糾問的捜査観について
平野龍一博士は、現行刑事訴訟法の捜査のモデル論として、弾劾的捜査観と糾問的捜査観のモデルを対比し、捜査実務は、糾問的捜査観であると喝破し、弾劾的捜査観にシフトすべきと提唱した。
糾問的捜査観とは、捜査を被疑者の取り調べのものと理解し、逮捕勾留も被疑者の取り調べのためにあり、逮捕勾留された被疑者は取り調べ受忍義務をおう。
「糾問的」とは、「職権主義的」と同義であり、職権主義の裁判官が被告人を一方的に調べるように捜査官が、被疑者を追及し取り調べるイメージである。
これに対する弾劾的捜査観とは、捜査は公判の準備活動であり、捜査官と被疑者は対立する当事者であって、被疑者には黙秘権が保障される以上、強制的取り調べは許されない。すなわち、逮捕勾留は罪障隠滅逃亡の防止にあり、逮捕勾留中の被疑者に取り調べ受忍義務はない。
「弾劾的」とは、「当事者主義的」と同義であり、公判の検察官と被告人が当事者主義の構造をもつように、捜査官と被疑者を当事者対等にし、被疑者の黙秘権などの防御権保障の充実化を図るイメージである。
捜査実務は当然、この分析と弾劾的捜査観の提唱に反発した。弾劾的捜査観を徹底すると、被疑者の取り調べは否定され、縮小することになるからである。
また、糾問的捜査観というレッテルが捜査実務の本質をつき正鵠を射たためかもしれない。検察官はもとより裁判官の中にも捜査は糾問的捜査であるとの認識が強い。
捜査実務の取り調べ中心主義は根強く、糾問的捜査観というレッテルの批判がなされて半世紀以上、今日に至るまで大きな変化はない。
密室での取り調べとそれに基づく供述調書の作成は有罪率99パーセントを支える要であるという強固な認識が背後にあるからであろう。
しかし、近時の証拠改ざん事件、冤罪事件は、捜査実務にコペルニクス的転換を迫っていると思うのだが、またあと半世紀、変化はないままなのだろうか。
弁護人の尽力により、裁判所の重い腰を動かすしか方法はないのかもしれない。
車中にて
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