刑事手続きの基礎「明石歩道橋事件における過失認定と強制起訴手続き」
1 以前、免訴判決との関係で論じた明石歩道橋事件の第1審である神戸地裁判決平成25年2月20日に対する大阪高裁の控訴審判決が本日(平成26年4月23日)あった。
控訴棄却判決であり、原審の判断の追認、つまり、被告人に過失はなく、公訴時効による免訴判決を容認したものであった。
2 そもそも、第一審の事実認定によれば、本件事件では、事件当時の警備体制に関する過失(本位的訴因)、事件前の警備計画策定に関する過失(予備的訴因)が主張されており、前者については、具体的予見可能性がなく(本部の警備のテレビモニターでは、映像が見にくく、現場からの無線等の報告により、状況を把握する必要があったが、被告人の無線のスイッチが入っていなかったこと、現場の警察官が適切な報告をしなかったが、警備経験のある警察官の行動を信頼していたことなどを理由とする)、後者については、警備計画が不十分であったことは認めるが、被告人が予想できた事情は抽象的な危惧感にすぎず(具体的予見可能性の否定)被告人の権限は署長を補佐補助する指揮監督権限の行使は不十分であったが、十分に行使しても結果を回避できたとはいえず(結果回避可能性の否定)、被告人の権限行使と本件事故との因果関係もないと判断されたものである。
3 証拠関係は膨大なものであったことは容易に推測され、事故当時の客観的状況、警備体制の不備に関係する各種の事実関係は複雑である。もっとも不利益な証拠は、被告人の指定弁護士に対する供述調書で無線を傍受していたとの部分であるが、本件事故から10ヶ月しか立っていない、これと矛盾する検面調書の供述を事故から8年9ヶ月もたって唐突に変遷させたもので、その合理的理由も説明されず、信用できないと原審は、判断している。判示された事実と証拠関係は、文面上不合理なところはなく、最終的に被告人に過失があったことについて合理的な疑いが残るということ自体、事実認定として明白に違法とはいえないであろう。今回、高裁が原審の判断を是認したのも理由があるといえるが、筆者自身、オリジナルの証拠を直接みていないので、証拠評価の当否については、なお留保したい。
4 マスコミ報道の基調は、検察審査会法の改正後による、いわゆる強制起訴制度※によって起訴された本件ケースについて、被害者や一般の市民の考えを無視するものとの批判的ムードも感じられる。しかし、本件で、検察官が不起訴にせざるを得なかったというのは、やはり証拠に基づく事実関係から過失の立証が困難ということがあったからということが裁判によって明らかになったといえよう。「民意」によって有罪となるではなく、「証拠」によって有罪となるという当たり前な刑事司法の原則=証拠裁判主義が、「市民感覚」によって、覆ったら、法治国家も法の支配もないであろう。これは裁判員裁判においても同じである。一部マスコミがいう裁判員の事実認定や量刑判断が上訴審で覆されることについて、民意を無視するものとの批判は適切とは思われない。民意=一般市民の裁判員による誤判も起こりうるからである。
5 本件における問題は、第一に事件から長期間経過し、検察審査会を数回経ての強制起訴であり、被告人の手続き負担はもとより、被害者の責任追及への期待感・心情が過度にあおられ、裁判の結果、その反動による落胆を大きくした点である。起訴するならば、早期の段階で、行うべきであったといえる。また、刑事的な個人責任の追及よりも「組織的過失」については、組織、法人、団体に対する処分ないし制裁が立法的に検討されるべきであろう。
第二に、検察審査会での判断と検察官の判断、つまり証拠評価のギャップが大きかったのではないかとの疑いが残る。大量の証拠、複雑な事実関係においては、プロである法律家ですらその判断は苦慮することが多い。特に本件のような「管理・監督過失」の認定は、証拠構造も複雑になる。一般市民の印象と予断による証拠評価の誤認をどう防止すべきなのか、本格的な「起訴陪審」※※として手続きの適正化も必要かもしれない。むしろ、被害者の意思をくむべしというのならば、被害重大事案について、一種の起訴法定主義※※※の導入も検討に値するのではないか。検察官の起訴不起訴判断が一般市民の目から見て信用できないとするのならば、最初から裁判所に判断を委ねるのが公平適正との考えもありうるからである。
第三に、本件訴因、つまり過失の構成、特に過失の共同正犯の法律構成は困難だったのではないかとの疑問もある。すなわち、本件の事実関係からすると被告人の問題となる過失態様は、いわゆる「管理・監督過失」態様のものであり、対等水平関係の「共同義務の共同違反」を基礎づける事案ではなかったのではないであろうか。訴因の構成も「管理・監督過失」構成のように読める。そうだとすると、仮に被告人に「管理・監督過失」が肯定されても、共同正犯は成立しなければ、結局公訴時効は完成し、免訴判決の結論となろう(いわば有罪的実体関係的形式裁判。こういった両成敗的な落としどころは、民事裁判的発想で刑事裁判的にはなじみにくいかもしれないが…)。
※強制起訴制度
検察官の不起訴処分について不服のある被害者、告訴権者は検察審査会に不起訴の当否の審査請求ができる。平成16年の検察審査会法の改正により、検察審査会は、起訴相当の議決を行った後、検察官が再度不起訴処分にしたとき、または一定期間内に公訴しないとき、改め審査し、再度起訴相当と判断すると、起訴議決をすることができる(改正法41条の6)。起訴議決により、裁判所は、検察官の職務を行う弁護士を指定し、この指定弁護士が公訴を提起する(改正法41条の10)。検察官による起訴独占主義の例外である。なお、検察審査会においては、審査にあたって、弁護士から審査補助員を委嘱することができ、再度の起訴議決をする場合は、その委嘱は必要的である。なお、改正法の運用は、強制起訴による事件数は8件であり、そのうち有罪は一件だけで、残りは、無罪か、本件免訴判決である。通常の事件の検察官起訴の場合に比べ、無罪率が高いという特徴がある。被告人の手続き負担の重さ、指定弁護士の捜査権限の問題、検察審査会の証拠評価の判断の適正化など制度の再考が必要と思われる。
※※起訴陪審
大陪審ともいう。アメリカ法では、起訴するかの当否について、大陪審(起訴陪審)で審理が行われ、その決議により起訴が行われる。改正法による検察審査会は一定の要件のもと起訴陪審と類似の機能を営むものといえる。
※※※起訴法定主義
訴訟条件を具備し、犯罪の嫌疑がある場合は、必ず起訴しなければならないとする制度を起訴法定主義という。ドイツ刑訴法が採用する制度である(同法152条。但し、同法153条の軽罪の例外あり)。訴追裁量が認められず、起訴が強制される制度である。
これに対し、訴訟条件を具備し、犯罪の嫌疑があっても訴追するかどうかの裁量権を検察官に認める制度を起訴便宜主義という。日本の刑訴法が採用する制度である(刑訴法248条)。
ドイツ刑訴法(訳文 法務省大臣官房司法法制部編・ドイツ刑事訴訟法典[法曹会 平成13年]より)
第152条
第1項「公訴の提起は、検察官の任務である。」
第2項「検察官は、法律に別段の定めのある場合を除き、訴追可能なすべての犯罪に対して、事実に関する十分な根拠が存在する限り、手続きをとらなければならない。」
日本刑訴法
第247条「公訴は、検察官がこれを行う。」
第248条「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」