刑事事手続きの基礎 「罪体と犯人性」(下)その1 | 刑事弁護人の憂鬱

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3 犯人性について

(1) 意義

 被告人と犯人(行為者)との同一性ないし犯行と被告人の結びつきを犯人性という。たとえば、満員電車で痴漢と疑われた被告人が痴漢事件の犯人かどうかの問題、殺人の被害者に怨恨をもっていた被告人が殺人事件の犯人かどうかの問題、現場で目撃された自動車の所有者である被告人がひき逃げ事件の犯人かどうかの問題などで犯人性の認定が争点となる。判例実務においては、事実認定論として、この犯人性が問題となることは多く、裁判所によって判断が分かれ有罪無罪の分水嶺となることがある。最近の足利事件、東電OL事件の再審無罪でもこの犯人性が争われたものである。
 犯人性の問題は近代以前の糾問手続きでも罪体と同様に重要な証明の対象として独自に扱われていた(ただし、拷問による自白を用いた法定証拠主義による事実認定)。上記のように今日の刑事手続でも事実認定上の重要性は変わらない。
 訴訟法的概念である罪体概念が、実体法的概念である構成要件論に発展していったことに比べて、犯人性の概念は実体法的概念として独自に発展した形跡は少なくともドイツ刑法及び日本刑法では見られない。
 むしろ犯人性は、実体法的には行為者性ないし犯罪の主体の問題であり、行為論ないし構成要件論の「主体」該当性の問題といえる。つまり構成要件論の観点から見ると殺人罪の規定が「人を殺した者」とあるところ、犯人性は、その主体である「者」の該当性のことである。ただし、行為主体は、身分犯など特殊な場合を除き、自然人であればよく限定されない。当該行為ないし構成要件該当事実が行為者の仕業であるという関係があれば、主体である「者」の該当性は肯定され特に問題は生じない(むしろ実体法上の観点は行為者性、主体性は当然の前提となっているともいえる。なお、これは行為と結果との因果関係の問題ではなく、「何人かによる客観的な犯罪事実」=罪体が当該被告人に由来するかどうか、結びついているかどうかの問題である。)。このように犯人性は、実体法上、行為論ないし構成要件論の主体論に埋没しているともいえよう※。
 訴訟法的観点からは、犯人性は、訴因の記載(公訴犯罪事実)としては「被告人は、…」と冒頭の主語、行為者としての事実(被告人と犯人との同一性を基礎づける事実)があるかどうかの問題といえる。


行為論と人的帰属
 いわゆる行為論において、行為の中核的要素を人的帰属可能性と社会的帰属可能性と理解し、「その行為者という「人」の内面に帰属できる行為者の人的な「しわざ」としての身体の動静と、社会的な事象としての外界の変更が、その身体の動静の「しわざ」と広い意味でいえるような事象が、行為とされるべきなのである。したがって、行為とは、人的・社会的な帰属可能な身体の動静である(人的・社会的帰属行為論)」との見解がある(山中敬一・刑法総論Ⅰ 140頁)。この見解は、客観的帰属論の前提としての行為論であると思われる。しかし、行為者の人的帰属の観点を内面帰属ではなく、客観的事実との関連性・結びつきとして理解しなおせば、行為論=人的帰属の観点から犯人性を位置づけることができるのではないだろうか。なお、罪体を犯罪の客体とすれば、犯人性は犯罪の主体であり、罪となるべき事実は、①客体(罪体・客観面)と②主体(犯人性)と③内面(主観面・主観的要素)の3つによって構成されているといえる。