6 部分的犯罪共同説の再定義
(1)部分的犯罪共同説と刑法38条2項の関係
ア 刑法38条2項の規範的意義
刑法38条2項は、
「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。」
と規定する。
平成7年現代用語化改正前の刑法38条2項(明治40年制定時)は、
「罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス」
と規定されていた。平成7年改正時の立法者は現代用語化によっても従前の意味は変わらないと解している。※
※刑法38条2項の沿革
同条項の沿革は、明治時代以前の8世紀、古代中国(唐王朝)の刑罰法規(「唐律」)を継受した大宝・養老律に遡り、明治初年の仮刑律、新律綱領、旧刑法77条3項に受け継がれ、現行刑法もこれを継承しているものである(団藤重光・刑法綱要総論第三版302頁参照)。
38条2項は、その文理からみて、客観的に重い罪を実現しても、主観的に重い罪にあたる認識がない場合は、「重い罪によって処断することができない」とするものである。これは、抽象的事実の錯誤(構成要件を異にする錯誤)のうち、軽い罪の認識で重い罪を実現した場合を定めたものと解されている。問題は、「処断することができない」の意味である。
通説及び今日の判例は、「重い罪の犯罪は成立しない」の意味と解している。判例通説の依拠する法定的符合説(構成要件的符合説)によれば、故意は各構成要件に対応するものであるから(故意の構成要件関連性)、38条2項は、重い罪の故意がない場合は、重い罪は成立しないという当然のことを規定した注意確認規定にすぎず、規範内容上、消極的意味しかもたない(藤木英雄・刑法講義総論155頁、内藤謙・刑法講義総論下Ⅰ999頁、前田ほか編条解刑法第2版138頁参照。なお、後述するように法定的符合説の立場でも積極的意味を付与する解釈は不可能ではない。)。しかし、法定的符合説は、軽い罪の犯罪について、構成要件の重なる限度で故意犯の成立を認める(この「重なり合い」の基準の問題については本稿では割愛する。各種刑法総論教科書・コンメンタール等を参照してほしい。)。38条2項は、軽い罪について「処断することはできない」と定めていないからである。
これに対し、判例通説と異なり、刑法38条2項の規範内容に積極的な意味を与える解釈をとる見解がある。すなわち、①抽象的符合説の立場から、38条2項は、抽象的符合の制限規定と解する見解(牧野英一・重訂日本刑法上236頁参照)、また、②同条項は、重い犯罪の成立を認めて、処断すべき刑罰は軽い罪の法定刑に従うと解する見解(罪名科刑分離説。宮本英脩博士の可罰的符合説、植松博士の合一的評価説など。なお、旧判例の表現にはこの解釈をとるように見えるものがある。)である。罪名科刑分離説に対しては、法定的符合説から罪名は成立する犯罪に対する質的評価の差異を示すものであるから、犯罪と科刑の分離を認めるべきでないとの批判がある(内藤・前掲999頁)。
イ 共犯論と錯誤論の交錯
共犯過剰においては、共犯論と錯誤論が交錯する。すなわち、犯罪共同説の立場では、共同正犯の成立要件である共同実行の意思の問題と錯誤論が競合してしまうのである。犯罪共同説を徹底すれば、共犯過剰では、共同実行の意思は認められず、共同正犯は成立しない。しかし、錯誤論における解釈を経由して、故意の成立、つまり故意の共同である共同実行の意思を肯定できれば、共同正犯は成立することになる。法令適用における「客観的に重い罪の共同実行の該当性、38条2項により、軽い罪で処断する」との形式は、まさにこのような考えを表現するものである。そして、この法令適用が罪名科刑分離説と結びつくと、38条2項は、犯罪共同説の成立範囲を修正拡張する特別規定と位置づけることになろう。これは同時に38条2項を法定的符合説の修正拡張規定と解することと同じである。※
※罪名科刑分離説と法定的符合説
既にのべたとおり、罪名科刑分離説は、抽象的符合説と結びつけて主張されてきた。しかし、法定的符合説を前提にしつつ、38条2項はその例外修正規定(罪名科刑分離説)と解釈することは可能である。
その際に「構成要件の重なり合い」を同条項の適用要件として読み込めば、重い罪名従属の意味であるが、一種の部分的犯罪共同説ともいえなくもない(前田らがいうところの「かたい部分的犯罪共同説」という呼称は善解すればこのような見解を意味するのであろう。)。なお、団藤・前掲303頁は「唐律以来、38条2項に相当する規定の疏議には、構成要件の重なり合うばあいだけが例示されていたことを、注意しておかなければならない」とあり、38条2項に構成要件の重なり合いを読み込むことは沿革的にも無理がないともいえる。