刑法思考実験室 「抽象的事実の錯誤の判例通説は理論的に正当化できるのか」 | 刑事弁護人の憂鬱

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第1 判例通説の解釈

  異なる構成要件間の錯誤、つまり抽象的事実の錯誤について、判例通説は法定的符合説(構成要件的符合説)にたち、原則として故意を阻却するとしながら、構成要件が実質的に重なる場合は、重なる罪の限度で故意が阻却されず、故意犯が成立するという(最決昭和54・3・27 最決昭和61・6・9など。)。これを定式化すると以下のようになる。※

 ※なお、客体の錯誤を前提にしている。ちなみに抽象的事実の錯誤でも方法の錯誤、因果関係の錯誤が問題となりうること、いわゆる共犯の錯誤では、客観的共犯行為と客観的正犯行為の齟齬が異なる構成要件で生じており罪名従属性ないし犯罪共同・行為共同の問題も重なることに注意せよ。

1 構成要件が重ならない場合 故意が阻却される。過失の客観的に実現された罪、主観的な罪の未遂の成否が問題となる。

2 構成要件が重なる場合
 ア 客観的に重い罪 主観的に軽い罪の認識
 →刑法38条2項により客観的に重い罪は故意が阻却され不成立。ただし、重なる軽い罪の故意犯が成立。

 イ 客観的に軽い罪 主観的に重い罪の認識
 →重なる軽い罪の故意犯が成立

 ウ 法定刑が同一 
→客観的に実現された罪の故意は阻却されず、客観的に実現された罪の故意犯が成立する。

第2 「実質的重なり合い」の問題性

  客観的な罪と主観的に認識した罪が法条競合や包摂、大小関係にある場合は、重なりあう限度の故意犯成立はアイウにつき理論的に無理はない(いわゆる形式的重なりあいによる符合)。しかし、「実質的に重なりあう」といわれる、覚せい剤輸入と麻薬輸入、窃盗と占有離脱物横領などは、法益や行為態様に共通性があっても、客体そのものの性質の異同が犯罪の個別化にとって重要なメルクマールとなっている前者、占有の有無といった排他関係が個別化のメルクマールとなっている後者において、上記アの場合に、重なりあう主観的な軽い罪が成立するとすると、客観的な構成要件の充足がないのに犯罪を認めることになる。この点、38条2項により客観的構成要件を修正する見解(町野。ただし、いわゆる不法責任符合説の立場から※※。同旨 最高裁昭和61年決定・谷口裁判官補足意見)、共通構成要件(山口)ないし合成構成要件(林)などの概念操作により正当化を試みる見解もあるが、理論的に成功しているとは思えない。故意の構成要件関連性※を強調しつつ、客観的構成要件の犯罪個別機能を無意味にする解釈は、構成要件論の破綻であり、実体法の根拠のない罪刑法定主義違反の疑いすらある。


 また、刑法38条2項「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。」と規定されているところ※※※、この条項に対して
「ただし、重なりあう軽い罪の故意犯成立を妨げない」といった規定を追加しない限り、判例通説は正当化できないのではないか(逆をいえば、判例通説は解釈によりこういった追加規定を構成要件修正規定として読み込んでいるということであろうか。もっとも、判例通説の重点は「実質的重なり合い」の解釈の正当化にあり、あまり客観的構成要件の充足について意識していないと評価すべきかもしれない。)。


故意の構成要件関連性
 故意が成立するためには、構成要件該当事実の認識が必要であることをいう。構成要件の機能から表現すると(客観的)構成要件の故意規制機能という。

 ドイツ刑法16条1項「行為遂行時に、法定構成要件に属する事情を認識していなかった者は、故意に行為したものではない。過失による遂行を理由とする処罰の可能性は、なお残る。」

 このようにドイツ刑法は故意の構成要件関連性を規定する。判例通説は、日本刑法38条1項の「罪を犯す意思はこれを罰しない」の規定に同様の趣旨を読み込むものといえる。しかし、他方で判例通説は、誤想防衛を事実の錯誤として故意を阻却することをみとめ、故意の認識対象を構成要件該当事実に限定していない。日本刑法では構成要件は実定法概念ではなく、故意の認識対象は同条項の「罪」概念の解釈の問題で有り(特定の罪を意味するのか、およそ罪であればよいのか、重なり合う罪を意味するのか、構成要件に該当する違法な事実を意味すのか、不法責任を基礎づける事実を意味するのかなど)、構成要件関連性を厳格に維持する実定法上の明確な根拠はないのである。強いて理由付けるならば、「罪」とは①犯罪で有り、犯罪とは構成要件に該当する違法有責な行為をいうので、故意の成立には構成要件に該当する事実の認識が必要で有り、②構成要件は違法行為類型であり、かかる事実の認識があれば、違法性の意識を喚起できる(故意の提訴機能ないし違法性の意識喚起機能)または「規範の問題」に直面できるので、責任=非難可能性を根拠づけるものとして故意の構成要件関連性が要求されるという点に根拠づけることができる。

※※ 不法責任符合説
  「故意は構成要件該当事実の認識ではなく、その事実の意味の認識」であり、「構成要件的事実の認識がなくとも、その犯罪的な意味、すなわち不法・責任内容の認識があれば故意を肯定することができる。従って、事実的な構成要件そのものの符合ではなく、その不法・責任内容の符合をもって足りる」とする見解をいう(町野朔・刑法総論講義案Ⅰ 第二版230頁)。さらに刑法38条2項は「客観的に充足された構成要件を主観的に認識された軽い方の構成要件に修正し、軽い犯罪を成立させる規定」と解している(町野・前掲236頁)。ちなみに同説は、当然、構成要件の「故意規制機能」を否定している(町野・前掲209頁)。

※※※ドイツ刑法16条2項は
「行為遂行時に、より軽い法律の構成要件を実現する事情を誤認した者は、より軽い法律によってのみ故意による遂行を理由として罰することができる。」とあり、軽い罪での処罰を明文化している。


第3 試論

   仮に立法論でなく解釈論として正当化するには、アについて重い罪の成立は認めるが、刑は軽い罪を科すという解釈が、客観的構成要件の充足と故意に基づく責任刑の要請上無理は無いのではなかろうか。この意味でむしろ「故意の構成要件関連性の修正・拡張規定」と38条2項を理解すればよいと思う。
 つまり構成要件が重なる限度で犯罪の成否という規範的観点から「罪を犯す意思」=故意の成立範囲を拡張ないし修正し、この限度で一種の抽象的符合説を採用する(なお、日高教授の合一的評価説も参照。)が、行為者の事実認識が軽い罪の構成要件にとどまっているので、重い罪が成立しても重い罪の刑で処断せず、軽い罪の刑で処断する(罪名・科刑分離説 規範的責任はあっても、可罰的責任の観点から重い罪の故意責任を軽い罪の責任=科刑に制限すると考える)。換言すると、38条2項は重い罪で「処断することができない」=刑を科すことができないが、その反対解釈として軽い罪の刑を科すことができると読み、その前提として重い罪の故意と成立を認める規定と解釈するのである。ただし、軽い罪の構成要件を客観的に充足する場合(軽い罪が重い罪の補充構成要件となっている場合、客観的には業務上横領で主観的には単純横領の場合)は、38条2項を適用せず、端的に軽い罪の成立を認め、軽い罪の刑を科す。
 イの場合は、軽い罪の「罪を犯す意思」を認め、行為者に重い罪の事実認識があっても、故意責任は実現された客観的構成要件を充足する違法行為を前提としているので(行為責任の原則)、重い罪が客観的に実現されていない以上、つまり重い罪の客観的構成要件は充足していないので、重い罪の刑を科すことはできず、軽い罪が成立しかつ軽い罪の刑を科すことになる。ウの場合も同様の論理で客観的に実現された罪の「罪を犯す意思」の成立を認め、かつ客観的な罪の刑を科す。
 窃盗と占有離脱物横領を例にとるとアの場合は、窃盗(235条)、38条2項、占有離脱物横領(254条)を適用する。イの場合は254条のみ適用する。
 法定刑同一で、客観的には虚偽公文書作成罪(156条)で主観的には公文書偽造罪(155条)でウの場合を例にとると、156条のみ適用する。
 このようにイウの扱いは判例通説と同じであるが、アのみ異なることになる。いずれも客観的な構成要件の充足に適合した犯罪を成立を認める。そして、必要的没収などの付加刑の適用については、客観的に成立した犯罪の罰条を基準に適用することになる(これにより薬物犯の錯誤に関する判例の必要的没収の適用関係を正当化できる。)。
 この考えは、アのケースについて「抽象的符合説」の適用を判例通説のいう実質的重なり合い=法益・行為共通基準により限定し、かつ客観的構成要件充足を重視する。この意味では従前の拡張的な抽象的符合説(牧野、宮本、草野など※)より制限的な「抽象的符合説」ともいえる。

抽象的符合説
 刑の不均衡を是正するために抽象的事実の錯誤でも故意を抽象化し、構成要件的制約を離れて広く故意犯処罰を認める見解をいう。38条2項の制限を除き、原則として符合、故意の成立を認めるものである。犯罪を刑の軽重の部分での把握し大(重い)は小(軽い)を含むと量的抽象的に抽象的事実の錯誤の故意の成立・符合を認めるといえようか。その理論構成、帰結については、論者によって相違がある。
  ・代表的な牧野英一博士の見解は以下のとおり。
   アの場合、軽い罪の既遂と重い罪の過失の観念的競合とする(例えば、器物損壊の故意で殺人の客観的結果を生じた場合は、器物損壊の既遂と過失致死の観念的競合)
   イの場合、重い罪の未遂(または不能犯と軽い罪の故意既遂の両者を合一して重い方に従うとする(例えば、殺人の故意で器物損壊の結果を生じた場合、殺人未遂と器物損壊の既遂と合一して、重い殺人未遂として処断する)、
   ・その他、主観的な罪の未遂と客観的な罪の過失と客観的な罪の故意既遂を想定し、最も重い罪に従うという宮本英修博士の見解(可罰的符合説、規範的故意と可罰的故意の区別という特殊な構成)、主観的な罪の未遂と客観的な罪の過失を想定し、未遂処罰規定がなくても未遂処罰を認める草野豹一郎博士の見解などがある。
   ・戦後の主張者は少数であるが、日高教授の見解(合一的評価説 現代刑事法1999年10月第6号 23頁など)や斎藤信治教授の見解(ただし、方法の錯誤は因果関係を欠くとして客体の錯誤などの場合に採用)などがある。


参考文献
  判例通説は、各種刑法総論教科書、判例解説を参照。
  判例通説に対する批判的見解としては、松宮孝明「事実の錯誤と故意概念」(現代刑事法1999年10月号 第6号 34頁以下)、斎野彦弥「事実の錯誤と故意概念」(同41頁以下)などがある。
  なお、ドイツ刑法の訳文は法務省大臣官房司法法制部編「ドイツ刑法典」(法曹会 平成19年)によった。