『徹子の部屋』(2015年4月22日)



デビュー9周年記念日の
2023年7月23日は、
北海道のオホーツクの町
遠軽町公演でした。

NHKのやぎりんドキュメンタリー
『それでもボクらは小舟を探す』を
2015年2月にご覧になった
遠軽町のチカエさんが、遠軽町公演を
実現させてくれたのです。
これも奇跡のひとつ。

ことし(2024年)の7月23日は
家にいます。
生きていれば自然と10周年となりますが、
これはただの10年という時間ではなく
奇跡の連続でした。

奇跡の舟出
2014年7月23日にクミコさんによる
”広い河の岸辺” のシングルCDが
日本コロムビアからリリースされました。
その日は、NHK『ラジオ深夜便』にも
インタビュー出演。
インタビュアーは村上里和アンカーでした。
7月29日はNHK『歌謡コンサート』にも出演。
ケーナのイントロから始まる、かつてない
「歌謡曲」となりました。


そもそも
”広い河の岸辺” がCD化されることに
なるきっかけは、2014年4月から始まった
NHKの朝ドラ
『花子とアン』(脚本:中園ミホ)でした。
このドラマの劇中歌として
“The Water Is Wide” が歌われたのです。
奇跡の始まりは
ここにあったかもしれません。

湯川れい子さんの賛辞
湯川れい子さんが
”広い河の岸辺”を
「100年歌い継がれて、
 日本の歴史に残るでしょう」と
最大限の評価をしてくださって、
スコットランド民謡の訳詞者として
作詞家デビューしました。
クミコさんが唄ってくれたことに始まり、
数えきれない奇跡が重なり、
”広い河の岸辺” は正に
奇跡の舟出をしました。

奇跡の前ぶれ
実は”広い河の岸辺” の奇跡の物語の
「まえがき」のようなこともありました。
兄が始めた『葉っぱ塾』の
10周年記念(2009年)で
資金を集めて2010年にレコーデーングした
CDアルバム『広い河の岸辺』に対して
光栄なことに
湯川れい子さんが、タスキに推薦文を
書いてくださったのです。

「日常からホッと解放されると共に、
初めて日本語で歌われる
The Water Is Wide(広い河の岸辺)が
素晴らしい。
ちょっぴり”愛”に疲れた人にも、ぜひお薦めの
アルバム・タイトル曲だ」。

朝ドラの奇跡に先駆けて、
「奇跡の始まり」の始まりが
湯川さんのこれだったと思います。
2011年3月にアルバムをリリース直前の
2月15日には、TBSラジオの人氣番組
『大沢悠里のゆうゆうワイド』に
一度目の出演を果たします。

それからほぼひと月後に、3.11
東日本大震災が起こるのでした。
震災後2か月の5月から
津波の被災地に出かけて
避難所や仮設住宅で励ましのコンサートを
5年間で100か所以上で行ないました。
避難所暮らし、仮設住宅暮らしの
人たちにとって、先の見えない現状は、
広い河の岸辺に立ち尽くす氣持ちに
重なっていたと思います。
一度聴いて、そして一緒に歌って、
多くの人が涙を流していました。

最初に”広い河の岸辺” を歌ってくれた
声楽家はボクから去りましたが、
より素晴らしい歌い手、大前恵子さんと
出合ったのです。クミコさんと出合う前に
“広い河の岸辺” が一人歩きし始めて
ボクのいないところでも歌われるように
なったのは、大前恵子さんのおかげです。
歌詞に共感して唄ってくれる初めての
歌手でした。
音大出の声楽家という、別世界を
生きてきた人に頭を下げて頼んで
唄っていただく、という関係から
卒業できるかもしれない、と思えました。

ボクの歌詞を、頼まれて「仕事」として
唄うのでなく、まだ誰も唄っていない歌を
自分の持ち歌にして世に広めることを
「使命」と感じて唄ってくださる歌手と
対等な関係になれるかもしれない、と
期待しました。

「八木さんのために唄ってあげてるの」
というスタンスでは
未来がないと思ったのです。
創造的な関係は対等でないといけない。
歌い手と作詞家が切磋琢磨しないと。

貧乏暮らしがテレビに
ケーナ奏者、作詞家として独立するのは
大変な困難を極め、
貧乏暮らしがつづいています。
これは、
お金よりも自由を選んでいるからです。
自由でないと創作活動ができません。
その貧乏暮らしをNHKが取材し、
テレビのニュースや、ドキュメント番組に
なりました。
『おはよう日本』とか
『特報首都圏』でした。
2014年12月最終週には
”広い河の岸辺” がオリコンのヒットチャートの
第1位になりました(CD売上)。

エッセイと絵本の出版
「本を出版しませんか?」と複数の出版社が
連絡をくれました。
主婦と生活社からエッセイ
『広い河の岸辺』を出しました。
この本に湯川れい子さんが
最高のメッセージを寄せてくださいました。
「必然と偶然が時を得て生み出した
大いなる奇跡!
この歌は50年、100年と歌い継がれて、
日本の歴史に残るでしょう」。
この文章の中にも「奇跡」という言葉が
含まれています。
「奇跡」だと思っていたのは、ボクだけ
ではなかったのです。

さらに、
葉祥明さんが絵本を描いてくださいました。
国土社から絵本
『ひろいかわのきしべ』を出版しました。

2014年に
NHK『おはよう日本』や
ドキュメンタリーに出演したことで
2冊の本の出版につながり、それが
札幌公演、帯広公演、滝川公演(北海道)
さらには
2023年の北海道・遠軽町公演へと
つながっていくのです。
札幌音鑑の渡辺さんが
北鎌倉の葉祥明美術館を訪ねたとき、
この本に出合い札幌公演へとつながります。
2015年2月の
NHKドキュメンタリーを見た遠軽町の
チカエさんが、その8年後に遠軽公演を
実現させてくださいました。

徹子の部屋
NHKの首都圏報道局が制作した
深夜の地方発ドキュメンタリー
『それでもボクらは小舟を探す』は
全国放送でした。
2015年には
朝日新聞の『ひと』欄に出ました。

NHK『スタジオパークからこんにちは』
にも出ました。
TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』
にも二度目の出演をしました。

そして、4月にテレビ朝日の
『徹子の部屋』への出演。
その年末は大阪フェスティバルホールで
『徹子の部屋コンサート』にも出演。

ギタリストきよちゃんとの出逢い
2015年、
《広い河の岸辺》をクミコさんではない
とある歌手が歌って録音し、
FM放送で流す、という企画がありました。
そのときに出合ったのが
ギタリストでヴォーカリストでもある
きよちゃん(清永アツヨシ)でした。
きよちゃんと出合ってからは、
ほぼすべてのコンサートに出てもらうことになり、
アルパだけの和音楽器では足りなかった
「深み」がサウンドに加わりました。
画期的な出合いでした。

朝日小学生新聞に連載
2016年には朝日小学生新聞に
ひとコマ漫画家・小澤一雄さんとのコンビで
『わくわくオーケストラ』を半年間
連載しました。
作詞家としてデビューし、
エッセイも書いたことで
オーケストラの楽器の話を小学生向けに書く
という連載の執筆依頼も舞い込んだのです。
2017年には
『わくわくオーケストラ 楽器物語』として
絵本的な児童書が出版され、好評販売中。
第5刷となり、まもなく
5000部の販売数になります。


誰も行かない道を行く
ケーナ奏者として普通にアンデス音楽の
コピーなどをやっていたら、この数々の
奇跡は決して起こりませんでした。
あんパンやカレーうどんなどを生み出した
日本の文化の中で育った音楽家として
異文化との出逢いと融合をテーマに
生きてきました。
その生き方そのままに、訳詞・作詞、
選曲・演奏をしてきたことが
テレビ、ラジオ出演や、執筆などの仕事に
つながったものと思います。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
とはよく言ったもので、ボクは
拾う神に何度も何度も救われて
生きてこられました。
捨てる神よりも、拾う神のほうが
多かったのが幸運でした。

こころの鈴の音コンサート
童謡詩人・金子みすゞさんのことは
敬愛する理論物理学者・佐治晴夫さんの
著書を通じて知り、詩集を愛読していました。
《広い河の岸辺》が世に出始める前に
福岡のコンサートプロデューサー
幹英さんとネット上で知り合いました。
「福岡でコンサートをしませんか?」
「コンサートの半分は福岡の女優
中村祐子さんを主役にして
金子みすゞの詩の朗読と歌にしてほしい」。
2016年から、福岡で
『こころの鈴の音コンサート』が始まりました。
このことが、ボクを金子みすゞの言葉の世界に
引きずり込みました。
生前は、先輩詩人の中では
西条八十にしか認められず、
詩集も出版されなかった。
しかし100年後に
彼女の言葉は世界に広まり、
15種類の原語で詩集が出版される、
稀有の詩人となった。
生前認められないのは、言葉が100年先を
行っていたからだ、と思うのです。

宮沢賢治も
「今売れなくとも永遠に残る作品を書く」と
日頃言っていたそうです。
ふたりのことを知れば知るほど、
今売れないと「仕事」にはならないが
「生き方」として、100年後に必要とされる
音楽を生み出していこうと
思うようになりました。

「生き方」として詩や物語を書いた
賢治さんみすゞさんのように
自分に与えられた使命を果たしたいと
思うようになったのです。
コロナ騒動で「不要不急」の仕事に
分類された音楽ですが、
仕事ではなく「生き方」つまり
〈いのち〉の使い方として
100年後に必要とされる音楽を生み出す
「使命」を生きるということです。

”こころの鈴の音コンサート”は
福岡の幹英さんがバンコクに移住して
福岡公演がなくなってからは、
ボクが中村祐子さんを東京に呼んで
公演を続けています。
ボクのライフワークのひとつになりました。

「コロナ騒動」を乗り切る出逢い
コロナ騒動で絶望感に陥りそうになったとき、
全国からの支援も届き、さらには
“You Raise Me Up”の訳詞の機会が与えられ、
”ガブリエルのオーボエ”への作詞のご提案も
届きました。
そして、
”You Raise Me Up”は
”あなたの肩を借りたら”として
日本語の歌になり、また
”ガブリエルのオーボエ”は
”ふるさと銀河に還る”という歌になりました。

麻衣さんの《広い河の岸辺》
歌い手で児童合唱団の主宰でもある
渡辺麻衣さんも、
コロナ騒動で困っていたのです。
ボクとは全くの無関係だったのですが、
合唱団のメンバーへの「ビデオレター」として
初めて自分の歌をネット上にアップしました。
それが《広い河の岸辺》でした。その動画が
ボクの目にとまり、コロナ「自粛」の間に
テレワーク動画
《広い河の岸辺》を創りました。
会ったことのない音楽家と共同制作したのは
初めてでした。
その後、麻衣さんはボクの
コンサートになくてはならない
歌い手になりました。
ボクが頼んでいないのに、ボクの歌詞に
共感して自主的に歌ってくれる歌手とは
大前恵子さん以来の出逢いでした。

《鶴》の訳詞依頼
2021年秋にウクライナ名歌 ”鶴”の
訳詞依頼が大前恵子さんからありました。
すでに7種類前後の
日本語歌詞が世に出ていましたが、どれにも
負けない「名訳」が生まれ、依頼者の
大前さんも氣に入ってくださったので、
翌2022年2月にそれを
レコーディングしていたら
ウクライナ戦争が起きました。
戦場から戻らなかった兵士を歌ったこの歌は、
今こそ
この本来の意味に限りなく近い訳詞で
唄い続けなくては!と思いました。
戦争で死ぬという、つまり
政府の命令で死ぬという
最も非業な死に方をした人々の想いを
ボクらは受け継いで、後世に
伝えなくてはなりません。

《想いの届く日》の訳詞
アルゼンチンの第二の国歌といわれる
世界的名歌、
”想いの届く日”は、12年前に訳詞しかけて、
サビだけ書いて、そのままになっていました。
その時の歌手が
「スペイン語で唄いたい」と主張するので
途中でやめました。
ボクの感性では、日本に住んでいる日本人が
英語やスペイン語で、ネイティヴのような
発音で歌ったとしても、それでも
本もののネイティヴ歌手にはかないません。
日本の歌手が世界に出るには、
美しい日本語で歌うしかないのです。

そんなわけで、
訳詞途中で眠っていた作品が目を覚まして、
”想いの届く日”の日本語版も完成しました。
コロナ騒動の絶望の時を、
創造的に過ごしました。

奇跡はつづくよ
こんな風に、コロナ騒動の絶望の時代も
多くの方々からのご支援と、
作詞・訳詞や
チェロ入り四重奏のスコアを書いたり
という創造的日々を過ごし、そのかん
ご寄付や食糧などの支援物資が
日本各地から届き、
奇跡的に生き延びたのでした。

楽譜の慈悲出版
2014〜15年に《広い河の岸辺》が
大ヒット曲となったので、
その楽譜が、ボクとはまったく無関係に
たくさん出版されました。
ピアノ弾き語り譜。
合唱譜5種類くらい。
吹奏楽用楽譜など。

しかし、ボクにはまだまだ出版したい
合唱譜がありました。
《思い出のサリーガーデン》
《コンドルは飛んで行く》
《つばめよ》など。
これらは、全音楽譜出版社から
合唱譜の出版が実現しました。

その後、中国名歌の
《海はふるさと》の合唱化の目標を立てました。
海外に著作権のあるこういう曲は
出版社では出版意欲がありません。

ボクは、津波の被災地の方々が
海に家族や家を奪われても、海を恨まず
海の恩恵で生きることをつづけることに
心を打たれ、この歌をどうしても
合唱譜にしたかったのです。
中国を仮想敵国にして軍拡をする日本政府への
批判を込め、
中国と日本の友好に役立ちたいと思い
《海はふるさと》を合唱譜として
世に出したかったのです。


《広い河の岸辺》を通じて
作曲家・長森かおるさんに
出合っていましたので、合唱編曲は
長森さんにお願いしました。
出版経費の募金を始めたのは
2020年の3月で、コロナ騒動が
始まっていて、世間は混沌としていました。
そんな中でも目標の40万円をクリアして
合唱譜《海はふるさと》を
「慈悲出版」できました。
自費がなかったので、お客様からの
支援金で出版したから「慈悲出版」。

おまけの奇跡と「慈悲出版」
奇跡の多くは、
《広い河の岸辺》という歌が
世に出て行く過程で起きたものです。
しかし2023年には、ボクが
2016年に訳して発表したスコットランド民謡
《ふるさとのナナカマド》が
アカデミー賞ノミネート映画の
大切な劇中歌になり、世界に広まりました。
”The Rowan Tree”(ナナカマドの木)です。
映画はビル・ナイが主演の
英国映画『生きる/LIVING』。
この脚本を書いたノーベル賞作家の
カズオ・イシグロさんは脚本の段階で
主役に歌わせる人生最後の歌を
”The Rowan Tree”と決めていたそうです。

《広い河の岸辺》がヒットしたとき
”The Water Is Wide”をボクよりも先に
日本語の歌(訳詞とは限らない)にして
歌っていた人、歌詞を書いた人の関係者から
さまざまな批判を受けました。
《広い河の岸辺》だけをマスコミが採り上げて
世に出たことへのひがみだと、わかりましたが、
批判された悔しさを乗り越えるために、
誰も日本語化していないスコットランド民謡の
名歌を訳詞して世に出そうと思ったのが
《ふるさとのナナカマド》でした。
ノーベル賞作家が選んだ歌と同じ歌が
その歌が「映画音楽」として世に出る7年も前に
ボクと出逢ってくれた奇跡♪

この歌も、長森かおるさんの編曲で
合唱譜になりました。
ナナカマドを「市の木」「町の木」とする
自治体の合唱団をネットで探して
楽譜を送り始めました。


『ラジオ深夜便』に二度目の出演
2023年8月15日、日本の歴史上で実に
大切な敗戦の日の夜明け前、
NHK『ラジオ深夜便』に二度目の出演。
インタビュアーは、迎康子アンカーです。
ひとコマ漫画家・小澤一雄さんの
個展のギャラリーで、迎さんと出合ったのが
きっかけでした。
そしてそれが12月14日に
『特選 明日へのことば』として
再放送されるという光栄な
奇跡がまた起きました。

《広い河の岸辺》が合唱化されて、その楽譜は
さまざま出ていますが、
一般に出版されたお陰で日本各地の
さまざまな合唱関係者と出合うことに
なりました。
合唱団のコンサートに客演することも
増えました。
合唱団の指揮者の先生方はみな音大卒の
立派な楽歴の持ち主ですが、ボクを
対等にあつかってくださる
温かい方ばかりです。
プライド高い声楽家とは、ちょっと
違うような氣がしました。

最近では、
多摩市の合唱団の中心メンバー
国分寺市の合唱団の指導の先生などと出合い、
それもみな《広い河の岸辺》の合唱版を
通しての出逢いでした。

こんなふうに、
数え切れない奇跡がボクを救ってくれました。
ほんとうに奇跡の10年だったのです。いや、
専業音楽家になってから14年。
奇跡の出逢いがたくさんたくさんありました。
どの奇跡も
《広い河の岸辺》という歌がなければ
起きなかったことだと思います。
みなさん本当に、
ほんとうにありがとうございます。


7月27日(土)午後2:00
那須野が原ハーモニーホール
小ホール(400席)
やぎりんカルテート・リベルタ×大前恵子
自由の風コンサート那須野が原公演
◉一般¥2500/学生・車椅子¥1000
◉お申込み はやぎりんへ(年中夢求♪)
yagirin88@gmail.com 


7月28日(日)午後2:00
伝国の杜 置賜文化ホール(500席)
やぎりんカルテート・リベルタ×大前恵子
ふるさと置賜チャリティコンサート
【特別出演】
女声合唱 ゆずり葉(指揮:小野弘子)11人
米沢ケーナの会 4人
◉一般¥3000/学生・車椅子¥1000
公益法人米沢有為会のための
チャリティコンサート♪
収益金とやぎりん分の出演料の合計を
米沢有為会に寄付します。
◉お申込み はやぎりんへ(年中夢求♪)
yagirin88@gmail.com 


7月29日(月)2:00
一橋学園 喫茶Roダん
昔昔亭桃之助 落語会
『船徳』
ほか二席
コーヒーまたは紅茶とケーキつき
¥2500
◉お申込み はやぎりんへ(年中夢求♪)
yagirin88@gmail.com 

★『葉っぱ塾』25周年記念事業

◉やぎりんカルテート・リベルタ
広い河の岸辺コンサート山形県ツアー
9月07日(土)午後4:00 白鷹町あゆーむ
9月08日(日)午後1:00
  やまぎん県民ホールスタジオ1

やぎりんブログをお読みくださった方々に
幸運が訪れますように......