を入れる」ということだ。
「力を抜く」は自然にやれば良いが、それだけでは車は思うように止まらない。
自分の求める適切なスピードを維持したり、的確な場所で止まるためには、自分の意志で「ブレーキ」を踏まなくてはならない。
ところが、「ブレーキを踏む」というのは、「力を抜く」こと以上に難しい。
なにしろ、「力を抜く」には力は要らないが、「ブレーキを踏む」には力が要るのだ。
車を作る際、「アクセル」と「ブレーキ」では、どちらの方が「力」が強くなくてはならないだろうか?
当然のことながら、アクセルと同じくらい、あるいはそれ以上にブレーキの力も強くなければ、車を制御することは難しい。
ところが、何かに夢中になっている時、人は「ブレーキ」に力を使うより、「アクセル」に力を使いがちだ。
なかなかブレーキは踏めない。自分でわかっていても、なかなか踏めないのだ。
ブレーキを踏むために必要なのは、「理性」や「忍耐力」と言えるだろう。
自分の好きなことや楽しいことでも、休まずに続けていればそのうち身体が「オーバーヒート」のサインを出す。
嬉しい気持ちや楽しい気持ちを我慢して、「ここで休む」と決めるのは「理性」だ。
あるいは、仕事のやり過ぎで、前述したような身体のサインが現れても放っておけば、当然症状が悪化したり別の症状が現れてくる。
とは言え、楽しくはないが仕事は休めない、自分の代わりはいない、などと言ってそのまま仕事を続けていれば、本当に身体を壊してしまう。
そうなる前に「休む」を選択するのは、「忍耐力」だろう。
自分が「休む」ことで仕事に遅れが出たり、周囲の人達にも迷惑がかかったり、自分への評価が下がったり、収入が減ったりする。
そう考えてなかなか休めないという気持ちは分かる。
しかし、そういう気持ちを「我慢」して、今ブレーキを踏まなければ、仕事そのものができなくなるくらいに身体を壊すことになりかねない。
一時的に仕事がたまったり、周囲の人達に迷惑がかかったり、自分への評価が下がったり、収入が減ったとしても、その一時的な状態を「我慢」して受け入れて休めば、体調が回復してからでも挽回できるのだ。
「理性」や「忍耐力」が未熟だとブレーキは踏めない。
子どもがそうだ。
子どもはたいてい、理性も忍耐力も未熟だし、加えて体力的にエネルギーが有り余っている。
だから子どもは走りたがるし、なかなか止まらない。
小学校の通学路では、子どもは急いでいるわけでもないのに走る。
子どもはブレーキを踏む必要もないし、踏みたくもないから走るのだ。
しかし大人は違う。
大人は、ブレーキを踏めないと自分を壊してしまう。
オーバーヒートを起こすか、またはスピードを制御できずに障害物に激突してしまう。
自分をコントロールするには、ブレーキを適切なところで踏めるよう、「理性」と「忍耐力」を鍛えることが肝要だと思う。
〈つづく〉