刑法思考実験室「誤想防衛と過失犯…積極的事実の過失と消極的事実の過失」
1 誤想防衛、すなわち急迫不正の侵害が客観的にないのにあると誤信し防衛行為にでた者に対して、違法性を基礎づける事実の錯誤として故意を阻却し、過失犯が成立するという(団藤など通説)。正当防衛は適法な事実であり、違法な事実の認識がない以上、違法性の意識を喚起することはできず、故意責任を基礎づける直接的な反対動機形成可能性を期待できないからである。
2 犯罪体系論上の問題としては、構成要件的故意と責任故意の二重の地位を認める立場からは(団藤、大塚など)、構成要件段階で故意犯であった行為が責任段階で故意が阻却され、過失犯が成立するということになる。団藤説自体、この点の説明は明瞭でない。過失犯が成立するということは、遡って故意の構成要件該当性が否定され、過失の構成要件該当性が肯定されることを意味するのならば(ブーメラン効果)、構成要件段階で故意を認める意味がないし、構成要件の犯罪個別化機能を無意味にする。
また、構成要件的故意に構成要件的過失を含むとして、正当化する見解も故意と過失を構成要件で区別できないことを露呈するだけである。
そこで、構成要件的故意を否定し、責任要素としての故意しか認めない見解(平野、内藤など)や構成要件と違法性阻却事由を合体させ、誤想防衛を構成要件的故意阻却として体系矛盾を回避する見解もある(消極的構成要件要素の理論 中義勝など)。
3 しかし、これらの論争は、単に故意の犯罪論体系上の地位の問題のドグマにしかすぎず、過失犯の観点からみた場合、誤想防衛における過失の対象は何かということがあまり意識されていない点こそが重要な問題である。すなわち、AがBに対し、Bが自己を襲ってくると誤信し、暴行傷害を加えた場合、誤想防衛として暴行傷害の故意が阻却されるにしても、いかなる事実について、いかなる過失が問題となるのか。
4 通常の過失犯の場合は、傷害結果を予見でき、傷害結果を回避できたにもかかわらず、予見せず、回避しなかったことが「過失」とされる(新過失論)。ここでの過失、つまり予見の対象及び回避の対象は傷害結果である。では、前述の誤想防衛の事例における過失、つまり予見及び回避の対象は何か。Aは暴行傷害の事実については現に予見しており、回避行動もとっていない。
この点だけみれば、Aには故意の傷害罪が成立するが(厳格責任説は、このような形式的な理解をとる。)、「Bが自己を襲ってくる」=急迫不正の侵害の事実がないのにあると誤信した点が通常の故意の傷害罪と異なるである。そして、この誤信は、通常の過失のように「客観的事実があるのにないと誤信した」場合=積極的な事実についての誤信ではなく、「客観的事実がないのにあると誤信した」場合=消極的な事実の誤認という特色をもつ。
よって、誤想防衛における過失は、「急迫不正の侵害の事実がない」という消極的事実を対象とするものである。つまり、「急迫不正の侵害の事実がない」状況での結果の予見をし、結果を回避すべきにもかかわらず、その予見をせず、回避をしなかったことが、誤想防衛における過失の対象であり、実質ということである。これは通常の積極的事実の過失と似て非なるものである。
5 では、積極的事実の過失と消極的事実の過失を統一的な過失概念として理解できるのであろうか?
この点、従来、あまり議論されていないが、以下のように考えられよう。 おもうに、積極的事実の過失と消極的事実の過失の統合・統一の実質的根拠は、予見可能性・予見義務違反の内実において、単なる結果の予見ではなく正確な事実・情報を収集し、判断することを怠った、つまり情報収集・判断義務違反に要点があり、この部分で積極的事実の過失と消極的事実の過失が共通し統合的理解が可能となる。このような判断ミスは結果の回避義務違反をもたらす。
換言すると、積極的事実であれ、消極的事実であれ正確に情報を収集判断し、「違法な結果」発生を予見し、回避すべきところ、「違法な結果」を予見し回避することができなかったという意味で「過失」を統合的に理解することができる。
6 これを実体法的な犯罪体系論上のドグマから考察すると以下の体系構成が考えられよう。※
まず、構成要件と違法性阻却事由を合体させ、「違法な結果」の予見可能性・予見義務違反・回避可能性・回避義務違反と「構成要件的過失」を構成して積極的事実の過失と消極的事実の過失を統一することが考えられる(消極的構成要件要素の理論。もっとも過失犯の限度でこの理論を採用することも考えられないではない[ある種の故意犯と過失犯の二元的犯罪論体系])。
次に、故意過失を責任要素に限定し(古典的な客観的犯罪論・結果無価値的な体系)、同様に「違法な結果」を過失の対象とする考えもありえよう。
では、団藤説のように故意過失を構成要件と責任の二重の地位に位置づける見解(日本的な違法二元論・行為無価値的な体系)ではどうか。
この場合は、消極的事実の過失の限度で故意と過失の構成要件が重なることを例外的に認め(結果回避義務違反の点は既に共通している)、責任過失の次元で「違法な結果」を過失の対象とする理解も不可能ではない。
つまり、構成要件的故意・過失の区別による構成要件の犯罪個別機能は原則として積極的事実の過失の場合に肯定されるが、例外的に消極的事実の過失の場合は否定されるということである。これは構成要件が積極的な犯罪事実(罪となるべき事実)を類型化・定型化したものであり、消極的な犯罪事実である違法性阻却事由を含まないことから構成要件の犯罪個別化機能は消極的犯罪事実に関しては機能せず、故意・過失の本籍=本質は責任にあることから、このような例外的な構成が許容されるとの理解である(このような理解は、一貫性を欠き、やや苦しい解釈であるが、責任類型としての構成要件の責任推定機能は、違法類型の違法推定機能と同様の意味で強く推定されない、過失犯の定型性が緩い、開かれた構成要件という理解から不可能な解釈ではないであろう。)。故意犯と過失犯の構成要件を二つの円で理解すると、二つの円の一部が重なり合っているのであり、その重なり合っている部分が消極的事実の過失であり、責任過失の観点から過失犯が成立するということになろう(なお、曽根教授は、誤想防衛につき、構成要件的故意+責任過失による過失犯成立を率直に認め、過失犯の構成要件は構成要件的故意と構成要件的過失の双方を含むとの理解をとっている。形式論理的に徹底すればこのような説明になろう。)。
近時は、客観的構成要件と主観的構成要件を区別し、誤想防衛は主観的構成要件の故意構成要件が阻却されるだけで、過失責任を肯定する見解(山中)、違法構成要件と責任構成要件にわけて、誤想防衛を責任構成要件の問題として理解する見解(西田)は、故意過失を位置づける主観的構成要件ないし責任構成要件の対象(つまり故意過失の対象)を客観的構成要件ないし違法構成要件だけでなく違法性阻却事由=消極的な事実も含めて理解しており、上記見解と実質は変わりないものといえよう(この見解は、客観的構成要件ないし違法構成要件と比較すると主観的構成要件ないし責任構成要件で問題とされる故意・過失は、観念的ではあるが、消極的事実の限度で客観面(客観的構成要件・違法構成要件)を超過していることになる。)。
※訴訟法的ないし認定論的な犯罪論体系からの吟味(実体法的犯罪論の認定論への投影)
①故意犯の原則的要件(罪となるべき事実)の吟味→誤想防衛=正当化事情の錯誤=故意阻却事由(犯罪成立阻却事由)→②過失犯の原則的要件(罪となるべき事実)の吟味=結果回避可能性・結果回避義務違反+消極的事実(「違法な結果」)に関する予見可能性・予見義務違反(情報収集・判断義務違反)の吟味→過失阻却事由(信頼の原則など)の吟味となろう。つまり、消極的事実の過失も積極的事実の過失と同様に原則的な「過失」要件つまり「罪となるべき事実」を構成すると考えることになる。このような考えると、本文でのべた様々な実体法的な犯罪論と整合させることができよう。
7 まとめ
誤想防衛のような消極的事実の過失は、例外的な場面で有るが、原則的な過失犯の理論と整合的検討が理論的には必要で有り、本稿は、その思考実験をこころみてみたものである。従来は錯誤論の問題として、事実の錯誤か違法性の錯誤かの議論や故意阻却を導く犯罪論体系構成に着目しすぎた嫌いがあり、そのことについての過失犯論からの問題提起でもある(従来の通説的思考は、事実の錯誤により故意が阻却されると当然過失が成立するとの考え=故意犯ないし錯誤論の補充処罰類型としての過失犯の理解があったのかもしれない。[故意→錯誤→故意阻却→過失成立の関係])。
ただ、予見義務違反のうちに情報収集義務違反をとらえず、独立したものととらえると(エンギュッシュのオリジナルに近くなる?)、過失犯の構造の再構成をさらにし直さなければならなくなるが、この点は別の機会に考察したい。