今日は立春です。いつもより一日早いかと思いますが、立春という言葉を聞くと、なぜかほっとします。たいして寒さに耐えたわけでもないのですが、日本歌曲の早春賦の心境です。
春は名のみの風の寒さや。谷のうぐいす歌は思えど、時にあらずと声も立てず。
もちろん、まだうぐいすは鳴きません。でも私は最近、うぐいすの夫婦をこの目で見ました。裏庭の木の枝にかけてある小鳥用の餌籠に入れてあるリンゴなどの皮や芯を食べに、ヒヨドリなど大きな鳥も来るのですが、たまにうぐいすと思われる小さな小鳥が2羽やってきます。栄養付けて春になったらいい声で鳴いてね、と思いながら見ています。

例年より遅いめですが、スイセンがたくさん咲いてきました。
最近見たテレビドラマ「ミステリーというなかれ」の劇場版の放送は、なかなか印象的でした。実はこの映画を映画館で以前に見ているのですが、2回目に見ると、なるほどと思うことがいくつかありました。
その中の一つが、「人間は弱くて当たり前」という言葉です。事件が解決した後、主人公の菅田将暉さん演じる久能整くんが、深く傷ついたであろう女子高校生の汐里さんに、「お母さんと一緒にカウンセリングを受けなさい」とアドバイスします。
アメリカでは、事件が解決した後、被害者も警察官もカウンセリングを受けることが当たり前で、受けないと元の仕事に復帰できないというのです。私も昔見ていたアメリカのドラマで、カウンセリングという言葉がたびたび出てくるのにびっくりした覚えがあります。
ところが日本ではそういう意識がなく、ひどく傷ついても落ち込んでいたら、男のくせにいつまでもめそめそして、など悪く言われます。自分で心に蓋をして、うまく回復すればいいけれど、そのままうつ病になる人もあるでしょう。
人間は弱いものであるという前提に立つと、カウンセリングを受けることは何ら恥ずかしいことではないのです。
これと関連していると思いますが、NHKのドキュメンタリーで放送している「映像の世紀」という番組は私が一番好きな番組で、必ず見ていますし、ビデオにもとっています。
先日観た番組では、戦争における兵士のPTSDについてしていました。第1次世界大戦以後、体は傷ついていないのに、手足が震えたり、歩けなくなって精神的にも異常をきたす兵士がたくさん出て、はじめは何かわからなかったそうです。
精神病だ、仮病だ、と言われたこともあったそうですが、最終的についた病名はPTSDでした。屈強な兵士と言えども、人を殺す、殺される恐怖は大変なものだったのです。
ベトナム戦争の時もこうした兵士がたくさん出て、軍は「ベトナム人は、人間以下の家畜並みの人たちだ」と、兵士に教えたそうです。なんとひどい言葉でしょうか。それでも精神を病む兵士は後を絶たず、爆弾などで亡くなった兵士の何倍もの兵士が帰国後自殺したそうです。
今も世界のあちこちで戦争が行われています。人間の欲の深さに絶望する反面、これを乗り越えて平和を取り戻せる力も人間にはあると思います。春の訪れが、希望に満ちたものになりますようにと、祈りたいです。