判例評釈 「ビラ配りが風営法における「客引き」に当たらないとされた事例」その7
(評釈) おとり捜査の意義と適法性判断基準
1 おとり捜査の意義と適法性判断基準
おとり捜査(狭義)とは、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪を実行に出たところで現行犯逮捕等により、検挙するもの」である(最高裁平成16年7月12日決定刑集58・5・333)。それは、人を犯罪に誘い込むものであって、正義の実現を指向する司法の廉潔性に反するものとして、特別の必要性がない限り、許されないと解される(最高裁平成8年10月18日第3小法廷決定反対意見 判例集未搭載ジュリスト1291号192頁参照)。
具体的には、①直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、②通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難な場合(捜査手段の補充性・必要性)に、③機会があれば、犯罪を行う意思が疑われる者を対象に行われる場合に限って許される(最高裁平成16年7月12日決定参照)。
しかし、「犯罪の実行に出た」かどうかは、最終的に裁判所の判断で確定するものであり、実体法上の判断によって、捜査の違法性適法性が判断されることは、不合理である。たとえば、犯罪に誘惑しても対象者が何らかの事情で実行に及ばなかった、法益侵害の危険性がなかったなどの場合、対象者がたまたま犯罪実行しなかったゆえをもって、捜査手法が適法となるのは、奇妙である。重要なのは、捜査手法そのものであり、事後的客観的にみて犯罪の実行に及んでいなかったとしても、捜査官の主観として「犯罪の実行に出た」といえる場合、「犯罪の実行をさせようという目的」がある場合も、おとり捜査に含まれると解すべきである(いわば「広義のおとり捜査」)。すなわち、「実行に及ばせた」ことが重要なのではなく、捜査官ないし捜査協力者が「実行に及ぼうとさせる手法」自体が問題であるという認識である。
なるほど、実行におよべば、共犯の従属性から、おとり捜査自体、教唆ないし幇助の刑法上の違法性を具備し(刑法61条、62条)、原則捜査が違法であり、手続きの廉直性を害することは明白である(この意味で、本来、「おとり捜査」(狭義)は原則として違法であり、例外的に正当業務行為=適法な捜査行為と評価される場合に適法になると解すべきである。判例のように任意捜査として原則適法という考え、あるいは対象者の犯意の有無により適法性を判断する主観説(通説的見解)は、思考方法として疑問が残る。)。
しかし、たまたま対象者が実行に及ばなくても、捜査手法自体、「おとり」「わな」であることに変わりはなく、司法の廉潔性や捜査の公平性、適正は、対象者が実行におよんだ場合と同様に要求されるものであって、対象者が実行に及んだかどうかにかかわらず、刑事訴訟法上の捜査の違法性を評価すること自体、理論的に問題はない。実行に及ばない失敗したおとり捜査もおとり捜査に変わりはないのである。
よって、本件事案は「客引き」の実行に出たものではないが、警察の依頼を受けた捜査協力者が客を装って、被告人と意図的に接触し、自ら店の料金等を被告人に対して質問するなど関心をもったそぶりをみせ、もって「客引き」を誘引し、捜査官の主観としては「客引き」の「実行に出た」ものとして、逮捕検挙したものである以上、広義の「おとり捜査」にあたるものであるから、前記①②③の基準を準用し、捜査の違法性を判断すべきである。(そうでなければ、実行に及んだこと、犯意を有していたかどうかの実体判断を先行して、おとり捜査該当性を判断して手続き上の効果を論じることになってしまい、無罪も争う場合は、一部自白するに等しく、おとり捜査に実体法上の無罪という効果が判例上否定されている日本の実務では刑事弁護として主張しにくくなってしまう。もちろん、予備的抗弁としてのおとり捜査、公訴棄却の主張もありうるが…)
本件事案では、客引きにおいては、迷惑を被る「特定の客」がいるのであって、しかも路上で行われるものであるから、犯行の一般的な密行性、証拠の隠匿性があるものではなく、かつ実質直接の被害者が存在し、薬物犯罪との類似性は乏しい(①)。さらに具体的に捜査員らは犯行状況を現認できる状況にあったわけであるから、おとり捜査という手段以外の通常の張り込み捜査等の方法でも現行犯逮捕等が十分可能であったのであり、協力者に対し、捜査費から金員(しかもキャバクラの飲食費プラス協力報酬)を渡してまでも行わなければならない高度な必要性があるとは認めがたく、捜査手段の補充性・必要性も到底認められない(②)。また、被告人は「客引き」の前科前歴はないし、積極的な「客引き」を行おうとする意思もなかったのであるから、機会があれば客引きを行う意思があったとはいえない(③)。
よって、本件、おとり捜査は違法である。
この点、本判決は、理由を示さず、適法である旨述べるだけであり、本件捜査の問題性について何ら検討しない点は、不十分さを免れないものといえる。
なお、おとり捜査は、違法薬物の取引の検挙に実施されることが多く、判例等も薬物事犯のケースが多い。しかし、風営法違反の摘発にも客を装ったおとり捜査は、潜在的に多いことは、本件事例からも推測される。「客引き」等の軽微な事案は、たいてい略式裁判で罰金でおわり、通常裁判で争うことは少ない。本件はたまたま、被告人が正式裁判請求を行い、検察官の証拠開示により、捜査協力者の存在が明らかになったものであるが、氷山の一角なのかもしれない。
また、おとり捜査の危険性は、単に対象者が犯罪におとしいれられ検挙されるだけでなく、おとりをした捜査協力者も共犯として処罰される可能性があることである。テレビドラマや映画ならともかく、現実になされるおとり捜査は、人権上大きな問題をはらんでいることを広く意識されなければならない。
2 違法な捜査の効果
違法なおとり捜査の効果については、アメリカの判例にならい、犯意誘発型と機会提供型に分け、前者を違法、後者を適法とし、①前者について、実体法上被告人を無罪とする見解、手続き法上の効力として、②前者について公訴棄却とする見解、③個別の違法収集証拠の排除とする見解などがある。
古い判例は、①の被告人を無罪とする見解は排斥しているが、手続き法上の効力については明確でない。
本件において、弁護人は、④違法なおとり捜査の手続き上の効果(影響力)として、捜査協力者の証言の信用性がない旨、独自の見解を主張している。
すなわち、「捜査官からの報酬金の受け渡し、虚偽調書作成の迎合的態度、検察官調べの際の警察車両による送り迎え、元警官という人間関係、警官に関する不合理な証言拒否、捜査協力を複数回行っていること等を考慮すると、違法なおとり捜査の影響力は、捜査協力者への心裡に深く及んでおり、その影響力は公判廷の証言時まで継続している。例えば、検察官の尋問時においてすら、担当警察官以外の接触した警官について証言を拒否していることは、かかる証言含めて「捜査協力」の範疇だったと言わざるを得ない。そして、捜査協力の対価として報酬を捜査協力者が受領していること及びそれが返還された事実もうかがわれないことからして、おとり捜査(捜査協力)の影響力が公判証言時まで遮断された様子も認めがたい。したがって、公判廷での証言であっても、違法なおとり捜査の影響力、すなわち捜査協力者の捜査機関への「協力的態度」「迎合的傾向」は払しょくされていないというべきである。 よって、捜査協力者らの証言の信用性はない」とする(弁論要旨より。ただし、関係者の実名は削除)。
つまり、弁護人の主張は、おとり捜査の協力者の証言は違法なおとり捜査の影響力が及び信用性がないという理論的説明により、違法なおとり捜査の法的効果(手続き的効果)を導き出す独自の見解である(証拠能力の観点からは「法律的関連性」がないとの説明も可能であろう。)。
本判決は、違法なおとり捜査の影響力からではなく、他のファクターから捜査協力者の証言の信用性を否定しているので、かかる見解の当否については不明である。
なお、本件では、捜査協力者の虚偽の「客引き」行為態様の供述調書に基づいて通常逮捕がなされたことが、担当警察官の尋問から明らかになり、弁護人は逮捕の違法も指摘したが、この点についても本判決は何ら触れていない。逮捕も含めて捜査は適法とする趣旨ならば、やはり疑問が残る判決である。