再審無罪判決と検察官控訴 | 刑事弁護人の憂鬱

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再審無罪判決と検察官控訴

 

袴田事件の再審無罪判決が2024年10月9日、検察の控訴放棄により確定した。約58年にわたる殺人事件の決着がようやくなったものであり、捜査手続の違法性、死刑事件とえん罪、長期にわたる再審手続の問題など多岐にわたる論点が議論され、今後も検討されていくことは間違いない。これに加え、新たにこの再審無罪判決に対して検察が控訴を断念した際の検事総長の談話が物議を醸し出している。

 

2024年10月8日の談話を全文引用する。

引用元 NHK WEB

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241008/k10014604621000.html

 

検事総長談話 令和6年10月8日

◇結論

検察は、袴田巌さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。

 

◇令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応

本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。

 

他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。

 

そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。

 

◇静岡地裁判決に対する評価

本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。

 

しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。

 

加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。

 

それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

 

◇控訴の要否

このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。

 

しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。

 

◇所感と今後の方針

先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。

 

この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。

 

最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。

 

以上のコメントであるが、要約すると(1)衣類の血痕の赤みが味噌づけにされた状態で残存するかどうかの評価や証拠のねつ造の断定といった裁判所の判断に不服がある、(2)再審が長期化し被告人である袴田さんの法的地位が不安定になったこと、再審により不安定な状況が継続することは相当で無いと考慮して、控訴しないとしたということのようである。検事総長個人の判断ではなく最高検察庁を含む検察庁全体を代表しての談話であろうが、(1)を重視するのならば、むしろ控訴すべきであるし、(2)を考慮して、控訴断念することは第一審の無罪判決に従うということであり、第一審の判断を批判することは矛盾であるだけでなく、再審弁護団が主張するように無罪判決がでても被告人を犯人扱いにするに等しい。(この点、オウム事件おける警察長官狙撃事件について公訴時効が成立後、オウム真理教の信者が犯人と断定した捜査結果を警視庁が公表し、問題となったことと似ている。)

 

では、この談話の矛盾をどう評すべきかであるが、本件における控訴放棄をなんとなく「起訴猶予処分」のアナロジーで説明しているかのように読める。

つまり、控訴も検察官の公訴権行使の一態様とみれば、起訴するかしないかの場合と同様に控訴するかどうかについて、証拠に基づく立証可能性のほか、各種情状を含めた政策的判断も考慮されるという理解なのではないだろうか。すなわち、検察庁としては、本件は「控訴猶予処分」の認識なのではないだろうか。しかし、この考えは現行法制度上、採用し得ない。なぜなら、起訴猶予処分は、裁判所が関与しない、あくまでも検察内部の処分で、理屈としては、特別な事情があれば再起し、起訴することはできるが、控訴放棄は第一審判決(裁判所の判断)を確定させ、一事不再理から新たに起訴(控訴)することはできない以上、起訴猶予処分の考えは、控訴放棄と同一次元なものとして類推することは制度上できないからである。

 

そして、検察官の公訴権を行使する強い権限、これに由来する万能感、絶対間違いはないし、あってはらならないという無謬性の意識が、こういった談話の背景にあるのだとすると、捜査手続の問題性に本当に目をむけているのかどうか疑問もでてくる。

 

また、単に談話批判だけでなく、立法の課題として、無罪判決に対する検察官控訴を認めている現行法の制度的欠陥(英米法圏では陪審制度のもと無罪判決に対する検察官控訴を禁止している【二重の危険禁止の法理】)や再審手続の法的不備や取調における弁護人の立会が制度的に認められていない点も批判されるべきであろう。

なお、取調においてもビデオ録画が実施されていても検事の違法な取調が認定されたプレサンス事件、検事による証拠ねつ造が行われた郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)など近時の取調、捜査の違法性が認められた事件を考慮する限り、検察庁としては、本件の第一審裁判所の指摘も安易に批判はできないはずである。この点においても談話の(1)は無謬性への執着が感じられる。

 

無罪推定の原則、「疑わしきは被告人の利益」というのは、法の支配の原理を採用する近代国家の大原則であるが、この国においては無罪判決がでても、準司法官である検察がこれと矛盾する言動を躊躇しないという事実。「検察の正義」とは何か。選挙も近いが、こういったことも政治家には議論してもらいたいものである。

 

蛇足:上記談話は、善意にみて仮に被告人に対する「謝罪文」として見た場合でも、(1)はやはり蛇足で有り、いわゆる「炎上」を呼ぶことになるが(事実認定に不満がありながら、控訴せず、長い間不安定な立場にさせたことについて謝罪するというのは、犯人視したことに対する謝罪ではないことを意味してしまって、これでは、今後の国家賠償請求訴訟への周到な防御のようにみえる)、発表前検察庁内部で、(1)につき問題があると指摘がなかったとすれば、これこそ、検察組織内部の考えにしか目が向いていない証拠であろう。東京新聞の取材では、検察幹部は、今後、袴田さんを犯人ということはないと弁解しているようなので、(1)はやはり蛇足だったと思っているかもしれないが、撤回はしないでしょうね。https://www.tokyo-np.co.jp/article/359896