2025年、10月は自公政権の終焉とともに、日本維新の会と自民党の新たな連合政権の樹立という政権の構造の枠組の変更が生じた。日本の政治は、1990年代の政治改革からの小選挙区比例代表制並立制という二大政党制を指向したが、現実には2000年代の民主党政権の失敗から、二大政党制は形骸化し、2010年代の自民党の第二次安倍政権により一強他弱体制を経て、多党制への本格的移行したといえる。なるほど与野党ともに保守化、右傾化といったイデオロギー政党の復活やアメリカを中心に冷戦終了後の経済至上主義・新自由主義・価値観の多様性指向の流れに対する反発からの分断と対立の傾向といった世界的潮流に日本政治も影響を受けていることは確かである。
しかし、アメリカ的な二大政党制が日本の政治風土にマッチしていなかったことも事実であり、価値観の多様性の流れからすると多党制への傾斜は不可避といえる。1970年代後半から1980年代始めにかけて、自民党幹事長、内閣総理大臣を歴任した故・大平正芳は部分(パーシャル)連合を提唱していた。これは多数党(自民党)がねじれ国会などで単独過半数を維持できなかった場合、政策ごとに野党と連携連合をして安定的な政治を行うというものであった。イデオロギーよりも政策優位の機能的な政権構想といってもよい。部分連合というと閣内協力を意味しやすいが、実質は柔軟に政策課題ごとに野党と協力していく、いわばアルカルト政権である。
ここまできて、この考えが、近時の政局で保守系野党が唱道していた政策本位、政策ごとの協力の意味と同じであり、まさにこの大平の部分連合が現実化していることに気付くのである。日本維新の会は、自民党と連立合意をしたが、閣内でなく閣外協力ですすめていくとのことであり、正に部分連合あるいはアルカルト政権であり、公明党からバトンタッチして疑似政権交代ともいうべき状態を作り上げたといってよい。当の本人達は、大平の部分連合論をあまり意識していないかもしれないが。もっとも、この部分連合も、考え方を同じくする政党同士で行われると少数党が多数党に引っ張られたり、吸収され独自性を失ってしまうというリスクもある。他方、部分連合の醍醐味は、政策課題ごとの協調であるから、考え方=イデオロギーが異なっていても、個別に、アルカルトに部分連合することも、また理論的に可能である。機能的な政権枠組としての柔軟性が、水と油のイデオロギー論争からの対立を乗り越える契機を与えるといってよい。ある意味、ぬえ的であり、かつての(昭和の)自民党的な発想ではあるが、分断と対立の世界潮流に対して、解決する、あるいは乗り越える智慧を提供する方法論の一つともいえないだろうか。新たな多党制の時代、軌道にのるまでは、与野党ともに、まだまだ七転八倒すると思うが、時代が変わりつつあることは、筆者を含め多くの人々は感じ始めている。