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前回のお話しの中で

日本に来た景教徒の李密医(聖務天皇(しょうむ)・光明皇后の時代701760AD)は、新約聖書のマタイの福音書を持って、21隻の船の一つに乗り、韓国のある島を経て、日本に来たと9年前の毎日新聞の記事で報じられていました。

李密医は日本に来て、天皇から位を授けられています。


と阿刀氏がおっしゃってますが、実はこの医者が日本に来た時にこんなエピソードが有ったんです



【息子の病気が治った奇跡】

後継ぎになるべき息子が、白血病と思われる病気で生死を彷徨っていた。

その際に上の医者さんが関わって居ます。


皇后は通訳を道してマタイ八章を呼んだ。それはキリストによる病人の癒しが書いてあるところだ。


李密医は皇后に尋ねた。<弥師や(メシヤ)が彼を癒してくださることを信じますか><公にはできませんが信じます。>こうして李密医と皇后はともに祈った。


すると息子の病は奇跡的に癒されたそうだ。彼女の心は感謝で満ち溢れた。それで以後、光明皇后は慈悲の働きを積極的にするようになった。

~以上~



この様な出来事からも彼女は景教の教えに感激したとも容易に考えられますね。

そして彼女は、仏教に篤く帰依し


東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられています。

ウィキペディアより引用こちら



実に信心深かった様子です。


また、彼女は、奈良の法華寺の開基で観音様信仰を持ってます。


法華寺(ほっけじ)→引用先はこちら

奈良県奈良市法華寺町にある仏教寺院。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。山号はなし。本尊は十一面観音、開基は光明皇后である。元は真言律宗に属したが、平成 11年(1999年 )に同宗を離脱し、光明宗と称する。

※真言律宗とは真言密教の一派です。真言宗と言う事はどちらにしても景教の影響が有るという事でしょう。


東大寺についての記述です。

キリスト教のHP様よりお借りしました。元記は→こちら

景教に関連があると思われる史跡を見てきました

以下の文は日本景教研究会のメンバーであり、研究会の運営委員でもあるハウディシェル・ブラッドフォード氏(高校英語教師<奈良の資料から参考にさせていただきました


東大寺二月堂で行われるお水取りの儀式には、原始キリスト教で行われた大変よく似たものが多く見られる、とのことです。以下がその抜粋、要約です


●天平勝宝8年に描かれた東大寺の古図には二月堂の図が無く、代わりに「神の地」と書かれている。


●昔のキリスト教の聖堂はみな東に向かって礼拝し、祭壇は東に、礼堂が西に位置している。奈良のすべての寺は南に向いている。東大寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺など全て南大門から北方に建てられている。しかし、二月堂だけは礼堂は西にあり、内陣が東に建てられている。


●修二会の行われる期間中には「六時」と称する観音様に対する祈りの時が六回(日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝)ある。更に昼の12時にも1時間の祈りの時間があり、1日7回の祈りをする。キリスト教の神父たちも昔から、毎日詩篇を教会や修道院で一堂に7回集まって祈りをする。


●その他に「神名帳」の朗読があり、「秦の大明神」というのが3回唱えられる。大仏建立の頃、中国から中臣名代が19人の外国人を連れて渡って来ており、その中に3人のペルシャ人がいた。


●3月1日の暮れ方に呪術(悪魔祓いの僧)が様々な種類の穀物の種を捧げて豊作祈願をする。キリスト教国では春の満月の後、即ち復活祭の後に全ての穀物がよく実るように祈祷祭が行われる。

●3月7日に行われる「小観音」の儀式では、「小観音の逗子」を礼堂の左側に運んで礼拝する。


キリスト教会では復活祭前の土曜日に、復活のキリストの蝋燭の儀式がすんだ後、外から厳かに水を教会に運ぶ儀式がある。

このように二月堂で行われる儀式では原始キリスト教の儀式と非常に似た側面がある。


~以上です~



この様に日蓮が出る前から、法華経を大事にしてた方々が居られると言う事ですそしてそれらを全て頭に入れて、とある物を見て行くと非常に面白い事が見えてきます(*^^)v



次回は私が発見した『徴』についてです。





続き→その16