実務からみた刑法総論「共謀と実行」その3 | 刑事弁護人の憂鬱

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(2)練馬事件判例と客観説

最高裁昭和33年5月28日大法廷判決[刑集12・1718]は、共謀共同正犯の成立要件と共謀の意義内容について、戦後の判例として初めて詳細に判示したものであり、戦前の判例と同様に共謀共同正犯を認めることを明言したものである。また、理論上、戦前の共同意思主体説的な団体責任の観点※からでなく、間接正犯類似の個人責任の観点から基礎づけるものとの評価もある(藤木など)。

すなわち、判決は、

共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない。したがつて右のような関係において共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しない者でも、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行つたという意味において、その間刑責の成立に差異を生ずると解すべき理由はない。さればこの関係において実行行為に直接関与したかどうか、その分担または役割のいかんは右共犯の刑責じたいの成立を左右するものではないと解するを相当とする。他面ここにいう「共謀」または「謀議」は、共謀共同正犯における「罪となるべき事実」にほかならないから、これを認めるためには厳格な証明によらなければならないこというまでもない。しかし「共謀」の事実が厳格な証明によつて認められ、その証拠が判決に挙示されている以上、共謀の判示は、前示の趣旨において成立したことが明らかにされれば足り、さらに進んで、謀議の行われた日時、場所またはその内容の詳細、すなわち実行の方法、各人の行為の分担役割等についていちいち具体的に判示することを要するものではない。」

 「数人の共謀共同正犯が成立するためには、その数人が同一場所に会し、かつその数人間に一個の共謀の成立することを必要とするものでなく、同一の犯罪について、甲と乙が共謀し、次で乙と丙が共謀するというようにして、数人の間に順次共謀が行われた場合は、これらの者のすべての間に当該犯行の共謀が行われたと解するを相当とする。」

と判示した。

 共謀共同正犯の成立要件論ないし理論的基礎付けについては後述することとして、ここでは判例が明示した「共謀」の意義について検討する。

 同判例は、①共謀を「二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となつて互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議」としている。②それは、罪となるべき事実で有り、厳格な証明の対象となるが、共謀の判示は、前示の趣旨において成立したことが明らかにされれば足り、さらに進んで、謀議の行われた日時、場所またはその内容の詳細、すなわち実行の方法、各人の行為の分担役割等についていちいち具体的に判示することを要するものではないという。また、③共謀は、共犯者が一堂に会して行われる必要はなく順次に成立することも認められるという(順次共謀の肯定)。

この点①の点をみると、共謀とは特定の犯罪を行うための客観的な謀議行為と理解しているようにもみえ、そう評価する見解も有力である(共謀の意義における客観説 最高裁調査官解説)。この客観説は、共謀共同正犯の成立範囲をかなり絞り込むものであり、同判例は、成立範囲が拡張されるきらいがあった共謀共同正犯の成立範囲を厳格に解釈するものと評価される。しかしながら、②及び③の点をみると、同判例が厳格に客観説を採用しているとはいいにくい点がある。すなわち、②共謀が罪となるべき事実で厳格な証明の対象となるが、その判示方法として謀議の行われた日時場所その内容の詳細(実行の方法、役割分担等)が具体的に判示されなくてもよいというのである。しかも③連鎖的な順次共謀も肯定するということであり、共謀の立証は、かなり緩やかで有り、具体性をもって明確かつ厳格に認定されなくてもよいことになる。

 客観説の考え方は、二人以上の事前の共同謀議を経て、実行に至る犯罪実現プロセスを一つの共謀共同正犯の典型例として把握するものである(事前共謀・謀議型)。しかも謀議にしか参加していない共謀者にとって、自己の刑責を基礎づける事実は、謀議の事実つまり共謀の事実であり、これが具体的に訴因として明示され(日時場所方法等)、認定上具体的に判示されなければ、刑事手続き上の防御は著しく困難となる(学説には、この点を考慮し、謀議にしか参加していない共謀者について[真正共謀共同正犯]、共謀の事実について日時場所方法等を具体的に訴因として明示すべきとの見解が有力である。)。共謀の具体的判示が不要だとすると、同判例のいう共謀は、実質的には客観的謀議行為そのものではないという評価も可能である(ただし、練馬事件判例を踏襲し、客観的連絡謀議の厳格な証明が必要として、その存在に疑いが残り、厳格な証明があったとはいえないとして判示した松川事件※※多数意見がある。)。つまり、同判例は、事前共謀・謀議型の事例についての共謀共同正犯が成立することを明示するものであり、事前共謀・謀議型の事例についてしか共謀共同正犯の成立を認めないとする立場をとるものではないということである。これは、後のスワット事件判例をみるとより明確になる。

 

※戦前の判例の変遷

 当初は詐欺罪などの知能犯に共謀共同正犯を肯定していたが、昭和11年の大審院連合部判決(大判昭和11・5・28刑集15・715)は、実力犯の場合も肯定し、共謀共同正犯の成立を一般化した。この判決は、いわゆる共同意思主体説(団体責任論)的な表現により、共謀共同正犯を肯定したことで著名である。

 

   ※※松川事件(最大判昭和34・8・10刑集13・9・1419)

 多数意見は、汽車転覆致死等被告事件において、二つの謀議を結びつける二つの連絡謀議の存在について(順次共謀型)、これを支える自白等の変遷から、疑いがあり、厳格な証明はなされていないとして、謀議参加者に対する有罪判決を破棄し差し戻した。

これに対し、田中裁判官の反対意見は、共謀に関する主観説[合意説]に立ちながら、連絡謀議の存在が認められないとしても、他の証拠からこれとは別の何らかの意思連絡、意思の合致が認めることができるのであれば、共同正犯を認めてもよいという。しかしながら、多数意見が指摘するようにこの考えは、「連絡謀議に代るべき何ものかを想定しようとするものであって、もとより、原判決の認定の趣旨に副わないところであるばかりではなく、共謀共同正犯における共謀または謀議は罪となるべき事実であって、その認定は厳格な証明によるべき」であり、「検察官すら主張せず、従ってまた原判決も認定しなかったような、共謀または謀議に類する事実を、ここに自ら新しく認定するが如きことは、上告審たる当審として、なすべきでことではない」と解するのが妥当である。けだし、当事者が争点としていない事実について、事実審でない上告審が認定することは、当事者主義構造にもとり、不当な不意打ち認定で有り(その後の上訴審における攻防対象論や争点逸脱認定を違法とする考えを採用する判例は、このような考えに立っているといえる)、適正な手続きとはいえないからである。このことわりは、主観説の立場でも通じるものである。とくに順次共謀は、一つの共謀が次の共謀に順次連結していくわけであるから、主観説でも意思連絡ないし合意の成立形成とその最終的成立時期は、「罪となるべき事実」とみるべきであろう。なお、本件は、差戻審及びその上告審で無罪が確定している(最判昭和38・9・12刑集17・7・661)。