刑法思考実験室「結果回避義務違反と許された危険…過失犯の構造の再編」その13 | 刑事弁護人の憂鬱

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エ 監督過失と過失競合

  監督過失とは、直接の行為者ではなく、管理者ないし監督者の過失の場合をいう(広義)。管理過失とは、直接行為者の故意過失にかかわりなく、管理者が管理上の過失に基づき過失責任を負う場合をいう(直接防止型・直接介入型)。狭義の監督過失とは、監督者が、直接の行為者(被監督者)に対する監督上の過失に基づき過失責任を負う場合をいう(間接防止型)。もちろん、管理過失と狭義の監督過失が競合する場合もあり、これらの分類は相対的であるが(佐藤文哉・「監督過失」刑法の基本判例48頁、大塚裕史・「管理・監督過失」刑法の争点第三版80頁参照)、狭義の監督過失は、複数の行為者の過失競合であり、一種の共犯形態の外形を呈するものである。

  ホテルの火災事件において、判例は、スプリンクラーなど防火設備の不備、避難誘導の懈怠等(物的人的体制の不備)の安全体制確立義務違反という構成で管理過失を基礎づけている(ホテルニュージャパン事件 最決平成5・11・25)。通説は、過失不作為犯として解するが、過失作為犯(防火設備等の不備で営業活動を行うこと)と理解する見解もある。

  管理過失においては、従業員などの被監督者でなく、宿泊客、第三者の故意または過失による結果発生(放火または失火)を起因として、防火体制の不備により被害が拡大し死傷結果が発生する。そこで、過失の実行行為の態様(作為か不作為か、結果回避義務の内容)※、実行行為者の特定※※(保証人的地位、どこまで過失責任者が遡及するのか)、予見可能性の対象・程度※※※(出火の抽象的な予見可能性で足りるのか)などが問題となる。

 ※安全体制確立義務違反と不作為

  スプリンクラー等防火設備等の不備に着目すると、安全体制確立義務違反が過失犯の実行行為である。通説は、不作為と理解するので、結果回避義務は、作為義務と重なることになる。しかし、危険性という観点から見ると、火災が発生した時点から危険性が現実化するのであるから、その時点で作為可能性=結果回避可能性を問うと、結果回避可能性が否定されることになってしまう(火災の時点でスプリンクラーを設置するだとか、避難誘導を適切に行うだとかを要求することは困難である)。そこで、結果回避可能な時点まで遡及した不作為を過失の実行行為としてとらえざるをえない。そうするとその時点での結果発生の危険性は出火時点に比べて低いもの、つまり故意犯の場合の実行行為と比較して危険性の程度が低いものと言わざるを得ない。しかしながら、故意の未遂犯の実行の着手論で問題となる時間的切迫性という観点からは危険性は低いといえるが、出火の可能性という条件付けで考えるかぎり、結果帰属ないし相当因果関係の起点という観点からの事前判断としての危険性は、結果回避措置を動機づける程度のレベルの危険性はあると評価することはできよう。この意味で故意犯と過失犯の実行行為は危険性の程度で違いがあることになる。

 ※※実行行為者の特定と保証人的地位

 管理監督過失において、誰が管理監督者として過失責任を負うのか、現場の防火等責任者か、一般従業員か、それらの上司、代表取締役まで実行行為者として過失責任を負うのかが問題となる。法令上又は契約上現場の防火等責任者の地位にあった者は、第一次的に結果回避措置を期待される立場にあるので、原則として、管理監督者として過失責任を問われる立場にある(ただし、選任届出だけをした形式的名目的責任者で実質上の防火管理権限のない者は管理監督者=実行行為者とはいえない。大洋デパート火災事件 最判平成3・11・14参照)。一般従業員に対しては、防火等責任者でない以上、結果回避措置にあたっては補助的立場であるから、原則として同責任者らに対する進言義務などの結果回避義務はないと解される。防火等責任者の上司、ひいては代表取締役に対しては、直接的な管理責任と狭義の監督責任の双方が問題となるところ、現実の組織内の指揮命令系統の状況、防火等責任者の現実の防火業務の裁量権の範囲等を考慮し、実質的にみて防火責任者と同様に防火管理権限がありかつ管理可能で第一次的に結果回避措置を期待すべき地位にある場合は、上司ひいては代表取締役に対しても過失責任が問われるというべきである(たとえば、ワンマン社長で、形式的な防火責任者の進言や消防署の勧告にもかかわらず、防火体制を整備せず放置していた場合など。)。この過失の実行行為者の特定は、過失不作為犯と理解するばあいは、不真正不作為犯における保証人的地位・保証義務が誰に認められるのかの問題といってもよい。すなわち、保証義務=作為義務の発生根拠として、危険源の管理・支配性などが考慮される(大塚裕史・前掲80頁参照)。

また、別の角度からいうと複数の過失不作為が競合する場合、誰の不作為に過失正犯として責任を負わすのか、結果を帰属させるのが相当かの問題ともいえよう。

 他方、被監督者等の過失が結果発生の原因となる場合は、管理監督者の過失責任において、いわば過失の教唆ないし過失の幇助的な態様も含むことになる。しかし、過失の教唆・幇助を否定するのが通説であるところ、この態様を過失の単独正犯として理解するのならば、過失犯においては故意であれば教唆・幇助の行為態様も正犯行為として扱うことになる。

すなわち、過失犯においては、故意犯とは異なり、狭義の共犯と正犯を区別する制限的(限縮的)正犯概念ではなく拡張的(包括的)正犯概念(故意犯と過失犯とで正犯概念を異にするという意味で二元的正犯概念 ヴェルツェルなど 日本では山中など。なお藤木博士は故意犯と過失犯は社会類型的に異なる犯罪として、故意犯と過失犯を分けて犯罪論体系構築をこころみる。藤木・前掲69頁以下参照。ただし、厳密な意味で二元的正犯概念をとるものではない。)を採用するのと結論的に同じになる。しかし、通説の考えもそこまで理論的に徹底するものではないであろう。故意犯に対する過失の教唆・幇助を過失正犯とするのは抵抗感があるし(過失の狭義の共犯を否定する通説的理解と矛盾するので)、管理過失はあくまで直接過失であるから過失正犯と扱うことに問題はなく、狭義の監督過失(間接過失)も故意の間接正犯とパラレルに単独過失正犯と扱うことが制限的正犯概念と背理なわけではない。つまり、事前判断における結果回避措置の観点から、過失犯の実行行為の危険性の内容の濃淡があり、必ずしも故意犯の実行行為と過失犯の実行行為が全く同じなるわけではないのであり、その結果、過失犯において、拡張的正犯概念をとっているように見えるだけである。換言すれば、故意犯と過失犯の実行行為は規範的観点からも危険性の観点からも一部重なりつつ、異なる側面があり(これも実行行為の相対性の一場面である。)、過失犯においても制限的正犯概念が故意犯とは異なる意味で妥当すると解することも不可能ではない。過失犯は定型性が緩いといわれるのは、このような観点からも理解できよう。

他方、平野博士は明示的に過失犯においても制限的(限縮的)正犯概念が妥当するという(平野・刑法総論Ⅱ393頁以下参照。理論上過失の教唆・幇助と正犯は区別され、前者は特別の規定がないので現行法上不可罰であるが、過失の共同正犯は肯定する。なお、過失の共同正犯と監督過失の関係については後述。)。

なお、過失の実行行為に関して、旧過失論のように故意と過失は、実行行為等の客観面は同じあるとの考えは、近時の客観的帰属論からも主張され、さらに自殺教唆・幇助は故意犯のみ処罰されているから、過失の自殺教唆・幇助は処罰されない趣旨であり、過失正犯としても処罰されないとも主張される(構成要件の射程論)。このような故意と過失の並行論は、過失犯処罰の限定基準を導き出す点で有益な点もある(通説の予見可能性の対象として因果関係の基本的部分を要求するとの考え=具体的予見可能性説は、故意における因果関係を認識対象とする考えと並行的に理解するものといえる。なお、新過失論は、並行論とは逆に故意と過失の客観面が異なる点を強調するいわば故意と過失の異質論である。)。他面、並行論は、過失犯の固有の可罰性=結果回避義務の範囲の観点から故意犯の実行行為とは異なる面を軽視するきらいがある。むしろ故意と過失の並行的な要素と異質的な要素の二面から過失の結果回避義務=実行行為と予見可能性・予見義務の内実を理解しなければならないと思われる。

※※※ 出火と予見可能性

 具体的予見可能性説の立場では、出火の可能性が因果関係の基本的部分としてどの程度具体的に要求されるかどうか問題となる。判例は「宿泊施設を設け、昼夜を問わず不特定多数の人に宿泊等の利便を提供する旅館・ホテルにおいては、火災発生の危険を常にはらんでいる」「いったん火災が起これば、発見の遅れ、初期消火の失敗等により本格的な火災に発展し、建物の構造、避難経路等に不案内の宿泊客等に死傷の危険の及ぶ恐れがあることはこれを容易に予見できたものというべきである」とする(川治プリンスホテル火災事件 最決平成2・11・16)。すなわち、判例は、出火原因の事実(鉄柵をアスレチンガス切断機で切断していた作業員の不注意による出火)についての具体的予見可能性を要求していない。これに対し、学説は、具体的な宿泊客の寝たばこなど出火の原因事実を因果関係の基本的部分として予見可能性の対象とすべきとし、具体的な出火事実の予見を問題にしない判例を批判する(大塚裕史「管理・監督過失」刑法の争点第3版81頁参照。)。しかし、出火原因が不明だったりする場合(たとえば、大洋デパート火災事件、千日デパート火災事件など)、出火の具体的な原因事実を予見対象とすることは、ずざんな防火管理責任者を不当に免責することになり、妥当ではないであろう。

判例の事案では、①不特定多数の宿泊客の利用される旅館ホテルにおいては、火災発生の危険が常にある→②火災の発生(出火の事実)→③発見の遅れ、初期消火の失敗等により本格的な火災に発展し、建物の構造、避難経路等に不案内の宿泊客等に死傷の危険の及ぶ恐れがある→④宿泊客の死傷結果の因果経過のうち、①③が具体的に予見可能であれば、②が抽象化された火災の可能性であっても、防火対策等の安全体制確立義務=結果回避措置の履行を動機づけ、火災拡大の危険を除去することができるのであるから、具体的な出火原因事実が予見不可能でも、因果関係の基本的部分としては必要にして十分な事実であり、①②③が予見可能であれば、密接に結びついた④の予見も可能である。よって、出火の予見可能性はこの程度まで抽象化されても因果関係の基本的部分の予見可能性としては十分と思われる。

 狭義の監督過失においては、監督者の被監督者に対する信頼の原則の適用の可否が問題とされる。監督過失における結果回避義務は、被監督者に対する監督義務であり、それは被監督者が不適切な行動にでないよう注意する義務で有り、義務内容として被監督者が適切な行動することに対して全面的に信頼することが原則として排除されていると解される。よって、原則として監督者の被監督者に対する信頼の原則の適用はないと解すべきである。ただし、被監督者に大幅な裁量権が付与され、実質的に監督者の代行的な立場で行動し、監督者が被監督者を信頼すべき特別な事情がある場合は、危険の配分の観点から、信頼の相当性が例外的に肯定される余地があるのではなかろうか(日本アエロジル事件 最判昭和63・10・27参照。なお、佐藤文哉・前掲51頁は一般論として信頼の原則の適用を間接防止型監督過失に認めつつ、実際には信頼の相当性が認められる場合は限定されるという。)。もちろん、監督者においても、監督可能性がない場合(結果回避可能性がないので)、結果回避義務が否定されるのは当然である。(なお、北大電気メス事件において、裁判所は、チーム医療の執刀医は全体を指揮統率する監督者的立場にないことを理由に、ベテラン看護婦が電気メスのケーブル接続について適切な行動とると信頼すること、つまり信頼の原則の適用を認めている。監督過失=信頼の原則不適用の反対解釈として、チーム医療における被害者でない第三者の適切な行動に対して信頼の原則を認めるものと評価できる。)