刑法思考実験室 「被害者の同意と詐欺罪」(下)
イ 目的の欺罔
財物の使用目的ないし財物の交換価値・性質・効用、反対給付が取引において重要な要素となっている場合は、その欺罔(錯誤)の対象となる重要な事実である。
後述する法益関係的錯誤のケース、つまり、財物(法益)の性質、財物の交換価値に関わる反対給付の有無・範囲・価値などは交付を決定する重要な要素であって、詐欺(錯誤)の対象となる重要な事実である。
たとえば、神経痛が完治する性能があるかのように偽った通常のマッサージ器を市場の相当価格で売却した場合は、反対給付の性質・効用についての欺罔(錯誤)であり、詐欺が成立する(反対給付の錯誤)。癌に効くなど商品の効用を誇大に宣伝して売却する場合も同様である。
預金通帳・キャッシュカードを第三者に売買する意図で、口座開設を申し込み預金通帳・キャッシュカードを交付させる行為は、銀行の預金契約の目的に反する使用目的であり、その欺罔(錯誤)は重要な事実であって、詐欺が成立する(目的実現の錯誤 最決平成19・7・17刑集61・5・521)
いわゆる寄付金詐欺、寄付する意図がないにもかかわらず、これを装い募金することは使用目的の欺罔・錯誤であり、詐欺が成立するが、隣家のAさんも寄付しましたよと偽って募金させた場合は、うそをつき被害者の虚栄心を利用していても重要な事実の欺罔・錯誤はないので、詐欺は成立しない。
第3 詐欺罪における被害者の錯誤の意義…いわゆる法益関係的錯誤の問題について
詐欺罪における被害者の錯誤は、前述したとおり、欺罔の対象と一致する必要があり、財物交付行為の起因(動機付け)となる取引通念上重要なものでなければならない。いわゆる財物価値の欺罔(目的の欺罔)について、相当価格の代金支払いが問題となるが、欺罔の対象と錯誤の対象が一致する限り、詐欺罪の成立をみとめてよい。経済的損害はないとの批判もあるが、期待した交換価値を得られなかったという意味でやはり経済的損害はある(いわゆる「交換価値の失敗」 山口・各論268頁※)。詐欺罪の法益は財物に対する所有権(本権説)ないし占有(所持説)であるが、財物の交換価値はまさに法益に関係するものである。その錯誤は重要な錯誤であって、一般取引上の自己責任の原則に委ねられないものであり、その被害者の同意は刑法上「任意」性を欠くものとして、同意を無効とし詐欺罪の成立を認めるべきである。
なお、重要な錯誤(法益関係的錯誤)がない場合は、重要な錯誤に基づく交付に向けられていないから、実行行為性そのものを否定し、未遂も成立しないというべきであろう。前述した欺罔の対象と錯誤の対象が一致しない骨董品の事例は、被害者の錯誤の観点からは、交換価値の失敗がない、法益関係的錯誤がない場合といってよい。つまり、欺罔の側からみるか錯誤の側からみるか、いずれせよ取引上重要な事実の欺罔ないし錯誤がどうかが詐欺の可罰性(法益侵害性・財産的損害)、その裏面としての被害者の同意による不可罰性を決定づけるのである。
※ 佐伯仁志教授も詐欺罪における重要な事実の錯誤を限定として「客観化可能で具体的給付に内在し、かつ経済的に重要な目的」の錯誤に限定するのも同趣旨であろう(佐伯「詐欺罪の理論的構造」107頁参照)。
参考文献
大塚仁ほか編 大コンメンタール刑法第2版第13巻(2000年 青林書院)
前田雅英ほか編 条解刑法第2版(2007年 弘文堂)
山口厚・刑法各論第2版(2010年 有斐閣)
山口厚・問題探求刑法各論(1999年 有斐閣)
山中敬一・刑法各論第2版(2009年 成文堂)
山口厚ほか・理論刑法学の最前線Ⅱ 佐伯仁志「詐欺罪の理論的構造」(2006年 有斐閣)
林幹人・刑法各論第2版(2007年 東京大学出版会)
西田典之・刑法各論第4版補正版(2009年 有斐閣)