情報過多の時代と実務法曹になるために要求される能力
最近、私的にロークスクール生の司法試験対策用のゼミを実施している。昔と違って、教科書、演習書の類いは、多様化し、学ぶべき情報量は膨大な感じを受けるが、法的な思考方法の修練という点では、今も昔も差異はないであろう。
まず、①基本的な法概念、知識の理解と論理思考を身につけ、②それを事例に実際にあてはめ、具体的に書面で論述する。①はまさにお勉強の世界である。②は、修練、トレーニングの世界である。アンチ予備校の政策的出発点から、ロースクールでは司法試験の受験指導は禁止の風潮があり、司法試験の実践的トレーニングと結びつく②の点が薄い印象を受ける。時間内に事案を分析し、論理的構成をたてて、わかり安く論述・表現する。それは単に判例通説の知識の羅列ではなく、法的三段論法がわかっているか、具体的に事例にあてはめることができるか、既知の問題点はもとより未知の問題点にも対応できるかという意味での法的思考方法の能力が問われる。多くの法的知識・情報をインプットし、それを単にアウトプットするだけの話しではない。そして、かつて大学関係者により多くの誤解・曲解があったような単なる受験技術ではない。分析論述技術は法的スキルの一種である。「一生法廷に立たないビジネスローヤー」に不要かつ無駄な技術というわけでもない。①だけでは実務法曹の基礎的能力としては不十分なのである。
そして、情報過多の時代にあっては、①だけでも消化不良を起こしやすい。しかし、①は②のためにあり、覚えても使えない知識は全く無駄である。換言すれば、100の使えない知識より10の使える知識の方が有益である。すなわち、①は②と結びついていなければ何の役にもたたない。最新の理論、判例、立法を「知っている」ことよりも、基礎的な理論、確立した判例、現行法を確実に「使える」ことが重要だと言うことである。情報の海におぼれてしまっては意味がない。
実務法曹において、単なる経営コンサルタントや交渉人や学者と異なる資質というのは、①と②が密接不可分に身についているかどうかである。これを基礎として法廷技術の修練(司法修習)が実効性をもつ。また、法ないし裁判の予測可能性が身につく。
結論として、仮に大学院での指導がなくても、ロースクール生は②をもっともっと修練し、適切適量の知識をきちんと消化していかなければならない。