刑法思考実験室 「行為共同説の理論的意義」その1 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑法思考実験室 「行為共同説の理論的意義」その1

 

1 はじめに

共犯は何を共同するか、共犯は同一罪名にしか成立しないのかなどの問題に絡み、行為共同説と犯罪共同説の対立論争があったことは日本の刑法学説史上、周知のことである。この理論的問題提起は、20世紀前半に新派・主観主義の牧野英一博士によって、なされ、フランス学説の数人一罪の思想(共犯従属性的思考)のモデルとして「犯罪共同説」を措定し、主観主義、個人責任の立場からは数人数罪、つまり「行為共同説」が妥当と主張された。それゆえ、行為共同説は主観説とも呼ばれ、犯罪共同説は客観説ともよばれた(団藤博士らの分類法)。しかし、行為共同説は、その後、客観主義刑法学の立場からも主張され、今日では、因果的共犯論・結果無価値論と親近性のある見解と位置づけられている(平野、内藤など)。そこで、様々な論者から主張される「行為共同説」の理論的意義について、やや詳細に分析してみたい。

 

2 行為共同説のバリエーション

(1)第1説…主観説 純粋独立性モデル

牧野説のオリジナルは、共犯を個人責任の観点から分析的に理解しようとするものであり、行為者が他の行為者の行為または事実を「共同」して各人の犯罪を実現することと理解するものである(これは犯罪共同説が、全体的・連帯責任・団体責任の思想の残滓があり、近代的な個人責任の原則に適合しないとの理解に基づく。)。この見解は、平野博士のいうところの従属性・独立性の区分論に従えば、①共犯の成立は、各共犯者ごとで検討すべきものであって、その未遂は共犯行為自体の未遂で可罰性を判断し(実行独立性・反社会的性格の徴表は共犯行為自体にみとめられる:主観的未遂論)、②正犯に犯罪が成立するかどうかは共犯の成否には関係がなく(要素従属性の無意味性)、③共犯の罪名は当然各共犯者ごとで個別に判断することになる(罪名独立性)。④この見解はさらに意思連絡すら共犯の要件としては不要として、片面的共犯を肯定するし(間接正犯を認める実益はない)、故意共同も不要とするから過失の共犯も肯定される。本説こそが、後述する「拡張的共犯論」の名称がふさわしいものであるし、行為共同説の純粋独立性モデルである(なお、前田らはこの第1説を「かたい行為共同説」と呼び、後述の第3説を「やわらかい行為共同説」と呼ぶが、「かたい」「やわらかい」の言葉のイメージから前者のほうが共犯成立範囲が狭く、後者のほうが広く感じるが、実際には逆であって、日本語の語感からも正確な意味からも適切な呼称とはいいがたい。論者の意をくんで、あえていえば前者が「拡張的な行為共同説」、後者が「制限的な行為共同説」といえよう。しかし、この分類では次の第2説の位置づけが明確にならないので分類法としては不十分なところが残る。)。

(2)第2説…客観説その1 実行従属性モデル・拡張的共犯論

佐伯千仞、植田重正、中山研一、中義勝、山中敬一らの説による客観主義の立場からの行為共同説の特色は、①客観的未遂論の立場から、共犯の未遂は正犯の実行の着手を要求するが(実行従属性)、②要素従属性については、必ずしも正犯の構成要件該当の違法行為を要求することなく、単純な違法行為あるいは法益侵害に従属するとし、③共犯者ごとで罪名を判断するので罪名独立性となる。④また、この見解は正犯の実行行為性の客観性・形式性を重視し堅持することから(制限的正犯概念+形式的客観説)、間接正犯の成否を消極に解して、その反面、共犯の成立範囲を拡張する見解でもある(正犯なき共犯の肯定 拡張的共犯論)。本説は、第1説に比較して、客観主義の見地から、行為共同説を一部修正する実行従属性モデルである。

(3)第3説…客観説その2 構成要件的行為共同モデル 

平野龍一、内藤謙、西田典之、前田雅英、山口厚らの客観主義・結果無価値論の立場からの説の特色は、①客観的未遂論の立場から実行従属性を認め、②共犯の成立には正犯の構成要件該当の違法な行為が必要条件とする(制限従属性)または正犯の構成要件該当行為で足りる(最小従属性)とし、③共犯の罪名については罪名独立性を原則維持する。そして、④構成要件の一部共同ないし重要部分の共同を要求する。この説は、行為共同説を構成要件ないし違法の連帯性の観点から修正する(違法な)構成要件的行為共同モデルである。しかし、この見解は、いわゆる部分的犯罪共同説と接近し、相違点は③の点しかなくなってしまう。平野博士は、この見解を本来の行為共同説[犯罪行為のすべてでなくその一部の共同でたりるという意味での部分的犯罪共同説]と呼ぶが、オリジナルの第1説からすると、構成要件的制約を大幅にみとめており、かなり変質化した見解というべきである(従属性的変容した見解であり、「本来の」行為共同説とはいえない)。④なお、この見解は、正犯の実行行為性ないし正犯性について、制限的正犯概念+実質的客観説を採用し、間接正犯を通説と同様に積極的に認めており、かつ正犯故意の従属性を肯定し、正犯なき共犯は否定的である。この点で通説的な犯罪共同説・制限従属性説との差異はない。

 

(以下、続く)

次回項目

 

3 行為共同説と因果的共犯論…共犯の因果性と限定性の意義

4 行為共同説と構成要件関連性…共犯の錯誤と罪名独立性の限界

5 行為共同説と間接正犯・共同正犯…行為共同説の理論的意義の転換