4 行為共同説と構成要件関連性…罪名独立性の限界
(1) 行為共同説は、異なる構成要件、罪名であっても共犯の成立を認める(罪名独立性)。例えば、殺意を持った者と傷害の故意を持った者が共同で被害者に暴行を加え死亡させた場合、殺意のある者に殺人罪の共同正犯、傷害の故意のある者に傷害致死罪の共同正犯が成立する。窃盗を教唆したところ、正犯が強盗を実現した場合、窃盗の教唆犯、強盗の正犯がそれぞれ成立する(共犯過剰)。ここまでは、第1説、第2説、第3説は共通の結論となる。
逆に強盗を教唆したところ、正犯が窃盗を実行した場合はどうか。第1説からは、強盗教唆の未遂、窃盗の正犯、第2説からは、強盗の教唆犯、窃盗の正犯、第3説からは、窃盗の教唆犯、窃盗の正犯が考えられる。ただし、第2説でも強盗結果が惹起されていないので、共犯の錯誤として、窃盗の教唆犯の成立にとどまるとの解釈も可能である。この場面では、罪名独立性を徹底できるのは、第1説ということになる。
では、故意犯と過失犯との間に共犯は成立するか。例えば、Aは熊だと思ってBと一緒に射撃をしたが、Cにあたり死亡した場合、BにCに対する殺意があった場合、第1説、第2説からはAに業務上過失致死罪の共同正犯、Bには殺人罪の共同正犯が成立することになる(山中敬一・刑法総論Ⅱ初版802頁参照)。第3説の処理は不明だが、過失致死罪の共同正犯を肯定する立場に立てば、同様の結論をとることは、理論上可能であろう。なお、部分的犯罪共同説の立場では、軽い業務上過失致死罪の構成要件の重なり合いを認め、かつ過失の共同正犯を肯定する立場に立てば、重なり合う業務上過失致死罪の共同正犯がAに成立し、Bには、業務上過失致死罪の共同正犯を内包する殺人罪の単独正犯が成立するとの解釈も不可能ではない。
身分者の非身分者に対する教唆、例えば、公務員は非公務員である妻に賄賂を収受するよう教唆して妻が賄賂を収受した場合(非公務員の収賄罪の正犯の基本的構成要件は存在しない。非公務員は贈賄罪という関与形態の基本的構成要件があるのみである。)、通説は、正犯者である妻には身分犯である収賄罪は成立しないので、従属性の見地から収賄罪の教唆犯は成立しないが、「身分なき故意ある幇助的道具」として、公務員に収賄罪の間接正犯を認める。非公務員である妻はその幇助が成立するという。
これに対し、行為共同説の第2説は、公務員に収賄罪の教唆犯、非公務員に収賄罪の幇助犯を認める。この考えは、教唆者からみて、厳密に構成要件該当事実がなくとも、違法な実行と評価できる場合、法律上正犯が成立しなくても、いわば「事実上の正犯」が存在すれば、教唆犯が成立するとの理解に立っている(中義勝など)。しかし、この見解は正犯の擬制でしかなく、非公務員に幇助を認める場合、非公務員から見て、公務員である教唆者を「事実上の正犯」と評価せざるをなくなるが、61条、62条の解釈としては疑問があろう(山中・前掲777頁参照)。
そこで、刑法65条1項の「犯罪行為」は構成的身分犯の正犯のみならず共犯を含むと解し、同条項を通じて、公務員に収賄罪の教唆犯、非公務員に収賄罪の従犯を認める見解もある(山中・前掲777頁から778頁参照)。
しかし、これはまさに「正犯なき共犯」であり、実行従属性を維持するとはいえ、実質的には独立性説であり(正犯不要説。むしろ共犯[教唆犯]は共犯[従犯]に相互に従属していると解している)、しかも、未遂処罰規定のない収賄罪の教唆・幇助行為自体を可罰的とするものであって、教唆の未遂、幇助の未遂を罰する実行独立性説・共犯独立性説よりも処罰範囲は拡大している。もっとも、教唆犯、幇助犯の既遂に正犯の存在は不要と第1説が考えるならば、第2説と同じ結論をとることは理論的に可能であろう。
なお、第2説で疑問に思うのは、賄賂罪は対抗犯であり、非公務員は贈賄罪の主体とされているところ、非公務員を65条1項を通じて収賄罪の幇助とするより、加減的身分犯に準じて同条2項を準用し贈賄罪の従犯とするほうが、純粋惹起説・行為共同説・罪名独立性の趣旨に適合的ではなかろうか。なぜか同一罪名の共犯成立とする罪名従属的な帰結は、本説の基本思想から違和感を感じる。
(2)問題は、構成要件が重ならない場合の共犯の成否である
例えば、屏風の後ろにいる被害者を殺そうと思って、それ知らない者に「屏風を撃て」と命じて、被害者を死亡させた場合、命じた者に殺人罪の教唆犯が成立するか。すなわち、教唆者は殺人の故意、正犯者は器物損壊の故意しかなかった場合、構成要件の重なり合いはないが、共犯が成立するのかどうかである。
第1説、第2説は、殺人罪の教唆犯を認める。罪名独立性を徹底するのである。正犯者は、器物損壊の故意を有しており、規範的障害ないし道具とはいえず、間接正犯は成立しないと特に第2説は解している。これに対し、第3説は、教唆犯を認めず、通説と同様に殺人罪の間接正犯を認める。構成要件の一部共同がないと解するのか、教唆犯は同一罪名の正犯故意に従属すること(罪名従属性)と考えているのかは明瞭でないが、行為共同説の個人責任の思想は徹底せず、従属性の思考が及んでいるといえる。
(3) 以上、個別の解釈論帰結は、罪名独立性を徹底するのは第1説であり、間接正犯を否定するあまり、共犯の拡張解釈が正犯不要にいたり、実質第1説に限りなく近づくのが第2説であり、構成要件的制約を枷として従属性の思考を導入して、通説の間接正犯の成立範囲、部分的犯罪共同説に接近するのは第3説といえる。
共犯成立における構成要件関連性という観点からは、第3説は、これを従属的、犯罪共同的な思考による共犯処罰の限定性と考えているようにもみえる。第2説も共犯成立に構成要件該当性を当然認めるが、それは各共犯者の共犯行為の観点から個別的に判断するものであって、従属性的思考とは一線を画している(山中・前掲751頁参照)。