刑事手続きの基礎 「訴因の特定と被害者の氏名…被害者匿名起訴の問題」その2 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑事手続きの基礎 「訴因の特定と被害者の氏名…被害者匿名起訴の問題」その2



4 被害者氏名の不記載の類型

 被害者も罪となる事実の一部である以上、その特定がなされていなければ、起訴は無効となり、公訴棄却の手続き打ち切り判決となる(刑訴法338条4号)。

 

(1)まず、被害者の氏名が訴追側にそもそも不明な場合である。たとえば、ホームレスや身元不明の殺人の被害者などの場合が考えられよう。この場合は、覚せい剤の場合の日時場所方法の概括的記載や、被告人が完全黙秘をしている場合などと同様に氏名以外の事実により、できる限り特定すれば足りる。たとえば、被害時の服装、推定年齢、身体的特徴などにより当該事件の犯罪被害者であることができる限り特定されることになる。この場合は、現行法の解釈運用で足り、立法的手当をする必要はない。

 

(2)次に、被害者の氏名が訴追側に判明しているが、被害者側が氏名を秘匿することを要望していた場合である。実務においては、最近出てくるのはこのケースである。

 

 ア 被告人・弁護人が同意している場合

   訴因の特定の趣旨が、審判対象の明確化とともに被告人の防御の範囲を明確化することにあるのならば、被害者の氏名の記載がなくても、他の事実により特定識別ができ、被告人・弁護人が同意している限り、訴因の特定の瑕疵はなく起訴状は有効と解すべきである。つまり、現行法の解釈運用によっても、この場合ならば、対応できる。自白事件の場合は、ほとんどこの処理が可能であろう(冒頭段階で検察官に釈明、これに対する被告人・弁護人の同意の確認という形で裁判所による確認を行う。一種の訴因の補正)。

 

 イ 被告人・弁護人が同意していない場合

      しかし、否認事件の場合は、被告人・弁護人の同意が得られる可能性は低い。そうすると、検察官としては、(1)の場合に準じて、氏名以外の方法で被害者の特定識別する事実の記載を図り、訴因の特定の問題を回避することが考えられる。この理論的問題点は、検察官が氏名という被害者個人の特定識別機能を果たす重要な事実を知りながら、あえて記載しないことが「できる限り」の特定を要求する法の趣旨に適合的かという点である。政策的問題点としては、この場合、被害者側が氏名を秘匿する理由は、被告人に氏名を含む自己の情報を開示したくないというプライバシーの利益であることが考えられるが、氏名秘匿の代わりに、被害者の具体的な特徴を事実記載することは(たとえば、被害児童の氏名を秘匿し、その親の氏名を記載して特定するなど)、かえって、開示されるプライバシー情報の範囲を拡大することになり、被害者からすれば本末転倒となってしまうというおそれがある。また、被害者の二次被害防止を被害者氏名秘匿の積極的理由とすることは、刑事手続き上の精神的負担については、既に氏名秘匿の尋問・朗読が図られているし、仮に被告人による仕返しや再度の犯行(ストーカー事例)を考えると被告人が起訴の段階で犯行を行ったことを前提にするので、無罪推定の原則、予断排除の原則に反する恐れがある。

   なお、一歩進めて、児童虐待のケースで被告人の氏名を出すことは、被害児童を秘匿しても,身分関係から特定されてしまうということがありうる。この場合、被害者保護から、被告人も匿名、被害者も匿名という起訴状を認めることには、匿名裁判を認めることになってしまい裁判の公開性・公正性等の観点から疑問を感じる(もちろん、起訴状に氏名を記載した上で起訴状朗読の段階で秘匿することは290条の2の趣旨に照らし、問題は生じない)。

 

   では、立法論的にこの場合、まず例外的に起訴状に関し被害者の氏名秘匿の要望があり、そのことについて合理的理由がある場合は、被告人・弁護人の同意にかかわらず、氏名不記載を認め、年齢性別だけで特定としては足りるとの特別規定を置くことが考えられないか?

   つまり、氏名秘匿の合理的理由(相当性)がある場合は、氏名を記載しなくても「できる限り」訴因を特定したものとみなすという修正例外規定を置くと言うことである(A案)。

 

   なお、かかる氏名秘匿起訴を有効とする範囲も法291条のように性犯罪・児童虐待等に限定することが望ましい。けだし、例外的にせよ、氏名が判明しているにもかかわらず氏名秘匿による訴因特定を肯定することは、その反面として被告人の防御の利益が後退することに間違いないからである。そのフォローとしては、起訴状以外の証拠記録上は、少なくとも弁護人に対しては、氏名を開示することを保障することである(そのためには、相当性判断前までに証拠開示はなされなければならないし、閲覧はともかく、謄写においては、わいせつ事件の記録謄写の運用と同様にマスキングした形でしか認めないという形でバランスを図る)。

   もちろん、弁護人から被告人に対して氏名が漏れるのは不都合ではないかという考えもあり得るが、弁護人に被害者の氏名の法的秘匿義務(違反は罰金等の制裁を科すなど)を科すことは、疑問であり、弁護士倫理の問題に委ねざるを得ないのではないか。弁護活動の萎縮等を考慮すると、現行刑訴法第290条の2第4項による規制が限界であろう。

 

A案 被害者の要望+秘匿の合理的理由(相当性)の有無+ただし、開示証拠は弁護人の限度で氏名は開示する。

 

   次に、もっと簡明な立法論としては、法290条の2を参考にし、画一的判断で例外をみとめるのならば、罪名を限定し、その際の特定方法を年齢性別で足りると刑訴法上規定を置き、証拠開示上、氏名秘匿もみとめ、ただし、その秘匿が被告人の防御を害しないよう配慮するという形をとる(B案)。

 

B案 一定の罪名の被害者氏名秘匿=「年齢・性別」による特定の許容+証拠記録上の氏名秘匿も許容

 

   なお、被害者のプライバシーという点からは、証拠記録上、身元を特定する本籍・住所・職場・家族関係など被害者特定事項も秘匿(マスキング)が要求される可能性が高い。証拠記録上の秘匿は、被害者情報が犯罪事実及び量刑資料に直接関係しない身上関係等においては、むしろ検察官が証拠請求しない形でカバーすべきことと思われる。

 

5 被害者氏名秘匿の不都合性

 

   法290条の2の趣旨に鑑み、被害者保護、特に性犯罪、児童虐待のケースにおいては、起訴状の氏名秘匿も十分考慮すべき問題であるが、それが起訴状を含む刑事裁判等公的訴訟記録上、完全に秘匿することが望ましいかどうかである。

   被害者としては、第一に被告人、第二に社会(特に地域、職場、学校)に対して知られたくないという心情からくる秘匿のプライバシーはもっともである反面、記録上も完全匿名では、第一に保釈の被害者の接触禁止条件についての氏名秘匿は、かえって被害者にとって不利益である。第二に被害者参加制度や損害賠償命令制度の利用についても、やはり記録上も氏名秘匿というのは不都合である。特に損害賠償命令は、確定裁判と同一の効力を生じる以上、当事者である被害者の氏名の記載は不可欠であろう(そうでないと当事者不明では、執行の範囲が不明となり民事執行ができなくなる。)。

 そうなると、むしろ、起訴状の被害者氏名秘匿は、限定的例外的場面とし、証拠記録上は、被害者氏名の秘匿は弁護人開示で調整するというA案とB案の折衷のほうが望ましいかも知れない(C案)。なお、保釈決定の接触禁止条件「起訴状記載の被害者との接触を禁止する」とするだけで十分であるかどうかは一つの問題として残る。

 

C案 一定の罪名の被害者氏名秘匿=「年齢・性別」による特定の許容+ただし、開示証拠は弁護人の限度で氏名は開示する。

 

 6 現行法上の事実上の氏名秘匿での運用

 

   以上のように立法論として考察しても、やはり問題をすべてクリアできないとすると、起訴状等の被害者氏名は記載しつつ、その朗読や証拠開示による現在の事実上の氏名秘匿で運用するほうが、無難かも知れない(D案)。なお、二次被害の防止に関しては、手続き上の精神的負担を完全に除去することは困難であり、被告人からの再犯等のおそれについて仮に常習性が疎明される被告人に対しては保釈や仮釈放後の電子監視等の立法が考えられるが、これは匿名起訴の問題とは別次元の話であろう

 

7 まとめ

 以上、縷々、検討したが、刑訴法290条の2を超えて起訴状記載まで被害者特定事項の最たる「氏名」を秘匿することは、手続きの他の部分に波及する効果が広く、これをフォローするためには、被告人・弁護人の防御への配慮とともに詳細な立法技術的調整が必要である。また、そもそもの立法事実としての「匿名起訴」の「必要性」の具体的な吟味が議論されなければならないと思われる。拙速な立法は厳に慎まなければならないだろう。弁護士会、裁判所、検察庁、国会、社会一般において、情緒に流されず慎重な議論・検討を期待したい。