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刑事弁護人の憂鬱

日々負われる弁護士業務の備忘録、独自の見解、裁判外の弁護活動の実情、つぶやきエトセトラ

刑事政策の基礎 特別編「いわゆるテロ等準備罪について その2…陰謀・予備罪の意義()3

 

3 陰謀の意義

 (1) 陰謀罪は、予備罪よりも、刑法典上は、少なく、例えば、内乱罪、外患罪、私戦陰謀罪しかない。特別法上は、破防法等にさだめられているが(例えば破防法39条、40条)、組織犯罪処罰法には、規定がない(但し、いわゆる共謀罪、テロ等準備罪を設ける改正案が出されているのは周知のとおりである)。

 (2) 陰謀の定義も現行刑法上、規定はないため、解釈に委ねられている。

  学説は、「犯罪を実行することについて、二人以上の者が合意すること」(平野・前掲340頁)とか、「二人以上の者が一定の犯罪を実行することにつき謀議すること」(西原・前掲315頁)などと解している。※1

 

※1予備と陰謀との区別

 陰謀は予備に含まれるとする見解、陰謀は、犯罪の発展段階の予備の前段階と解する見解(通説)などがある。さらに予備行為を物的準備行為に限定し、陰謀を心理的準備行為と解する見解(但し、陰謀罪の成立には、合意だけでは足りず、客観的な謀議行為が必要)もある(西原・前掲315頁)。この最後の見解は、共謀共同正犯における客観的謀議説の考えを応用するものであろう。しかし、客観的謀議行為が物的準備行為と評価される場合は、陰謀罪は予備罪を伴い、これに吸収されてしまって、独自に処罰類型を刑法が設けた意味がなくなる。よって、両者の区別を認めるならば、予備行為の前段階として、陰謀=犯罪実行の合意と理解すべきであろう。

 

※2陰謀と共謀の区別

  共謀共同正犯における共謀については、主観的な合意とする主観的謀議説、合意のほか客観的謀議行為が必要とする客観的謀議説がある。陰謀も合意と理解すると、主観的謀議説の「共謀」と同じことになるし、前述した陰謀を客観的謀議行為必要説で理解すると客観的謀議説の「共謀」と同じことになる。そもそも、これらの考えは英米法上のコンスピラシー(共謀罪)の解釈に影響を受けたものといえる。

 

 (3)裁判例は、前述した三無事件の判決が予備罪と同じく著名である。

   すなわち、

破防法第三十九条、第四十条の殺人および騒擾の陰謀とは二人以上のものが、これらの罪を実行する目的で、その実現の場所、時期、手段、方法等について具体的な内容をもつた合意に達し、かつこれにつき明白かつ、現在の危険が認められる場合をいうと解するが、明白かつ現在の危険を伴う陰謀とは、その目的とする犯罪が、すでに単なる研究討議の対象としての域を脱し、きわめて近い将来に実行に移され、または移されうるような緊迫した情況にあるときと解される。このような情況の存否は、陰謀の対象とされている犯罪の種類、性質、陰謀の内容の具体性の程度、陰謀の時期と計画実行の時期との関係、陰謀者の数と性格、その実行の決意の強弱、陰謀が行われる際の社会情勢等を考慮し、綜合的に判断して決するほかはない。」と判示した。

 つまり、単なる犯罪実行の合意だけでなく、明白かつ現在の危険が認められる場合と要件を限定したのである。

 さらに「陰謀実現のための下準備的行為は、明白かつ現在の危険を伴う陰謀にとつて不可欠の要為とはいえないが、実際的には、陰謀がこの段階に達するまでには、何らかの下準備が行われているのが通例で、結局多数者による予備との相違は、準備の進行情況の差に帰せられることが多い。本件は、まさにかような場合で、いまら騒擾および殺人の予備とは認められないが、それに近い緊迫した情況にあつたといえる事案である。」ともいってる。

 つまり、予備を否定しながら、「緊迫した情況」を肯定して陰謀罪を認めている。しかしながら、この場合「明白かつ現在の危険」があるとするならば、陰謀の下準備行為も危険な行為であり、予備罪となってしまうのではないかとの疑問が生じる。ただし、明白かつ現在の危険が要求されるのは、破防法上の殺人及び騒擾の陰謀に限定されるとも解しうるので、陰謀概念一般として、常に「明白かつ現在の危険」が必要とはいえまい。

 

 

刑事政策の基礎 特別編「いわゆるテロ等準備罪について その2…陰謀・予備罪の意義()2」

 

 エ 組織犯罪における殺人予備罪の成否(いわゆるオウム真理教「サリン生成用化学プラント建設事件」)について、東京高等裁判所平成1064日判決(判時1650号155頁)は、以下のように判示する。

 

 弁護人の「所論は、いまだ本件プラントの建設にも着工していない平成五年一一月ころから殺人予備罪が成立するとした点において、原判決には誤りがあるという。しかし、平成五年一一月ころの段階では、既にサリン生成工場としての第七サティアンが完成していたこと、効率的で量産可能な五工程から成るサリン生成方法が考案されてその生成に成功していたこと、七○トンのサリンの生成に向けて必要な大量の原材料の購入が始まっていたことの諸事情が存するのてあって、Aらが企図した殺人の実行行為に不可欠なサリンにつき、その生成工程がほぼ確立され、量産へ向けての態勢に入ったものといえるから、同時点以降のサリンの大量生産に向けてされた諸行為は、大量殺人の実行のために必要であるとともにその実行の危険性を顕在化させる準備行為として殺人予備罪に該当すると解される。このような観点からして、原判決が殺人予備行為の始期を平成五年一一月ころと設定したことに問題はないといえる。」

「所論は、本件プラントの第四工程が稼働したのは一回だけであり、しかも同工程に構造上の欠陥があったため生成されたジフロが回収されなかったし、第五工程は全く稼動していないということを挙げて、本件プラントは未完成であったから殺人予備罪が成立しないというが、右のとおり、平成五年一一月ころ以降のサリンの大量生産に向けてされた諸行為が殺人予備行為と評価されるのであって、所論指摘のような事情は殺人予備罪の成否に影響を与えない。」「所論は、また、平成七年一月一日の時点で、本件プフントが未完成のまま閉鎖され殺人の実行に着手することが不可能になったから、殺人予備罪は成立しないともいうが、そのようなことによって平成五年一一月ころから平成六年一二月下旬ころまでの間にされた殺人予備行為が不可罰になるわけのものではない。」

「所論は、被告人には本件プラントの最終生成物が毒ガスであることの認識が全くなく、殺人予備の犯意が認められないといい、被告人も、最終生成物が危険なものであることの認識はあったものの農薬か殺虫剤程度のものと考えていたと供述している。しかし、被告人は、ハルマゲドンが近いことや教団が毒ガス攻撃を受けていることなどを説くAが「ある魂が悪業を積もうとしているとき、その命を絶ってしまうことは善業である。救済のためには手段を選ばない。」などと説法するのを聞いた後、すぐにプラントの電気関係設計担当者に指名され、Bから「あるプラントを設計してもらう。今回作るプラントはDの方で実験済みであり、それをプラント化するだけだ。Dがこの実験の最中に死にかけた。この作業をやりたくない者は正直に言ってくれ。」などとの説明を受けて、本件プラントの建設作業に加担することになり、Fから五工程の作動手順、薬品の流れなどについての説明も受けていたものであることにかんがみ、既にこの段階から、本件プラントの最終生成物が人を死亡させるような危険物であることの認識を持っていたとの推認が可能である。」として、被告人に殺人予備罪の承継的共同正犯を認めている。なお、別の被告人のプラント建設関与について、同様に殺人予備罪を認めたものとして、東京地判平成8322日判時156835頁以下がある。

 

 本件は、サリン生成のために作られたプラントが未完成であっても、仮にサリンが現実に作成されなくても、サリン生成工程が確立し量産へ向けた体勢に入ったなどの状況下での本件プラント建設作業等の諸行為(平成5年11月から平成6年12月まで)は「大量殺人の実行のために必要であるとともにその実行の危険性を顕在化させる準備行為として殺人予備罪に該当する」としたものである。

 予備行為の意義という観点からの本件の特色は※1、現実に既遂に至ったサリンによる大量殺人行為の共謀に参加していなかった被告人について、当該大量殺人の共謀共同正犯や殺人幇助が成立しないとしても、独立した事前のプラント建設という準備行為を取り出して、殺人予備罪の成立を認め、しかも、その始期が殺人の実行の着手から極めて遠い時点であっても(危険性が低い)、「実行の危険性を顕在化させる準備行為」として予備罪を認めている点にある(実際の殺人の着手既遂時は、松本サリン事件が平成6627日、地下鉄サリン事件が平成7320日であり、本件プラント建設に伴いサリンが生成されたのは平成511月であり、実行の着手は、サリン生成から7ヶ月後である)。※2

 本判決は、前述の三無事件判決(ア)の「各犯罪類型に応じ、その実現に「重要な意義をもつ」あるいは「直接に役立つ」と客観的にも認められる物的その他の準備が整えられたとき、すなわち、その犯罪の実行に著手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に著手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立する」との基準よりも緩和した基準で認定しているといってよいであろう(山中敬一・「サリン生成用化学プラントの建設と殺人予備罪」ジュリスト平成10年度重要判例解説145頁参照)。これは、三無事件に比べて、実行の着手への転化容易性・時間的切迫性の観点を緩和して「実行の危険性の顕在化」があればよいとするものである。

 この違いは、三無事件では、組織の体制が脆弱で構成員の行動の有機的統一性、機能性が弱かったが(そのため、射撃訓練やライフル2丁を購入していても騒擾罪及び殺人罪の予備罪が否定されている。騒擾罪が予定する暴行は一地方の平穏を害する程度の危険性であり、これに付随する殺人も多数人の暴動に付随するものであるとすれば、実行の着手にいたる前の準備段階の危険性は大規模な人的物的体制の確立、組織性に基づくことが要求される。)、他方、サリン事件では、組織の体制が強固で、リーダー(教祖)の意思支配のもと構成員の行動は有機的統一性・機能性が強い状態という点に求められる(私見。なお、本件準備行為が特殊的組織体における行為であり、サリンの生成工程が完成し結果的にサリンが生成されている点に着目し殺人予備を肯定するのは安里全勝・「判例研究 サリン生成用化学プラントの建設と殺人予備罪」山梨学院大学法学論集44号53頁)。

 

※1他人予備・予備罪の(承継的)共同正犯・予備の故意の問題点

 本件については、論点が多く、予備罪の始期のほかに他人予備の可否、予備罪の共同正犯の可否、同承継的共同正犯の可否、予備の故意といった問題があるが、判決は、すべて肯定している(学説は各々否定説が有力であるが、他人予備及び予備罪の共同正犯につき最決昭和37118刑集16111522頁は肯定説に立つ。傷害罪の承継的共同正犯を否定するのは、最決平成24116刑集66111281頁であるが、予備罪のケースにその射程が及ぶかは不明である。)。予備の目的を自己の犯罪目的のみならず他人が犯罪を犯す目的を含むと解しているようにもみえるが、単に予備の故意を「殺人の準備行為の認識」として、目的を故意に解消すると解しているならば、目的犯概念を不要とするもので不当との批判がある(山中・前掲146頁)。なお、他人予備の単独正犯を認めない見解にたった上で、予備罪の目的を構成的身分と理解し、651項により予備罪の共同正犯を認める見解もある(藤木、井田など)。

 

※2予備罪が問題とされるケース

 予備罪が問題とされる事例は、そもそも着手・既遂に至らない場合に立件されるケース(三無事件)と着手・既遂に至ったが、その共犯として処罰できない場合(具体的犯罪計画を知らない、因果性がないなど。いわゆる「共謀からの離脱」の離脱者の罪責もこれにあたる)に独立して予備罪として立件するケース(サリン事件)がある。前者のケースは極めて少なく実際には着手直前段階に達していた行為しか処罰されないといわれる(中山研一ほかレヴィジオン刑法2未遂犯論・罪数論15頁参照)。後者は事後的処理であり、犯罪予防上、組織犯罪の構成員をできるだけ広く網にかけて処罰するという観点が強い。それゆえ「予備罪による処罰の早期化というものが、本当に刑罰の介入段階を時間的に早期化しているのか、そうではなくて実際に起きた、実際に既遂までにいったような、あるいはその直前の未遂まできているような、社会的に問題化した事件について、関係者を広く処罰するために使われているのか、といった検証が必要」といわれている(中山研一ほか・前掲15)

刑事政策の基礎 特別編「いわゆるテロ等準備罪について その2…陰謀・予備罪の意義(下1)

 

() 裁判例

 ア 予備の定義について、最高裁判例は存在しないが、破防法39条・40条の「予備」の解釈に付随して、予備の定義の一般論を論じる東京地裁昭和39530日判決(下刑集656694)、「三無事件」)が著名である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%84%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 事案は、被告人らは、共産主義革命を阻止し、永久無税、永久無失業、永久無戦争の「三無主義」を標榜し、多数の有志や学生を動員し、機を見て武装勢力多数で国会を急襲し、左翼勢力を放逐し「三無政策」を実施しようと企て、武器等の入手を図り(現実にはライフル銃2)、映画ロケ名目で学生動員等を図ったが、構成員は、リーダー・幹部の命令一下危険な行動に赴く関係になく、学生動員も現実の決行予定日変更から役立つものとはいえないなどの事情のもと、破防法39条・40条の政治目的の騒擾罪・殺人罪の予備罪で起訴された件について、判決は予備の定義を詳細にのべた上で、騒擾罪・殺人罪の予備罪の成立を否定し、明白かつ現在の危険があったとして陰謀罪の成立を認めた。破防法の初適用事件である。

すなわち、

「一般に「予備」とは、「犯罪の実現を目的とする行為で、その実行に著手する以前の準備的段階にあるものをいう」と解されているが、犯意実現のためのすべての準備的行為が「予備」とされるわけではなく、おのずからそこには一定の限界がある。この点は、判例、学説によつても、明示的あるいは黙示的に、ほぼ承認されているところと思われる。(たとえば、殺人の目的で兇器を購入することはその予備と解されるが、単に金物店等で兇器を物色する程度では、たとい同様の目的からにせよ、未だ殺人の予備とはいえないであろう。いわんや、単に殺人の際の変装具をあらかじめ用意するだけでは、その予備にならないこと勿論である。)

 どの程度の準備が整えられたときに「予備」となるかについては、判例の見解は必ずしも明瞭でなく、学説もわかれており(学説は、「予備」について「犯罪実現を指向し、しかもいまだ実行の著手に至らざるもの」とか、「遠い未遂」とか、「結果惹起のための条件を設定し、実行々為を容易ならしめる行為」とか等抽象的に説くものと、「特定の犯罪のために危険な道具を準備するところに予備罪が成立し、またそれほど具体的にならなければ予備行為は存しない」とか、「物的な準備手段を講ずること」とか等、やや具体的に論ずるものとに大別されるが、各学説が挙げている例をみると、前記の例示の結論は承認されそうであるし、またこれらの説は、つぎに説く見解ともそれほど隔るところはないようである。)準備の方法、態様についても制限はないが、いやしくも「予備」を処罰の対象とする以上は、罪刑法定主義の建前等からいつても、予備行為自体に、その達成しようとする目的(いわば、本来の犯罪の実現)との関連において、相当の危険性が認められる場合でなければならないと考える。詳言すると、各犯罪類型に応じ、その実現に「重要な意義をもつ」あるいは「直接に役立つ」と客観的にも認められる物的その他の準備が整えられたとき、すなわち、その犯罪の実行に著手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に著手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立すると解するのが相当である。」

 

 イ さらにこの控訴審である東京高等裁判所昭和4265日判決(高刑集203351)は、原審を支持したうえで、予備罪の成立は、「客観的に相当の危険性の認められる程度の準備」ないし「近く、所期の目的の達成を目指す実行着手の域にまで至りうる程度に危険性が具体化しているかどうかを基準として、これを判定するのが相当」という。

 

 ウ 大阪高等裁判所昭和431128日判決(大阪高裁刑速昭和44542頁以下)は、「一般に強盗予備罪の成立には、強盗実行の意思の存在と、それが単なる内心の決意に止まらず該決意の存在を外部的に認識しうるような客観的事実を必要とする」として、包丁を窃取して、タクシー強盗の機会をうかがった事案について、包丁の窃取段階での強盗予備罪の成立を否定した。