刑法思考実験室その3 「具体的事実の錯誤と法定的符合説」 | 刑事弁護人の憂鬱

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刑法思考実験室その3 「具体的事実の錯誤と法定的符合説」

1 具体的事実の錯誤について、いわゆる「法定的符合説」を判例はとるといわれる。

2 例えば、Aを殺そうとピストルを発射し、狙ったとおり、弾があたったが、当たって死亡したのはAに似たBであった場合(客体の錯誤)、Aを殺そうとしてピストルを発射したが、弾はAに当たらず、意外のBにあたり、Bが死亡した場合(方法の錯誤)、ともにBに対する殺人罪を認める見解である。
  すなわち、「犯罪の故意があるとするには、罪となるべき事実の認識を必要とするものであるが、犯人が認識した罪となるべき事実と現実に発生した事実とが必ずしも具体的に一致することを要するものではなく、両者が法定の範囲内において一致することをもって足りるものと解すべきである」から「人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかった人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるものというべきである」(最高裁昭和53年7月28日判決)。※1

※1 旧刑法298条は「謀殺故殺を行ひ誤て他人を殺したる者はなほ謀故殺を以て論ず」、旧刑法304条は「殴打により誤って他人を創傷したる者はなほ殴打創傷の本刑を科す」とあり、殺人・傷害における方法の錯誤について故意を認める規定(法定的符合説)をおいており、これは注意規定と解され、当時の判例は、法定的符合説を採用していた(大判明治40・5・23)。現行刑法になっても法定的符合説の判例は引き継がれているが(団藤・刑法綱要総論第3版304頁)、大判大正5・8・11は方法の錯誤につき、故意を阻却し、具体的符合説を採用するかの判例がある(この判例は、上記誤殺傷規定を特別規定と解し、現行刑法には規定がないことから、具体的符合説的見解をとったものと思われる。伊東研祐「事実の錯誤」刑法の基本判例(1988年有斐閣)41頁)。団藤前掲304頁も、この判例は例外的なものと解している。



3 周知のとおり、この法定的符合説に対しては、方法の錯誤でAもBも死亡した場合(併発事実)は、2個の殺人罪が成立するので(上記判例・数故意犯説)、妥当でないと批判がある。そこで、法定的符合説を修正する一故意犯説(大塚、福田など)、具体的符合説(平野、西田、山口、山中等近時の多数説)が有力に主張されているが、ここでは、法定的符合説・数故意犯説(団藤、大谷、前田等少数説)にしぼって、その理論的根拠・実際的妥当性・適用範囲について若干の検討をこころみる。※2

※2 現行刑法が施行された明治40年当時の通説は具体的符合説であったといわれる(伊東前掲40頁参照)

4 まず、理論的根拠については、「同じ構成要件の範囲内で具体的な事実について錯誤があっても、同じ構成要件的評価を受ける事実を表象していたのであるから、行為者が発生した事実についての規範の問題(たとえば「人を殺してよいか」など)を与えられていた点に変わりはなく、直接的な反規範的人格態度を認めることができる」(団藤・刑法綱要総論第3版298頁)。つまり、AであれBであれ、「およそ人を殺す意思」があり、現に人であるA、Bが死亡していれば、行為者は、「およそ人を殺してはいけない」という規範の問題に直面していたことに変わりはなく、故意の責任(直接的な反規範的人格態度)を認めることができるという。ここでの規範は抽象的な「およそ人を殺してはいけない」ということであるが(抽象的法定符合説)、法は、具体的に認識した客体について具体的に「その人を殺してはいけない」という具体的な規範に直面できるのであり、抽象的な規範違反をもって故意責任を基礎づけるのは妥当でないと批判が具体的符合説(具体的法定符合説)からなされている。
 しかし、これは、規範論理の理解の問題であり、これ自体から理論的優劣は決定されない(公理体系の相違、見解の相違にとどまる)。
 また、具体的に規範を考えると方法の錯誤の場合、具体的符合説では、Aに殺人未遂、Bに過失致死罪が成立するが、Bに対する客観的過失、つまり結果回避義務は、Aを殺そうとする行為をしないことが最もベストな選択であるが、法がAを殺そうとする際は、Bを殺さないよう注意せよという具体的規範を行為者に与えていると見るのは、生命という法益の重大性、法の下の平等から不合理である。この場合は、端的にAを殺すなという規範によってBの法益を守ることができるのであり、同一構成要件(その実質は同一の客観的な法益侵害行為)内での行為規範について抽象的に理解することも規範による法益保護上、不合理なものではない。
 法定的符合説はAに対する殺意に基づく実行行為から生じたBに対する死亡結果について、それが故意の違法な実行行為から予想外の結果が生じたものであっても、生じた結果が法定の構成要件の範囲内について、Aに対する殺意を抽象化し、Bに対する殺意としても法的評価を行い、Bに対する殺人罪を認めるものである。一種の法的評価の再施であり(民事訴訟法における新訴訟物理論の訴訟物の法的評価替えの考えを参照)、英米法にいう「移転された故意」といってもよい(団藤前掲300頁)。
 もちろん、予想外の客体について故意を認めるのは責任主義に反するとの批判もある。しかし、傷害致死罪のような結果的加重犯は、予想外の重い結果について故意はないが、故意の違法な基本犯と因果関係がある意外の結果について、単なる意外の結果についての過失犯より、重く処罰している。つまり、故意の違法な行為に基づく意外な結果は、単なる過失犯より責任が重いことを意味する。※3 方法の錯誤の場合も、法益主体が異なるとはいえ、故意の違法な行為から意外の結果が生じたという点では結果的加重犯と類似の構造を持つ(結果的加重犯は同一の法益主体に関して意外の重い結果が生じる)。
また方法の錯誤において、行為者が直面する意外のBの生命=法益を侵害するなという規範もAを殺すなという規範(およそ人を殺すな)に含まれていると理解すれば、意外のBについて過失責任ではなく故意責任を認めることが責任主義に反するとはいえない。

※3 通説は、結果的加重犯の加重結果につき責任主義の要請により過失を必要とするが、判例は過失不要説にたつ。過失不要説は基本犯の故意があれば責任主義を充足すると考えているか、重い結果は特殊な客観的処罰条件という理解をとる。しかし、過失必要説であれ過失不要説であれ、重く処罰される根拠については、責任主義の観点からだけでは説明できない。一定の故意犯から死傷結果が類型的に発生する頻度が極めて高い場合を事前に選び出して、特別な形態の犯罪類型が結果的加重犯であり、死傷結果を発生させる高度の危険性を内在させている故意の基本犯は、侵害犯であると同時に、被害者の生命・身体に対する故意の具体的危険犯に類似した側面をもつものであるから、重い結果に対する故意の侵害犯(殺傷罪)としての法定刑に近い程度までの加重は許されて良い(「危険性説」 丸山雅夫「結果的加重犯の構造」現代刑事法2003年4月号45頁)。そして、殺人の方法の錯誤については、故意の殺人の実行行為の高度な危険が意図しない結果に実現した場合、意図しない結果についての故意の侵害犯として扱うことが、結果的加重犯=危険性説の趣旨に照らし妥当である。

5 次に実際的妥当性について、いわゆる故意の個数を中心に検討する。
  いわゆる併発事実について、因果関係があるかぎり、法定的符合説・数故意犯説からは、生じた結果に応じた複数の故意犯が成立する。例えば、Aを殺そうとしてピストルを発射したところ、Aにあたり、弾が貫通して意外のB,Cにもあたり、ABCが全員死亡した場合、3つの殺人罪が成立する。もっとも、罪数的には、一個の行為から生じたものなので、観念的競合となる。これに対し、故意の個数を考慮しないのは妥当でない、一個の故意で複数の故意犯が成立するのは不当との批判が学説にはおおい。この批判は鋭く、日常的な常識感覚から説得力があり、数故意犯説が少数説となってしまった原因もここにある。しかし、反対説である一故意犯説はどの客体に一個の故意犯をみとめるのかの基準が不明確であり、具体的符合説は、客体の錯誤と方法の錯誤の区別の曖昧さがあり、全面的支持は難しい。
  そこで、数故意犯で故意犯の成立が無限に広がるおそれをどうしぼるか。折衷的客観的因果関係説や客観的帰属論によるしぼりもありうるが、以下の考えもありえよう。
  すなわち、方法の錯誤が結果的加重犯と類似の構造をもつことから、生命・身体の法益に関する結果的加重犯との均衡を考慮し、殺人罪・傷害罪・傷害致死罪等の構成要件の規範は抽象化され(この限度で故意の構成要件関連性は修正ないし拡張する)、傷害・死亡の結果が生じた限度で法定的符合説・数故意犯説を適用すると解することである。いわば、傷害死亡結果限定説(結果的加重犯類似説)。この見解によれば、上記の併発事例は、全員死亡すれば3つの殺人罪、Aについて傷害、傷害不発生でも殺人未遂、BCについて傷害が生じればBCについて殺人未遂だが、傷害不発生の場合はBCには殺人未遂は成立しない。※4
判例は「人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかった人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるもの」としており、傷害・死亡結果が生じなかった場合には殺人の故意をみとめるかどうかは触れていないのであり、上記、傷害死亡結果限定説と矛盾しない。
 なお、方法の錯誤における法定的符合説のメリットとして、客体Bに対する未必の故意の立証ができない場合、同説の適用による故意の認定を可能にすることがいえよう(ちなみに数故意犯は、故意を擬制するのではなく、故意を法定の構成要件レベルまで抽象化し、Aの認識という心理的事実を「およそ人を殺す意思」という評価を通じてBに対する故意としても扱うものと理解すべきである。つまり、Aに対する故意がなくなるわけではない。)。

※4 この私見は、旧刑法298条304条の誤殺傷規定の趣旨を特別規定と解し、その実質的趣旨を殺傷の結果的加重犯規定との類似・均衡に求め、現行刑法でもその実質を考慮しかつ旧誤殺傷規定の限度で法定的符合説・数故意犯説を採用するものである。

6 適用範囲については、法定的符合説は、具体的事実の錯誤、抽象的事実の錯誤について適用されるが、抽象的事実の錯誤についても客体の錯誤と方法の錯誤があることに注意しなければならない。抽象的事実の錯誤や因果関係の錯誤については固有の問題があるので、別の機会に論じる。
  上記傷害死亡結果限定説では、傷害死亡結果が生じない場合、法定的符合説ではなく、具体的符合説を適用する二元説が考えられよう。(なお、逆に生命等の重要な法益については具体的符合説、器物損壊等の法益については法定的符合説という見解もある。)。


7 法定的符合説についての批判は、故意の個数の問題についての処理や故意犯成立が広すぎるとの批判につきる。ドイツの通説である具体的符合説の支持者が多くなっているのも理由があるのであるが(実はこの見解でも故意の個数の問題は生じる)、客体の錯誤と方法の錯誤で区別する理論的根拠、基準がどうにもすっきりと理解できない(多くの文献がでているが…)。上記考えは結局折衷説であり、いかにも便宜的な思考なので、理論的一貫性を欠くといわれても仕方ないが、今後もう少し熟考したいと思う。