刑法思考実験室「結果回避義務違反と許された危険…過失犯の構造の再編」その11 | 刑事弁護人の憂鬱

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ウ 信頼の原則



  信頼の原則とは、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をすることを信頼するのが相当な場合には、たとい被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対して責任を負わない」という原則をいう(西原・「交通事故と過失の認定」45頁以下、西原・前掲203頁以下、高橋・前掲216頁等参照※)。

  主として交通法規の順守を期待できる状況を前提として、被害者等の不適切な行動まで注意を払って行動する必要はないとするものであり、過失犯の成立を限定する法理である。ドイツの判例において発達し、日本の判例・通説も採用する原則である(最判昭和41・12・20など多数)。

※信頼の原則の定義

 ドイツの判例のように自動車交通事故を前提とすると「交通関与者は、他の交通関与者が交通規則その他の交通秩序を守るであろうことを信頼するのが相当な場合には、たとい他の交通関与者の不適切な行動のために結果を発生させたとしても、これに対しては責任を負わない」と定義することができる(西原・前掲203頁参照)。しかし、信頼の原則が交通事故以外の共同作業における事故にまで適用が拡大したので(ちなみに日本の判例が初めて信頼の原則を採用したのは自動車交通事故事例ではなく、電車での酔客の対応についてのものであった。最判昭和41・6・11)、本文のような定義付けがなされるのが一般である。

 なお、藤木・前掲244頁は、このような理解とは逆に、信頼の原則は、「もともとは危険防止に関して、共同して危険な作業を行う者相互間においては、各人は、とくに反対の事情がないかぎり、共同作業者がそれぞれの担当の持ち場において誠実に危険防止のための注意を尽くしていることを計算にいれたうえで、事故の持ち場において要求される結果回避措置を尽くせば足り、常に同僚が注意を怠るものと予想したうえで同僚の失策があっても自分かぎりで結果を防止できるだけの万全の措置をとること、たとえば、危険の源泉となるいっさいの作業を停止することまでは注意義務として要求されない」という原則と定義付けする。これが加害者対被害者との関係において適用され、自動車交通事故事例において過失犯処罰を制限するようになったとの理解を示す。これは、信頼の原則が共同作業における注意義務=結果回避義務の内容との関連性を指摘するものであり、監督過失論ないし過失競合・過失の共同正犯論における結果回避義務の内実の理解にかかわる点で、重要な指摘と思われる。

  この信頼の原則について、結果の予見可能性を否定するものとの理解(予見可能性否定説 西原、平野、町野など※)、結果回避義務を解除ないし否定するものとの理解(結果回避義務否定説 藤木など。なお予見義務と回避義務を否定するものとするのは大塚)がある。

前者は、被害者等が不適切な行動をとらないこと信頼することが相当な場合とは、結果の予見可能性が低いもの(刑法的予見可能性がない)と理解するものであり、後者は「許された危険」の法理の派生、つまり危険の分配の観点からの結果回避の義務付けの問題と理解するものである。前者は旧過失論と後者は新過失論と適合的である(ただし、西原・前掲205頁は新過失論の立場から予見可能性否定説をとる。)。

予見可能性も結果回避義務も過失を基礎づける要件と考える以上、いずれにせよ、信頼の原則の適用は、「過失」を否定する事情であり、いわば「過失阻却事由」と理解すべきである※※。

 むしろ、信頼の原則の実質的問題は、適用範囲、適用条件(特に信頼の相当性)の基準をどう解するかである。

予見可能性と信頼の原則

 予見可能性否定説は、信頼の原則を予見可能性の判断過程の一類型と把握して、特別な原則と位置づけない見解を前提にすることが多い(平野など)。つまり、第三者の適切な行動することを信頼することが相当な場合は、結果の予見可能性がないということであり、信頼の原則は予見可能性と表裏の関係となる。しかし、信頼の相当性は事実判断ではなく規範的法的価値判断(危険の衡量等)を含んでおり、単なる事実認定の過程ではない。信頼の相当性は行為者の注意義務の内容=行為規範の範囲の問題と密接にかかわるものであるからである。むしろ、旧過失論からは、結果予見義務の解除ないし否定と位置づけるべきである。けだし、信頼の原則の適用がない場合というのは、他者の不適切な行動も予見せよという注意義務があると言わざるをえないからである。いわば、予見義務があるといことは、他者の適切な行動を期待してはいけないという「不信の原則」が前提となっている。)。

※結果回避義務と信頼の原則

  結果回避義務否定説は、予見可能性を緩やかに解する危惧感説と親和性がある(藤木・前掲249頁、高橋・前掲218頁)。しかし、許された危険の法理との関連性から、具体的予見可能性説に基づく新過失論的立場ないし客観的帰属論からも構成することができよう。信頼の相当性がある場合は、行為者に対して、結果回避措置を期待することが困難であり、他者の不適切な行動を前提とした刑法上の結果回避義務を課すことはできないからである。つまり、刑法上、当該行為は、許された危険行為として客観的注意義務ないし実行行為性を欠くことになる。予見義務を肯定する立場からは、予見義務も否定されることになる。よって、体系上の位置づけとしては、本文で指摘したとおり、信頼の原則は、注意義務(予見義務・回避義務)を否定する事情として過失阻却事由として構成すべきである。判例も信頼の原則の適用がある場合は「事故の発生を未然に防止しすべき業務上の注意義務はない」という表現をする(たとえば、最判昭和41・12・20など)。

 適用範囲については、交通事故事例以外にもチーム医療、分業体制などの事例にも適用を認めるのが判例通説である。ただし、被監督者の行動に対する監督者の監督過失においては、信頼の原則の適用は否定されることが多いが、これは後述する。

 さらに行為者が交通法規違反などのルール違反を行なっていた場合でも信頼の原則の適用があるかについて、適用否定説(土本など)と適用肯定説(平野など)とにわかれる。予見可能性否定説は適用肯定説に、結果回避義務否定説は適用否定説と結びつきやすいが、判例は、信頼の原則の適用を肯定する(最判昭和42・10・13、最判昭和47・11・16など)。この問題は、自らルール違反を行なっている者を免責するのは不当であると考えるか(クリーンハンズの原則 民法708条参照)どうかであるが、刑法上の結果回避義務と道交法等のルールは、必ずしも完全に一致するものではないから、結果回避義務否定説をとったからといって、信頼の原則の適用を直ちに否定する理論的帰結にはならないであろう。けだし、信頼の原則は道交法のルールを守った者を道交法のルールを守らない者より有利に処遇するないし恩賞を与える原則ではないからである。刑法の結果回避義務は法益を保護することを目的としており、道交法秩序それ自体を直接保護するものではないのである。

 この問題は、画一的な肯定・否定ではなく、むしろ「信頼の相当性」の判断の問題に解消すべきと思われる。つまり、自らの道交法違反行為の程度と被害者等の不適切な行動の比較において、どちらに第一次的な具体的回避措置を期待できるかを吟味して「信頼の相当性」を判断し、個別事案ごとに適用の是非を決定すべきである。この意味で信頼の原則の適用があるかどうかはケースバイケースである。

 信頼の原則の適用条件にあっては、交通ルールなど他者の遵法行動が期待・信頼できる一般的客観的状況が必要である。

 さらに既述のとおり、行為者が信頼したことの相当性、つまり「信頼の相当性」が必要である。

 この「信頼の相当性」の判断基準であるが、社会的に相当かどうか、つまり社会的相当性の理論の問題として判断するものがある(福田)。しかし、これでは、信頼の原則が社会的相当性の一問題として位置づけられ、その理論的独自性は失われる。

 信頼の原則が許された危険の法理の派生であるとすれば、そこには危険の配分をいかにすべきかの考えがある(藤木・前掲244頁、249頁参照)。

 よって、この観点からは「信頼の相当性」は危険の分担・負担の公平性・合理性の観点から第一次的な結果回避措置は誰におわすのが適切かつ妥当か、具体的な状況で遵法ないし適切な行動は第一次的に誰に最も強く期待されるのかを基準とすべきである※。

この考えは、他者への危険の負担という別の角度からいえば、自己答責性の法理ないし危険の引受の法理や客観的帰属論の判断と重なってくるであろう。具体的には、不適切な行動の予測が可能かつ容易な場合かどうか、車対車、車対歩行者、被害者の事情(酩酊者、病人、幼年者、老人など)により、相当性判断は異なる(他者の結果回避能力、防御能力は様々であり、適切な行動が期待できない者に対しては、信頼の相当性は否定されることになる)。

信頼の相当性判断

 高橋・前掲218頁以下は「信頼の相当性判断は、危険の衡量、利益の衡量による判断であるから、客観的事情に基づくものである」とする。

 藤木・前掲248頁以下は、車対歩行者において信頼の原則が適用される場合は、歩行者がみずからの安全を守るために、適切、合理的な避譲をなしうる者であることを前提として、心身ともに健全な青壮年については適用が妥当するが、年少者、老人、盲人その他の身障者については妥当しない、「食品中毒事故においては、食品メーカーは、消費者との関係においては、事故回避の全責任を負担すべきであり、原材料の購入、機械の故障などにより生じた事故につき、メーカーでできる程度の検査義務を履行すれば防止可能であったといいうる場合には、信頼の原則を適用して注意義務の負担を免れる(手ぬきを正当化する)ことは許されない」とする。