刑法思考実験室「結果回避義務違反と許された危険…過失犯の構造の再編」その21・完 | 刑事弁護人の憂鬱

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7 まとめ…過失犯構造論の再編





  すでに指摘したとおり、今日の学説においては、犯罪論体系上の構造論において、新旧過失論の違いはほとんどない。




(1)構造論の整理

  過失犯の原則的成立要件の観点から各要件をあげると以下のようになる。



結果予見可能性(因果関係の基本的部分含む)

結果予見義務違反

結果回避可能性

結果回避義務違反(実質的危険な行為・作為義務違反)

因果関係(相当因果関係ないし客観的帰属関係)





  過失概念に何を含めるかという観点からすると以下のようになる。

  A説 過失=①(山口など)

  B説 過失=①②(内藤など)

  C説 過失=①②③④(団藤、大塚など)

  D説 過失=①③④(西原、藤木など)



  A説・B説が旧過失論、C説・D説が新過失論である。

  修正旧過失論はB説+④(実行行為)であるが、実質はC説D説との差は大きくない。




  犯罪論体系と過失の位置づけという観点からすると以下のようになる。

  ア 構成要件要素説

  イ 構成要件+責任要素説

  ウ 構成要件+違法性+責任要素説

  エ 責任要素説

 

  アウが新過失論、イエが旧過失論から主張されている。





(2)構造論の再編の試み





 危険社会・リスク社会の現状、客観的帰属論の観点等を踏まえると、構造論に関しては、新過失論的思考(結果回避義務違反と許された危険)をベースに客観・主観の分析的観点と規範論理+法益侵害原理+責任主義の調整から以下のように構造論の再編・通説の再定式化を試みるべきである。



まず、過失犯の実行行為は、規範的観点からは「結果回避義務違反」であり、客観的事実・法益侵害性の観点からは「客観的な結果発生の危険性を有する作為又は不作為」である。これらをあわせて「結果回避義務に違反する客観的危険な行為(作為又は不作為)」が過失犯の実行行為の客観面と解することができる。つまり、「許されない危険」な行為である(過失行為の類型的違法性)。

その主観面は故意と対応する主観的な結果予見義務違反(狭義の過失)である(過失責任の基礎)。

そして、これらの客観面主観面を双方合わせたものを「広義の過失」と解し、刑法各本条の構成要件要素としての「過失」「必要な注意」は広義の過失を意味すると解すべきである。

よって、過失犯(結果犯)の構成要件該当性は、① 当該結果・行為との条件関係を前提として、② 当該行為の事前的結果回避可能性・結果回避義務違反(過失不作為においては作為義務違反)と行為の危険性、③結果との相当因果関係ないし客観的帰属(事後的結果回避可能性を前提とした危険の実現ないし危険の現実化)、④当該行為時での因果関係の基本的部分及び結果の予見可能性・予見義務違反の認定により肯定することができよう。

もちろん、犯罪成立阻却事由(違法ないし責任阻却事由)が認定される場合は、故意犯と同様に過失犯は成立しない。

  注意義務の標準ないし注意能力の基準論については、客観説をベースにしつつ行為者の具体的事情をどこまで考慮するかが問題になるが、それは具体的な過失事故類型によって、異なると思われる。





主要参考文献

井上正治・「過失犯の構造」(1958年 有斐閣)

日本刑法学会編・「刑法講座 第三巻 責任」(1963年 有斐閣)

団藤重光・「刑法綱要総論第三版」(1990年 創文社)

平野龍一・「刑法総論Ⅰ」(1972年 有斐閣)「刑法総論Ⅱ」(1976年 有斐閣)

藤木英雄・「刑法講義総論」(1975年 弘文堂)

藤木英雄・「過失犯の理論」(1969年 有信堂)

藤木英雄編・「過失犯-新旧過失論争」(1975年 学陽書房)

松宮孝明・「刑事過失論の研究」(1989年 成文堂)

内藤謙・「刑法講義総論(下Ⅰ)」(1991年 有斐閣)

西原春夫・「刑法総論改訂版(上巻)」(1995年 成文堂)

町野朔・「刑法総論講義案(第2版)」(1995年 信山社)

山口厚・「問題探求刑法総論」(1998年 有斐閣)

山中敬一・「刑法総論ⅠⅡ(初版)」(1999年 成文堂)

高橋則夫・「刑法総論」(2010年 成文堂)

西田典之・「刑法総論第二版」(2010年 弘文堂)

前田雅英・「刑法総論講義第5版」(2011年 東京大学出版会)