もう一つ、私の見解でなく、専門家(仏教に相当詳しいだろう僧侶)の記述をご紹介しましょう。
その方が信頼性が高いと思いますので。
すると・・・何度見ても、私が、思い付いた事がやはり本当なんだと余計思えました。
まずこの僧侶の紹介です。
その方のお名前とは阿刀弘文僧正氏です。この方はどんな方なのでしょうか?
阿刀?どっかで聞いた様な・・・そうです空海の母親の旧姓です
空海の父は佐伯直田公善通、母は玉依姫(阿刀氏)。
父の弟、大足(おおたり)は玉依姫の妹と結婚し、阿刀家の養子となり家を継いだ。
※つまり空海の伯父さんが阿刀家の後継ぎになったと考えると解り易いでしょうか。
阿刀氏は代々学者の家系で、幼い真魚(まお)-空海の幼名-は大足(空海の伯父さん)から教育を受けた。
大足は桓武天皇の第三皇子伊予親王の侍講をしており、空海の大学入学や入唐に際し、大きな助力をした事だろう。
こうした大恩に対し、後に大足が失脚した際、保護し、死ぬまで身辺におき、報いたのです。しかも、その子孫は明治初年まで京都東寺の俗別当を代々務め、家系は現当主:阿刀弘文氏に至っている。
空海と近い親戚だったので繋がりが深い家系だとわかります。
その方の真言宗の見解と、そして法華経(つまりは日蓮)に実はそこはかとなく触れて居る部分が有るのです。
興味深いので抜粋します。
キリスト教HPより転載。元記事は→こちら
■☆景教(ネストリュウス・キリスト教)と大文字火との関係
阿刀弘文氏は生涯をかけて景教と真言密教及び神道との関係について研究された方です。
この阿刀弘文僧正は、ゴードン女史(高野山に「大秦景教流行中国碑」を高野山に建立した人)から聞いた話として、
「京都・大文字山の大文字火は、弘法大師(空海)が景教から取り入れて始めたのである」と語っていたというのです。
この有名に夏のお盆の時、「大」の字をかたどって送り火をたく行事です。また、この「お盆」も、もともとの仏教にはない行事なのです。
サンスクリット語の仏教文献には「お盆」は出てこないのです。この「お盆」も中国で、ペルシャ系のゾグド人や景教徒の影響を受けて始まったものなのです。
それを空海が日本に持ち帰って広めました。(詳しくは「日本・ユダヤ封印の古代史2 仏教・景教編」徳間書店刊参照)
また、阿刀弘文僧正は景教と日本神道との関係についてもこのように語っています。
「日本に来た景教徒の李密医(聖務天皇(しょうむ)・光明皇后の時代701~760AD)は、新約聖書のマタイの福音書を持って、21隻の船の一つに乗り、韓国のある島を経て、日本に来たと9年前の毎日新聞の記事で報じられていました。李密医は日本に来て、天皇から位を授けられています
日本の神道に三社託宣(さんしゃたくせん)と言うことがあります。真ん中に天照大神、左に八幡大明神、右に春日大明神。この祀り方は、景教の三位一体から来たものです。三社託宣と言う観念は、仏教にも儒教にもなく、景教の影響と考えると実に良く理解できると言うのです。
~引用以上~
はい(*^^)v上の赤い文字の部分、そこに一番注目して頂きたいと思います。
実はこの出来事が、光明皇后が仏教と言うよりも景教の影響を受けて居るという仮説の元になって居るんです。
多分そうだと言いながら今一はっきりしないという内容の書かれ方が多かったのですが、私はとあるグループの調査に書かれている物を発見したのです。
そこのグループの分析に、成程と思う所が沢山有ったので、紹介していきたいと思います。
次回に紹介するのは、光明皇后が景教の影響を受けて居ると解る状況証拠の数々です。
続きは→その15