刑法思考実験室その4「実行行為・結果の帰属と因果関係の錯誤」(下) | 刑事弁護人の憂鬱

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 4 二つの行為を予定する行為者の計画と結果発生の齟齬(事例2ないし4の検討)

(1)事例2は、行為者は①の行為と②の行為を予定し、①の行為での結果発生を認識予見していたが、現実には②の行為で結果発生が生じた場合である(いわゆるヴェーバーの概括的故意の事例、遅すぎた構成要件の実現)。

 ドイツの刑法学者ヴェーバーは、①の行為と②の行為を包摂する故意により、全体として殺人既遂が成立すると主張した。しかし、ここでいう概括的故意の存在がなにゆえ、①②の行為を殺人既遂とする根拠となるのか理由は明瞭ではない。そこで、現在はドイツでも日本でもヴェーバーの概括的故意説は支持されていない。

 ここでも、まず、①の行為について、殺人の実行行為があるかどうか吟味し、②の行為をどう評価するかを検討する必要がある。

 第1の見解は、①の行為を殺人の実行行為と特定し、②の行為から結果発生したので、①の行為について殺人未遂、②の行為について過失致死を認める。この見解は、行為の個別分析的に評価するが、Aにとって最終目的である結果が発生している点について、殺人既遂の責任を負わせないのは常識的にみて違和感がある。

 第2の見解は、①の行為と②の行為を、一連の行為つまり一個の殺人の実行行為と特定し、窒息死と砂の吸引死の齟齬は、因果関係の錯誤と理解する(因果関係の錯誤説 通説)。そして、法定的符合説を前提にするかぎり、故意は阻却されず、殺人既遂が成立する。しかし、一連の行為とみるのは、因果関係の錯誤に持って行くための後知恵的印象はぬぐえない。

 第3の見解は、①の行為を殺人の実行行為と特定し、②の行為を過失致死行為とするが、②の行為を因果関係における自己の行為の介在事情の事例と理解し、因果関係の有無を吟味し、否定される場合は殺人未遂と過失致死罪が成立し、肯定される場合は、因果関係の錯誤となるが、故意は阻却されないとし、殺人既遂が成立する(因果関係説)。なお、、殺人既遂が成立する場合、②の行為については罪数的には死の二重評価を防ぐため殺人既遂の吸収一罪または包括一罪と解するのが妥当であろう。なお、この見解は因果関係の錯誤不要論から主張されるが(前田)、通説である必要論からも論理的にはとりうるものである。

 上記の見解の違いは①の行為と②の行為を実行行為としてどう評価するかの差違であるが、①の行為で殺意があることに異論はない。第1の見解と第3の見解は個別に評価することを前提としているが、第2の見解は①②の行為を一連の行為として把握する見解であり、因果関係の錯誤に誘導する布石ともいえ、いわゆる全体的考察の一種である。ただ、第2の見解が①の行為と②の行為を連続した一連の行為、つまり、1個の実行行為と評価するのは、行為者Aの犯行計画を考慮するからともいえる。

(2)事例3は、行為者が①の行為に加え、結果発生のための別の行為①'を予定していたが、②の結果が予期に反し早く発生してしまった場合である(いわゆる「早すぎた構成要件の実現」)

  この場合も、考え方は同じで、まず実行行為を①の行為に認めうるかが問題となる。

  第1の見解は、①の行為に殺人の実行行為を認め、②の結果の発生を因果経過が早く生じたと把握し、因果関係の錯誤として把握し、殺人既遂とする(因果関係の錯誤説※)。事例の2の第2の見解と同じ考えである。

  第2の見解は、①の行為は、殺人の実行行為ではなく、殺人予備にとどまり、殺人予備罪と過失致死罪が成立すると解する(平野など多数説?。予備行為説)。①に実行行為が認められない根拠は、行為者Aの犯行計画を重視するものと思われる。

  第3の見解は、①の行為は、客観的には殺人の実行行為であるが、次に予定する①’行為を留保しているので、「既遂犯の故意」を阻却し(未遂犯の故意は残る)、殺人未遂と過失致死罪が成立すると解する(町野など。未遂説)。この見解も犯行計画を重視するが、第2の見解と異なり、①の行為に実行行為を認めたうえで、既遂犯の故意阻却を根拠に未遂説を導くものである。未遂犯の故意と既遂犯の故意が異なるのはおかしいという理論的批判があるが、この見解の実質は、結局、事例1で紹介した因果関係の錯誤=結果の故意への帰属論と同じである。

  第4の見解は、第3の見解と同様に①の行為に殺人の実行行為を認め、②の結果との間に相当因果関係を認めるが、実行行為の認識(故意)を欠くので、第2の見解と同様に殺人予備と過失致死罪が成立すると解する(実行行為の故意阻却説 西田など)。これは実行行為を結果からさかのぼって客観的に危険性を理解する見地にたちながら、因果関係の錯誤ではなく、実行行為の危険性の錯誤として理解するものといえよう。

 ※下級審裁判例には、①自殺しようと部屋内にガソリンをまき、②点火行為前にたばこを火をつけ、そこから引火し焼損した事例で、放火予備と失火罪ではなく、①の行為に放火の実行の着手と故意を認め、放火既遂を認めるものがある(横浜地判昭和58・7・20)。

 (3)事例4は、犯行計画上二つの行為を予定し、かつ二つの行為を実施した点で、事例2と類似するが、②の行為から結果発生を予定していた点で、事例3に類似する。すなわち、行為者が①の行為に加え②の行為を行い、②の行為から結果が発生することを予定し、現に①②の行為を行い死亡結果が発生したが、①の行為から発生したのか②の行為から発生したのか不明(どちらの可能性もある)の場合である。

この場合もまず、実行行為を①の行為に認められうるかが問題となる。

第1の見解は、①の行為と②の行為にともに殺人の実行行為を認めるが、どちらから結果が発生したのか不明なので、殺人未遂とする見解がありうる。しかし、①の行為にしろ、②の行為にしろAが関与しているのは間違いないのに既遂責任を負わないのは不合理である。

第2の見解は、①と②の一連の行為として1個の殺人の実行行為性を認め。結果との間で因果関係を認めた上で、①の時点で殺人の故意を認めて殺人既遂を認める見解がある(判例※)。事例2の第2の見解、事例3の第1の見解と同じ考えであり、①の行為での死の結果発生の可能性を認識していなくても故意を認めていることからすると、実行行為性の危険ないし因果関係の錯誤として理解するものといえる。若干補足すると、①の行為と②の行為は密接に関連し、①の段階でも死の危険性があり、その延長線上に②の溺死の危険が肯定できるのであり、①と②が関連し最終的に呼吸停止による死亡を予見している限り、①で死亡していた場合(早すぎた構成要件の実現)、②で死亡していた場合(遅すぎた構成要件の実現)であったにせよ、行為者の実行行為の危険ないし因果経過の認識は相当性の範囲内であって故意は阻却されないと解されよう。

※「クロロホルムを吸引させる行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手があったと認められ」「一連の殺人の実行行為に着手して、その目的を遂げた場合には、犯人の認識と異なり、海中に転落させる前の時点でクロロホルムを吸引させる行為により被害者が死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、殺人の既遂となる」と判示する(最高裁平成16年3月22日決定)。

    第3の見解は、①②ともに殺人の実行行為を認めた上で、①②とも殺人の故意が認められる限り、①②の行為を一種の択一的競合の場合と理解し、因果関係を認め、罪数的に殺人の包括一罪とする見解も考えられよう(第1の見解の発展修正。結論的に第2の見解と同じ。なお、択一的認定の処理で結局殺人一罪を認めることもあり得るだろうか…)。

    第4の見解は、①の客観的な殺人の実行行為を認めるも②の行為を予定しているので、既遂犯の故意はないと解して(事例3の第3の見解と同じ)、①の行為につき殺人予備、②の行為につき殺人未遂の見解もありうるが、Aが殺人既遂の責任を負わないのは疑問が生じる。

 (4)結語

  理論的には上記のとおり、難解な点が多いが、どの場面も、まず、ア ①の行為の実行行為性の吟味、イ ②の行為との因果関係(因果経過)、ウ ①の時点での故意の有無が問題となり、さらに全体の視点として、エ 行為者の犯行計画との現実の因果経過のズレをどう解するかの問題となる。

 私見としては、さしあたり、実務的には上記アイウの順番に判断し、エにつき通説的「因果関係の錯誤」による処理を原則としてよいであろう。ただし、例外的に「故意への結果の帰属」の問題(主観的な因果関係ないし主観的帰属)として解決すべきケースもあり得ると思われ、なお検討を要する。

参考文献

 団藤重光・刑法綱要総論第三版(1990年 創文社)

 平野龍一・刑法総論Ⅰ(1972年 有斐閣)

 西田典之・刑法総論第2版(2010年 弘文堂)

 前田雅英・刑法総論講義第5版(2011年 東大出版会)

 中山研一ほか・レヴィジオン刑法3(2007年 成文堂)