「草迷宮・草空間」というマンガで、主人公が時計屋さんに迷い込むシーンがある。
全てと言っていいほどに、アンティークな古時計である。
全てが違う時間を指している。
今が何時なのか、動いているのか、止まっているのか、ゼンマイが緩んでゆっくりと進んでいるのか・・・。
人の持つ時計もまた、同じなのではないかと昨日思った。
実は、一昨日も実感した。
ドリプラ東北魂に出る小学生は、当初のテーマと今の関心ごとが随分変わってしまっているようだ。
以前は虫。カメムシの研究。
今は、鉱石、釣り、天体、火星・・・。探査機「Curiosity」・・・。
まさに、好奇心の塊で、次から次へと様々な事を知りたいと思っている。
彼らの時計は、私たちの時計よりもゆっくりと動いている。
だから、1ヶ月が私たちの数か月に匹敵するのだと思う。
もちろん、うちの子どもたちを見ていてもそう思う。
1日の長さも、きっと長く、苦痛に感じる時もあれば、あっという間に終わることもあるのだろう。
昨日は、職場研修の利用者さんに付いて、30分間の見学をさせてもらった。
丁寧に、ゆっくりと、新しいやり方を教わっても、すんなりと受け入れて、黙々と作業をし続ける。
彼は、時計を意識する事よりも、「丁寧さ」「新鮮さ」を優先して作業を行う。それが、いいか悪いか判断するのは管理者である。
青梗菜の葉を袋の閉じ口に一緒に織り込んで封をするパートさん、手際がいいけどこれで損傷はないのか?
葉が傷まずに、青梗菜が袋にかからないように新しいやり方を覚えて、倍の速さでできた。
「早くできたね」とは、訊かない。
「やりやすかった?」と訊く。
彼の中では、早さももちろんあるが、まずは「丁寧に作業を行う」が目標だからだ・・・。
最後には、丁寧に、早く、良い物を見分けてという、ハードルの高い目標を今回は立てた。
2週間のうち7日を体験してみる。どんな事ができるようになり、何か克服できることもあるように思う。
ゆっくりでいいから、自分の時計を持ちながら、進んでいけるといいネ!