刑法思考実験室 「被害者の同意と詐欺罪」(上) | 刑事弁護人の憂鬱

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刑法思考実験室  「被害者の同意と詐欺罪」(上)





第1 はじめに



 1 被害者の同意については、特に傷害罪の成否について多くの議論がされている。※

   しかし、そもそも被害者の同意自体が刑法各本条の犯罪構成要件ないし犯罪類型として予定されるが、その犯罪性を阻却しない場合がある。同意殺人罪、同意堕胎罪、詐欺罪、恐喝罪などがこれにあたる。一般類型より刑が軽くなる減軽類型の場合と被害者の同意はあるが、その意思決定過程に瑕疵があり、法益処分の同意としては犯罪性の阻却を認めがたい場合に分類することができる。※※

 2 前者は「任意」の同意であるが、犯罪性の阻却を完全に認めがたいものであり、後者は被害者の同意としては意思形成過程に瑕疵があるので本来の意味での「任意」(真意)に基づく同意ではないので犯罪性は阻却されないとの理解ができる。

 3 前者は、被害者の同意による犯罪性阻却の効果の制限の問題であり、従来、主として同意傷害の論点として議論されてきたことである。他方、後者は、同意の意思形成過程に働きかける行為の態様、たとえば欺罔行為、恐喝行為について吟味し、さらに被害者の法益処分との因果関係が要求され、その検討により、「任意」性がないことが判断されている場面といえる。特に錯誤に基づく同意の任意性・有効性をどこまで認めうるかの限界という観点からの「被害者の同意」の射程、「任意」性の問題である。いわゆる「法益関係的錯誤」※による同意の問題はこの観点の問題と把握できよう。

※被害者の同意と法益関係的錯誤については、近時の刑法総論の教科書(特に山口、山中教授のものが詳しい)を参照のこと。その意義、限界等については本論考では割愛する。



4 本論考は、後者について特に詐欺罪の欺罔行為と被害者の同意との関係について、欺罔行為・錯誤・交付行為との因果関係の裏返しとして、厳密な意味で「任意」性・同意の有効性が肯定されるかぎり(被害者の重要な錯誤がない場合)、結果的に詐欺罪は成立しない場合があることの検証を欺罔行為・錯誤の要件解釈、とくに前者を通じて試みるものである。





※ 被害者の同意は不法を構成しないとの思想は、欧米においては、民事においても刑事においても伝統的な考えである。今日のドイツ及び日本の刑法学でも影響を与えており、詳細は各種刑法総論教科書を参照にしてほしい。ちなみに判例は、保険金詐欺の目的の同意傷害の事案について、諸般の事情を考量し、違法な目的等を重視して違法性阻却を認めない判断を示す。学説は、行為者の主観的目的、行為態様を重視し、判例と同様に同意の違法性阻却の制限を主張するもの、被害者の自己決定権を強調し、同意傷害の違法性阻却ないし構成要件阻却を広く認めるもの、パターナリズム(国親思想・家父長主義)による違法性阻却の制限を認める、たとえば重大な傷害について同意傷害を可罰的とするものなどが主張されている。違法性の本質論、違法阻却の一般原理といった「大理論」上の問題とかかわるが、ここでは、その当否については触れない。ただし、判例の諸般の事情を考量した違法性判断は、基準が明確でなく、当該犯罪類型の保護する法益以外の法益ないし違法な目的を考慮して違法性判断をする姿勢は、恣意的かつ法益論(法益欠缺の原則)を無意味にするものであって疑問があると指摘しておくにとどめる。

※※ 正確には被害者の同意が一切犯罪性に無関係(減軽もされない)という類型もある。たとえば、13歳未満の法定強姦罪(刑法177条後段)がこれにあたる。





第2 詐欺罪の欺罔行為の意義



 1 財物に関する詐欺罪の要件は、「人を欺いて財物を交付させた」ことである(刑法246条1項)。さらに細分すると、①人を欺く行為(欺罔行為)、②被害者の錯誤、③錯誤に基づく交付行為であり、①②③は因果関係が必要であり、①②③の事実についての認識認容が故意の内容となる。さらに詐欺罪も領得罪なので、窃盗罪と同様に不法領得の意思が必要とされる(判例・通説)。さらに判例通説によれば、④損害の発生も要件となる。

   しかし、判例・通説は、詐欺罪を個別財産に対する罪と理解し、財物の移転、占有の喪失をもって個別財産の損害を肯定するので(形式的財産損害説)、独自の要件としてあげる意味が乏しい。もっとも近時は、実質的な財産損害がなければ詐欺は成立しないとの見解(実質的財産損害説)が有力であり、近時の判例にもその傾向がある。

   ただし、この点は明文のない損害要件を独自に考察するのではなく、①欺罔行為、②錯誤、③交付行為の要件に反映して解釈すべきであり、被害者の意図する(目的)交換価値の失敗という損害(法益侵害)が①②③の要件充足を通じて肯定される場合が詐欺の構成要件の実現であると理解すべきであろう(山口・各論267頁は物・利益の移転自体に実質的な法益侵害性を肯定しうるかの問題とし、実質②の錯誤要件=法益関係的錯誤の存否の問題に解消するようである。)。



 2 ただ、そうではあっても詐欺罪の①②③の要件のうちどこに着目すべきか。近時は②錯誤に着目し、詐欺罪の錯誤は法益関係的錯誤を出発点として理解する見解が有力である(佐伯、山口、山中、林幹人など※)。

   なるほど②の錯誤要件が①③の要件を繋ぐ要であり、重要な要件であることは間違いないが、①②③の因果関係の結びつきは、さかのぼって①の欺罔行為についても因果関係の起点にふさわしい限定が要求されると解すべきであり、また①②③の因果関係の要請は、②の錯誤要件についてもさらなる限定が加わるとみるべきである。すなわち、議論の出発点は詐欺罪の因果関係、錯誤要件=被害者の同意の裏返しから、①の欺罔行為=実行行為の限定解釈に着目して考察すべきである。※※

   以下具体的に論じる。





 その中でも論者の依って立つ考えは様々であるが、詐欺罪を被害者の錯誤を利用した窃盗の間接正犯の一類型という理解は、詐欺の欺罔行為の独自の不法性を軽視しているし、その結果、③の交付行為における交付意思要件を不要としいわゆる無意識的処分行為肯定説と結びつくことになれば、利益窃盗不可罰との境界線をあいまいにし疑問が残る。



※※ 佐伯仁志教授は、実務が詐欺罪の成立に実質的な損害を考慮する傾向は支持しつつも、理論的には「欺罔が重要な事項に関するものであるかどうか、すなわち、欺罔されていなければ金員を交付しなかったといえるかどうか、および、欺罔が法益関係的錯誤に向けたものといえるかどうか(と行為者の故意)だけ問題なのである。」と指摘する(佐伯「詐欺罪の理論的構造」115頁)。解釈論として欺罔・錯誤に着目する点は支持すべきである。



 3 ①の欺罔行為とは、人を錯誤に陥らせる行為であり、錯誤とは観念と真実の不一致、つまり主観的に認識したことと客観的な事実の不一致をいう。還元すれば、虚偽の事実を告知して、人を誤信させる行為といってもよい。もっとも、不作為による欺罔行為(告知義務違反)や挙動による欺罔行為を肯定する見地からは、方法のいかんを問わず、虚偽の事実を表示しまたは虚偽の事実を訂正せずに、人を誤信させる行為とも定義可能である(広範すぎる嫌いがあるが、欺罔行為の程度と性質で限定を加えれば不都合はないかもしれない)。被害者の錯誤の性質については第3項目で後述する。