刑事手続きの基礎 「罪体と犯人性」(中)
2 罪体について
(1)意義・沿革
罪体とは、ラテン語のコルプス・デリクティ(corpus delicti)の訳語である。犯罪の根本的事実ともいわれる(内藤謙・刑法総論講義(上)178頁)
罪体概念は、そもそも、中世イタリアの糾問手続きにおける「犯罪の確証」概念(constare de delicto)に由来する。すなわち、中世イタリアの刑事手続きである糾問手続きでは、糾問判事が特定の被疑者に対する糾問を始める前に①まず犯罪があったかどうか取り調べ(一般糾問)、②犯罪があったという「確証」を得た後、初めて特定の被疑者に対する糾問にとりかかることができる(特別糾問)。この①の一般糾問において「何人かによって犯罪が行われた事実」が立証されなければならなかったのである。これを「犯罪の確証」という。
罪体は、一般糾問で証明された犯罪事実を指すものとして、近世初頭のイタリアの刑法学者ファリナチゥスによって用いられ、この罪体概念がドイツに伝わり、18世紀の終わり頃、クラインによって構成要件(Tatbestand)と訳された。また、罪体概念は英米法圏にも伝わっている(後述)。
このように罪体概念は、訴訟法的な概念で有り、客観的な犯罪事実の存在について厳格な証拠法則による確証がなければ、特別糾問(拷問を含む)を行うことができないという意味で、官権主義を制限する志向を有するものであったという(以上、小野清一郎・犯罪構成要件の理論2頁~3頁、410頁~412頁参照)。この罪体=構成要件概念に属するものの中核は、犯罪となるべき結果とその結果を惹起した行為であり、原則として犯罪の客観的・結果的要素だったという(内藤・前掲178頁)。
(2)構成要件論との関係
以上の通り、「犯罪の確証」→「罪体」→「構成要件」と変遷してきた経緯から、当初、罪体=構成要件であった。その内実は、一般糾問の証明対象である客観的な犯罪事実(行為及び結果)であった。かかる訴訟法的概念から、実体法的概念へと発展させ、犯罪論の体系理論としての構成要件論を提唱したのは20世紀初頭のドイツの刑法学者ベーリングである。その後の構成要件理論の実体法的概念としての変遷は各刑法総論教科書の該当箇所を参考していただきたい(詳細な解説として、内藤・前掲168頁~199頁参照。)。本稿の目的は、構成要件論そのものではなく、罪体概念とその思考の影響の発展としての罪体ないし構成要件の訴訟法的意義ないし機能に限定して考察するものであるからである。
ア ベーリングの故意を規制する構成要件
ベーリングが当初提唱した構成要件は客観的、記述的、没価値的であり、主観的なものは含まれない。構成要件は、違法性、責任とならぶ独立した犯罪成立要件の一つという実体法的概念であった。構成要件から主観的要件を除くのは、罪体概念の残滓というだけでなく、当時のドイツ刑法旧59条が故意の認識対象として「法定の構成要件に属する所為事実」とあるため、客観的外部的事実としての構成要件、つまり故意を規制する構成要件(故意の構成要件関連性ないし構成要件の故意規制機能)として理解していたためであろう(内藤・前掲179頁参照。)。今日の通説では、主観的要素も構成要件に含めるので、故意を規制するのは客観的構成要件という理解になり、この観点からは、罪体とは、客観的構成要件に該当する事実と定義づけることもできる(罪体を客観的構成要件事実と表現するものとして、池田修=前田雅英・刑事訴訟法講義第3版376頁以下参照。)。
イ 小野清一郎の構成要件の訴訟法的機能
小野清一郎博士の構成要件論は、違法有責類型として主観的要素も構成要件に含めるだけでなく、さらに訴訟法的意義、機能を強調する理論である。たとえば、「事件」の概念を「犯罪構成要件を指導形象とする実体形成過程を一つの物体として見たもの」、公訴事実とは「構成要件に該当する事実」「犯罪構成事実」「罪となるべき事実」とし、公訴事実の同一性は「構成要件又は罪名の基本的同一性、本質的同一性又は範疇的同一性によって制約される」、構成要件に該当する事実は厳格な証明が必要で有り、実質的挙証責任は検察官にあるが、正当防衛などの犯罪成立阻却事由の実質的挙証責任は被告人にあるなどを主張する(小野・前掲136頁以下参照)。
本稿で着目すべきは、後述するように自白の補強証拠において、補強証拠の範囲を、通説である罪体説とは異なり、「犯罪構成要件に該当する事実に限る」と理解する点である(小野・前掲177頁)。
このように訴訟法的概念である罪体から出発して実体法的概念として理論化された構成要件概念をさらに訴訟法の各種解釈の基準としてつまり新たな訴訟法的概念として位置づける小野博士の見解について再評価すべき点もあると思われるが、その当否の詳細は別の機会に論じたい。
(3)自白の補強証拠との関係
自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合は、有罪とされない(憲法38条3項、刑訴法319条2項)。つまり、自白には補強証拠がなければならない。自白偏重による誤判防止、つまり自白の証拠価値を過大評価することへの警戒がその趣旨である(団藤・前掲284頁参照、田宮裕・刑事訴訟法新版354頁参照)。
補強証拠を必要とする範囲について、通説は、アメリカ法の判例学説にならって、罪体の全部、少なくともその重要な部分について存在することを要し、かつそれで足りるという(団藤・前掲288頁、田宮・前掲356頁。罪体説ないし形式説)。つまり、罪体概念は補強証拠の範囲を画する基準と解されている。※
※実質説
判例及び一部の学説は、補強証拠の範囲について、「自白にかかる事実の真実性を担保する」に足りるものであることが必要であると解している(実質説 平野・前掲233頁以下参照。但し、平野説の結論は罪体説とほぼ一致する。)。判例は、主観的部分、被告人と犯人との同一性について補強証拠は不要とし、客観的部分(罪体)の一部でもよいとしている。なお、アメリカでも実質説的な見解(真実性基準)が主張されており、複雑な構成要件の罪体に補強証拠を要求するのは困難であり訴訟複雑化長期化への懸念、主観的部分が重視されるコンスピラシー(共謀罪)などは罪体説になじまないといわれる(指宿信・「自白の補強証拠」刑事訴訟法の争点第3版176頁参照)。
(4)罪体と補強証拠の範囲
補強証拠の範囲を画する罪体の範囲とは、通説によれば、公訴犯罪事実から、故意過失など主観的要素及び被告人と犯人との同一性(犯人性)を除いた客観的側面をいう(団藤・前掲288頁以下、田宮・前掲356頁)。たとえば、殺人事件を例にとると、何人かの殺人行為による被害の発生(他殺死体)について補強証拠を必要とする。
これに対し、罪体の範囲を①客観的な被害(結果)の発生(たとえば死体)と狭く考える見解、逆に②被告人の行為に由来する被害の発生(犯人性まで罪体に含む。たとえば被告人の殺人行為による死体)と広く考える見解がある(田宮・前掲356頁参照)。しかし、前述した罪体概念の沿革からすれば、罪体の範囲については、通説が正当である。
もっとも、二つの見解の問題意識は、罪体の全部まで補強証拠を必要とするのは困難ではないか(①)、罪体だけでなく犯人性の部分まで誤判防止から補強証拠を必要とすべきではないか(②)ということであろう。つまり、通常の罪体の範囲では補強証拠を必要とするのが広すぎるまたは狭すぎるという認識である。
ただ、通説にたっても、①の場合は、補強証拠は直接証拠でも間接証拠でもよく証明力も自白とあいまって罪体を証明することができる程度で足りると解すれば(相対説 団藤・前掲289頁)、不都合はあまり生じないし、②の場合は自白の証明力の厳格な吟味により虚偽自白による誤判防止を図ることができよう(たとえば、捜査段階で自白、公判段階で否認しているなど変遷がある場合は、自白の裏付けとして事実上補強証拠が必要となる場合がある。)。
ところで、前述した小野博士の見解、つまり補強証拠の範囲を、通説である罪体説とは異なり、「犯罪構成要件に該当する事実に限る」と理解する見解は、主観的要素を犯罪構成要件に含むと理解し、主観的要素も補強証拠の範囲に含めるだけでなくさらに犯人性もその範囲に含めて理解している(罪体の概念は使わないが前述の③の見解に近い。)。すなわち、「自白と補強証拠との関係において、構成要件における客観的面と主観的面との間に差等を設ける理由はないし、特に行為者が何人であるかは具体的な犯罪構成事実の重要な一要素である」「行為者との結びつきを切り離し、行為の客観的面だけを特に重要視して、それのみについて補強証拠を必要とするものと解すべき実質的理由はない」という。しかし、続けて「自白がすでに一つの証拠である以上、その各部分について残りなく補強証拠を必要とすると考えるべきではなく、その一部分にあたる補強証拠によって全体として被告人の犯罪事実が確信されるに至るならば、それをもって足りると解するのが相当である」といって(小野・前掲178頁)、実質説的な理解を示しており、せっかく補強証拠の範囲を広げて解釈した意味が喪失してしまっている。よって、この見解は罪体説をより拡張する見解ではなく、実質説の一種とみるべきであろう。