刑事手続きの基礎「検察審査会の強制起訴制度の行方」
1 本日(平成26年4月30日)、強制起訴された柔道指導における指導者の投げ技により、重度の障害を負った業務上過失傷害事件について、長野地裁は、被告人(指導者)の過失を認め有罪判決をくだした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140430/k10014127141000.html
2 これで強制起訴で有罪とされたのは2件目であり、検察の嫌疑不十分の不起訴が強制起訴された案件では初めてである。強制起訴制度に好意的なマスコミ報道からは、積極的評価がなされている。http://mainichi.jp/select/news/20140501k0000m040036000c.html
3 被害者は「頭部に加わる回転加速度によって脳内の静脈が切れ、急性硬膜下血腫を発症した。」と裁判所は認定している。
頭部を打ったわけではないが、強度な投げ技がなされた事実は確かなことであるにもかかわらず、なぜ検察は2度も不起訴としたのか。「加速度回転による静脈破裂」という因果関係の基本的部分が予見不可能とみたのか、頭部をぶつけないようにする態様に客観的不注意(結果回避義務)はないとみたのであろうか。
しかし、投げ技による「加速度回転による静脈破裂」が柔道指導者一般に知られていないわけではなかったこと、近時は赤ん坊の揺さぶりによる脳しんとうの傷害事件報道からも強い揺さぶりが脳に何らかの傷害を負わす可能性があることが一般人の観点からも予見不可能ではないこと、柔道指導者という被告人の立場から、より慎重な対応が求められる(特に小学生以下の年少者、初心者に対してはなおさらである)から、要求される結果回避義務は力加減などに対する高度な配慮が要求されることなどからすると、過失ありとの判断も不合理ではないように思われる。但し、オリジナル証拠を見ていないので、証拠評価・事実認定についてはなお留保するが…
4 結局、検察官の不起訴判断が正しかったのかどうかは、不起訴時の証拠と本件事件の判決時の証拠が同じかどうか、同じであるとすると検察官と検察審査会・裁判所の判断の差異は証拠評価の差異ということになり、裁判所の判断が確定すると、結果的に検察の不起訴判断(証拠評価)は間違っていたということになる。すなわち、「市民感覚」の勝利=検察官の不適際ということになる。
5 強制起訴制度について、無罪率が高く、被告人の負担からも見直しを求める批判的見解がある一方、一般市民によって構成された検察審査会の「市民感覚」による検察官の不当な不起訴を防止する制度趣旨を強調し肯定的意見も、「被害者論」と併せてマスコミ報道では強調されている。
前回、すでに指摘したが、「起訴陪審」として適正手続きを強化するか(アメリカ風)、起訴法定主義を一部導入するか(ドイツ風)はともかく、現状の検察審査会の強制起訴制度について、ラフ・ジャスティスに陥らない「適正起訴制度」としての見直し改善は必要であろう。
なお、過失犯においては、当該行為が「許された危険」な行為なのか、「許されない危険」な行為なのかの「基準」を明らかにすること(基準行為=行為規範の定立)が、特に危険が日常的に随伴する柔道などの格闘技の指導上、社会的にも重要な意義がある。その意味では、検察官の非公開の不起訴処分より、裁判所の公開法廷での判決のほうが、優れている。本件は、事例判決としての意義も大きいであろう。