福島出張の帰りの車内での執筆である。
ノートパソコンがあるとどこでも仕事ができるのは便利だが、どうしても裁判所に現実にいかないとならないケースも多い。調停は電話会議がきかないのである。
いわきだったので地震の爪痕は、感じられない様子であったが、一時ゴーストタウンのようになっていたともきく。
電車もすかすかなのは寂しい感じだ。
さて、取り調べについて、弁護側はする側ではなくされる側の防御なのだが、可視化がされない状況では、密室での取り調べに対しては、間接的な防御の方法しかない。
アメリカのミランダルール、つまり弁護人の被疑者取り調べにおける立ち会いの権利は、日本においては、法令上も判例上も実務上も認められていない。
ところが、一度だけ、被疑者者調べに弁護人として立ち会ったことがある。レアケースかもしれないが、まさにミランダルールの法理の実践である。事案は未成年者誘拐事件で、被疑者が高齢で精神的不安定という特別な状況であったため、なんと「警察にたのまれて」立ち会ったのである。関西の警察なので、東京とは感覚がちがったのかもしれないが。こういうことも現実にあるのである。結論として不起訴となってはいるが、今後、取り調べの立ち会いを経験できるかは未知数である。
関西の警察といえば、数年前、大阪府警の取り調べの違法性を争ったケースで、被疑者が任意調べのときに録音していたので、これを証拠申請し、証拠調べをした。怒号、間接暴行、おどし等やくざ顔負けの調べの状況は、当の警察官がそんなことはありませんと証言したことを白々しくさせるのに十分であった。興味深かったのは、検事が警察官調書を途中で撤回し、検察官調書の自白調書を維持したのであるが、影響力が遮断されていないとして、検察官調書も証拠として任意性が否定されたことである。裁判所もたまにこういう厳格な判断をするのである。
上記事件のときにももちいたが、否認事件等で最近弁護士会で活用を進められるのが、「被疑者ノート」である。
これは、身柄拘束中の被疑者が取り調べの態様を記録するために用いられるノートである。取り調べ時間、きかれたこと、調書の枚数などなどかなり細かく記入できるよう工夫がされている。
赤裸々な取り調べの内容はかなり衝撃的なこともある。警察官が検事調べの前にレクチャーといって、どう話すか講義する、利益誘導、中傷誹謗、よくわからない取調官の感想などなど、その取調官の人格、能力が垣間見えるだけでなく、取り調べ、捜査の意図も推測できる。その意味で、「被疑者ノート」は、全面可視化を補完する重要な防御方法である。
では、違法不当な取り調べの判断基準はどう考えるべきか。
判例は任意捜査(取り調べ)の限界という論点で、利益考量的な判断をするが、非常に違法性判断は緩い。
糾問的捜査原則許容の立場といってよい。
自白の任意性判断とも絡むが、次回は取り調べの違法性判断基準論について考察したい。