※※被害者と信頼の原則
最判昭和41・6・14刑集20・5・449
「被告人は、A株式会社池袋線保谷駅に駅務手として勤務し、本件事故発生の当夜は、乗客係をも命ぜられて旅客の誘導、案内、整理、乗降の危険防止などの業務に従事していたものであるところ、昭和三六年五月一一日午前零時三三分同駅に到著した四両編成の第四六九電車の後部の第三、四両を担当して乗客の降車整理に従事中、第四両目中央部座席にB(当時二九年)が、酒の匂いをさせて居眠りをしていたので、その肩を三回位叩いて起こすと、同人は目を覚まし、一寸ふらふらしながら中央ドアーからプラツトホーム(以下単にホームという)に出て行つたので、これを見送つたのみで、そのまゝ車両の連結部から第三両目に赴き、居眠り客二名に降車を促し、またはこれを助けて車外に連れ出すなどして乗客の整理に当つた。右電車は、客扱い終了後同駅の車庫に入庫するものであり、後続の最終電車が到着するのは同日午前零時四三分で、深夜のため、混雑時とは異なり乗客も少なく客扱いには充分時間的余裕があつた。このような場合には、乗客係たる被告人としては、前記のように酩酊していたBを下車させるに当つては、同人が単独でホームにある待合室などの安全な場所に行くことができるかどうかを確認すべきであり、また客扱い終了後車掌に対しその旨の合図をするに当つては、自己の担当する車両の連結部またはホームとの近接部を点検注視して線路敷に転落者などが無いかどうかを確認すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠つたため、Bが第三両目と第四両目の連結部とホームとの間隙から線路敷に転落していたのに気付かず、客扱いを終了するや、その旨の合図を車掌篠武弘に送り、同人をして戸閉操作をなさしめたうえ、運転士Cをして右電車を発進させたため、右転落箇所においてホームに這い上ろうとしていたBをして、車両とホームの間で圧轢死させるに至つたというのである。
そこで、叙上の事実関係を基礎として、被告人の注意義務に関する原判断の当否につき考えるに、原判示の職責を有する乗客係がその業務に従事するに当つて、旅客のなかに酩酊者を認めたときは、その挙措態度等に周到な注意を払い、車両との接触、線路敷への転落などの危険を防止する義務を負うことは勿論である。しかし、他面鉄道を利用する一般公衆も鉄道交通の社会的効用と危険性にかんがみ、みずからその危険を防止するよう心掛けるのが当然であつて、飲酒者といえども、その例外ではない。それ故、乗客係が酔客を下車させる場合においても、その者の酩酊の程度や歩行の姿勢、態度その他外部からたやすく観察できる徴表に照らし電車との接触、線路敷への転落などの危険を惹起するものと認められるような特段の状況があるときは格別、さもないときは、一応その者が安全維持のために必要な行動をとるものと信頼して客扱いをすれば足りるものと解するのが相当である。また、右係員が客扱いを終了し、その旨の合図を車掌に送るに当つても、線路敷などに転落者があることを推測させるような異常な状況が認められない限り、このような特殊な事態の発生をつねに想定して、ホームから一見して見えにくい車両の連結部附近の線路敷まで逐一点検すべき注意義務があるとまで考えるのは相当でない。これを本件についてみるに、前示事実関係に照らせば、本件被害者は、座席に眠つていて酒の匂いをさせていたが、被告人から肩を三回位叩かれて目を覚まし、一寸ふらふらしながらもみずからホームに出て行つたというのであり、右の程度では線路敷への転落などの危険性または転落などの事実を推測させるような特段の状況があつたものと断ずることはできない。しからば、被告人が原判示のように、前記Bを起こし、下車させただけで、同人の下車後の動向を注視することなく、他の乗客の整理に移り、さらにこれを終えた後にも、とくに線路敷などを点検することなく客扱い終了の合図をしたとしても、前記の如き事情の下では、本件事故の結果について、被告人に対し業務上の過失責任を認めることは酷に失するものといわねばならない。そして、原判決の指摘するように、本件電車が入庫車てあり、かつ深夜であつてその客扱いには、混雑時に比し時間的余裕があつたとしても、このことは、右の判断を左右するに足りるほどの事由とは認められない。」
※※※交通事故と信頼の原則
最判昭和41・12・20刑集20・10・1212
「本件のように、交通整理の行なわれていない交差点において、右折途中車道中央付近で一時エンジンの停止を起こした自動車が、再び始動して時速約五粁の低速(歩行者の速度)で発車進行しようとする際には、自動車運転者としては、特別な事情のないかぎり、右側方からくる他の車両が交通法規を守り自車との衝突を回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであつて、本件Bの車両のように、あえて交通法規に違反し、自車の前面を突破しようとする車両のありうることまでも予想して右側方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当であり、原判決が強調する、被告人の車の一時停止のため、右側方からくる車両が道路の左側部分を通行することは困難な状況にあつたとか、本件現場が交通頻繁な場所であることなどの事情は、かりにそれが認められるとしても、それだけでは、まだ前記の特別な事情にあたるものとは解されない。」
最判昭和42・10・13刑集21・8・1097[クリーンハンズの原則の否定]
「車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一時といえども安心して運転をすることはできないものである。そして、すべての運転者が、交通法規に従つて適切な行動に出るとともに、そのことを互に信頼し合つて運転することになれば、事故の発生が未然に防止され、車両等の高速度交通機関の効用が十分に発揮されるに至るものと考えられる。したがつて、車両の運転者の注意義務を考えるに当つては、この点を十分配慮しなければならないわけである。
このようにみてくると、本件被告人のように、センターラインの若干左側から、右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を待つて進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件Aのように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターラインの右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である(なお、本件当時の道路交通法三四条三項によると、第一種原動機付自転車は、右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左端に寄り、かつ、交差点の側端に沿つて徐行しなければならなかつたのにかかわらず、被告人は、第一種原動機付自転車を運転して、センターラインの若干左側からそのまま右折を始めたのであるから、これが同条項に違反し、同一二一条一項五号の罪を構成するものであることはいうまでもないが、このことは、右注意義務の存否とは関係のないことである。)。」なお、交差点内における追突防止に関する基本的注意義務に違反している場合、信頼の原則の適用を否定するものとして、最決昭和57・12・16がある。
※※※※分業作業と信頼の原則
北大電気メス事件(札幌高判昭和51・3・18高刑集29・1・78)
「本件手術は、執刀医・手術助手(うち一名は指導医を兼ねる。)・麻酔医・介助看護婦の合計九名によつて行なわれたチーム医療であり、被告人Yはその執刀医の地位にあつたものである。
かかる場合に、執刀医は単に執刀医としての立場にあるだけでなく、チームの総括指揮者として各人が作業に誤りを犯すことのないように監督すべき責務をも負担すべきものではないかとの疑問がある。
しかしながら、一般に手術がチームワークによつて行なわれる場合でも、目的が手術の成功にあることにはいささかも変りがないのであつて、各職種がそれぞれ業務を分担して共同作業を行なう趣旨も、帰するところは、執刀医により行なわれる手術自体が支障なく円滑に遂行されうるよう執刀医に協力補佐して執刀に遺憾なからしめ、手術の成功を期することにあると考えられる。
手術を成功させるためにはチームの各員がそれぞれの分担作業を忠実適切に遂行することが必要であるが、何といつても手術の成否の鍵を握るのは執刀医の執刀である。
そしてチームワークによる手術においてチームの成員による補佐があるとはいえ、執刀そのものは常に執刀医のみに課せられた作業であつて、他の者の代りうるところではない。
従つてチームワークによる手術においても、執刀医の執刀自体に対する負担は何ら軽減される理はなく、執刀医は、各員の協力補佐を受けながら当該チーム医療の目的である手術の成功の鍵を握る自己の執刀に全力を尽すべき役割を有するものというべきである。
右の点に留意して考えると、チームワーク手術における執刀医の立場は、自らは直接作業に携わらず、専ら配下の各員に指揮命令して作業を分担・遂行させ、その状況を監督することを本旨とする純然たる統率の地位にあるものとは性質を異にする面があるといわなければならない。
手術を成功させる目的で執刀医に協力補佐するためチームが組まれるものというべく、チームを指揮監督するために執刀医が置かれるものとはいえない。
もとよりチームワークによる手術の執刀医も、執刀医としての立場で、自己の医療行為に対する補助者の補助行為に対する指示ないし監督義務を負うことは当然であり(但しどの程度の監督義務を負うかは上述のとおり具体的状況により判断されるべきである。)、また自らがチームの作業の中核である執刀を担当する関係上、補助者に対する指示・監督の外、手術の遂行について調整的権限を有する場合もありうると思われる。
しかしながら、チームワークによる手術の執刀医が、単に執刀医としての立場だけにとどまらず、右の限度を越えて、当然にチームを指揮監督する統率者の地位にあるものとして、その立場を前提とするチームの成員の作業に対する監督責任まで負担すべきものと即断することはできない。
チームワークによる手術の執刀医の立場を右のように解することは、さきに述べた執刀医の本来の役割と対比して調和しないものがあることを否定できない。」
「本件のように大出血や神経損傷を伴う可能性のある危険性の高い重大な手術に携わる執刀医は、手術開始後は術野に注意を集中して執刀に専念することが望まれ、術野以外の分野に注意を分散することは手術の成功を阻害する原因ともなりかねないからできるかぎりこれを避けるべき立場にあるものといわなければならず、実際上その余裕もないものと認められる。」
「本件のような危険性の高い重大な手術の執刀医としては、手術遂行に万全を期する以上、執刀直前の時点において、患者の容態を最終的に確め、手術を誤りなく遂行するための手順・方法を確認し、術中に起こりうべき容態の急変、大出血、合併症等の突発事態に対処すべき方策を検討すると共に、執刀を目前にして精神の安定と注意の集中をはかる必要があり、その時点での有形的な作業の有無にかかわらず、手術自体以外の分野に注意を向ける精神的余裕は乏しかつたものと認められ、かかる立場にある執刀医に対しては執刀中に準じて手術そのものに精神を集中しうることを可能ならしめる態勢をとることが望まれ、執刀医が注意を他に分散して精神の集中を妨げられる結果を来すことは手術遂行に及ぼす影響も懸念されるところで手術目的の達成上好ましからぬことといわなければならない。」
「本件手術に際しケーブルの接続を担当した被告人Xは、昭和四〇年から同病院手術部に勤務していた正規の看護婦で、電気手術器を使用する手術に対する介助の経験をも積んでいたものであり、被告人Yも、被告人Xについて詳しくは知らないものの同人がベテランの看護婦であることは承知していたこと(被告人両名の当審公判廷における各供述)、電気手術器のケーブルの接続は、既述のとおり診療の補助行為ではあるけれども、極めて単純容易な作業に属し、その方法について医師の指示を要するようなものではなく、およそ資格のある看護婦が担当してたやすく誤りを犯すとは容易に考えがたい種類の行為であること、それまで看護婦のしたケーブルの接続が誤つていたため不慮の事故を起こした例は皆無であつたことが明らかである。
このように経験を積んだ正規の看護婦が共同作業における自己の分担として、方法につき何ら医師の指示を要しない極めて単純容易で定型的な作業を行なつていたという点は、看護婦の当該作業に対する医師の信頼の当否を判断するうえに斟酌さるべき一事情たることを否定できない。」
「本件の場合、チームワークによる手術の執刀医として危険性の高い重大な手術を誤りなく遂すべき任務を負わされた被告人Yが、その執刀直前の時点において、極めて単純容易な補助的作業に属する電気手術器のケーブルの接続に関し、経験を積んだベテランの看護婦である被告人Xの作業を信頼したのは当時の具体的状況に徴し無理からぬものであつたことを否定できない。
なお被告人Yを含め当時の外科手術の執刀医一般について電気手術器のケーブルの誤接続に起因する傷害事故の発生を予見しうる可能性が必ずしも高度のものでなかつたことはさきに述べたとおりである。
所論は、医師は人の信頼を受けて人の生命・健康を管理することを業とする者であるからその業務の性質に照らし人に危害が及ぶことを防止するがために最善の措置を尽すべき高度の義務を課せられていると主張する。
確かに医師がその業務にかんがみ診療に伴う危険を防止するため高度の注意義務を負うことは抽象的には所論のとおりであるが、その義務が無制限に課せられてよいものではなく合理的な限界があるべきことも当然である。
医師の行為が刑法上の制裁に値する義務違反にあたるか否かは、当該専門医として通常用いるべき注意義務の違反があるか否かに帰着すべく、結局当該行為をめぐる具体的事情に照らして判定される外ない。
執刀医である被告人Yにとつて、前叙のとおりケーブルの誤接続のありうることについて具体的認識を欠いたことなどのため、右誤接続に起因する傷害事故発生の予見可能性が必ずしも高度のものではなく、手術開始直前に、ベテランの看護婦である被告人Xを信頼し接続の正否を点検しなかつたことが当時の具体的状況のもとで無理からぬものであつたことにかんがみれば、被告人Yがケーブルの誤接続による傷害事故発生を予見してこれを回避すべくケーブル接続の点検をする措置をとらなかつたことをとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反があつたものということはできない。」という。本件はチーム医療の執刀医は他の補助者を監督する義務はなく,ベテラン看護婦を信頼しても無理はないなどにより信頼の原則の適用を肯定する。ただし、予見可能性が高度のものとはいえないという点は、看護婦に予見可能性を認めていることと整合性があるかは疑問があろう。