書評 井田良著「変革の時代における理論刑法学」(2007年 慶應義塾大学出版会)
井田良教授の1990年代から2000年代前半までに発表された論文集である。
論文の表題は故・田宮裕著「変革のなかの刑事法」(2000年 有斐閣)と似ていて、刑事法マニアな読者はにやりとしてしまう。ともあれ、著者のドイツ刑法学の深い造詣、現代社会の認識、理論的緻密さが堪能できる論文集であり、理論刑法学の推進の大きな意欲を感じてもらいたい。
第1章「社会の変化と刑法」
現在の日本における厳罰化傾向つまり、刑罰積極主義に関する考察である。従来の学説の刑罰消極主義に対する評価、社会意識の変化、応報的厳罰主義、処罰の早期化(法益侵害原理からの離反)などするどい現状分析のもと、今後の刑法学に求められる展望が語られる。それは単なる刑罰消極主義から刑罰積極主義への短絡的移行ではなく、事後的応報的処罰による予防に対する事前的予防(それは刑罰の告知に限られない)の重視、法益保護原則の空洞化に変わる歯止めとしての憲法原則、比例原則による限定を提言するものである。学説対実務から学説・実務対社会(マスコミ、ポピュリズムに先導される世論?)という対立関係に移行という認識は、刑事事件の実務家としては非常に共感できるものである。
第2章 「最近における刑事立法の活性化とその評価」
最近のドイツにおける厳罰化立法の紹介であるが、同時に現在の日本の刑事立法動向の鏡像といってもよいかもしれない。とくに処罰の早期化(抽象的危険犯の処罰立法)、市民刑法から敵刑法(組織犯罪、テロリスト犯罪など一般社会との共存が不可能な存在に対する積極的刑罰介入)へのシフトへの傾向は、過度の秩序維持、社会防衛思想の復帰のようにみえる。ことはドイツだけの問題ではない警鐘の論文である。
第3章 「犯罪論と刑事法学の歩み 戦後50年の回顧と展望」
戦後50年の日本刑法学説史を団藤説対平野説という2大軸で俯瞰、分析した力作である。いまだ解決にいたっていない行為無価値論と結果無価値論の対立とその学説史的意義をコンパクトにかつ客観的に理解するにはおすすめの論文である。結果無価値論側からは、少し古いが、内藤謙教授の刑法講義総論(上)が詳しい。
もっとも井田教授としては、日本で最近評価されていない目的的行為論、ヴェルツェルの刑法学への再評価にウェイトがあるのかもしれないが…
第4章 「刑法と判例と学説 刑法判例の読み方」
井田教授版「判例とその読み方」である。判例の評価、その射程の考え方の具体例を併発事実の判例をとおしての解説。
第5章 「犯罪論をめぐる学説と実務 ドイツの状況を中心として」
ドイツにおける「刑法学の危機」「理論と実務の乖離」の分析である。その前提として、ドイツの刑法思考が存在論(目的的行為論・規範論的一般予防論)から機能主義(目的合理主義)へ移行していることのまとめがわかりやすい。そのうえで、現在ドイツにおいて、実務に影響をあたえるのは、抽象的な「大理論」ではなく、問題解決に役立つ具体的な「中規模理論」であると帰結する。ただし、どういった「中規模理論」が実務に影響をあたえているのかの指摘がないのは少し物足りない。平野説的にいえば、体系的思考と問題解決的思考で、実務に影響をあたえるのは、ドイツでも後者なのかもしれない。比較法的に考えると、壮大な「大理論」を犯罪論、刑法学で組み立てるのはドイツ法圏だけであり、グローバルな共通理解、概念構築のほうが重要なのかもしれない。
第6章 「刑事実体法分野における実務と学説」
刑法的思考方法とくに学説のそれと裁判実務との違い(ギャップ)を指摘しつつ、学説の演繹的思考、体系的思考、ドイツの判例の事実認識と日本の判例の事実認識の差異などを意識することの必要性を説き、刑法学の任務を語っていくが、最後の記述が今日、刑事にかかわる実務家、研究者が自覚しなければならない重要なパートであり、必読である(同著108頁から109頁)。同趣旨は井田良「変革の時代における刑事法学の在り方」http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=tits1996&cdvol=11&noissue=3&startpage=56&lang=ja&from=jnltoc
にも述べられている。
第7章 「いわゆる違法二元論をめぐる一考察」
通説とされる違法二元論(行為無価値論)の理論的再構成を図る論考である。一元的行為無価値論(主観的行為無価値論)への批判、従来の違法二元論の倫理主義、倫理違反との決別、規範論的功利主義(ルール功利主義)の提唱は、まさに結果無価値論に対抗軸を構築する新たな違法二元論ともいえる。
スリリングな理論展開であるが、規範論の把握、事前告知、行為規範による一般予防の強調は、論者の意図を超えて、目的である法益の保護から手段である抽象的な規範の防衛に傾斜しないか、法益保護目的と合理的関連性を有する行為規範は結局刑罰法規の具体化明確化を要求以上のことを盛り込むことはできないのではないか、過失犯や不真正不作為犯における注意義務、作為義務は事前告知できないのではないか、事実を知っているものに規範は向けられるにしても、単に事実認識しているだけでなくその行為を抑止する意識をもって初めて行為規範を順守できるのであるから、行為規範の強調は違法性の意識を必要とすることになるのではないかなど体系的な「大理論」上の疑問はなお残る。また、規範定立ないし適用の前にいかなる事実がその対象として確定されるか、規範の事実的基礎に何をみるか。客観的事実(法益侵害)か、主観的事実(故意)か、双方か。その関係は?ここで目的的行為論の存在論的方法論がいきるのか(先祖帰り?)。まだまだ違法二元論は完結した体系ではないのかもしれない。
第8章 「緊急避難の本質をめぐって」
攻撃的緊急避難と防御的緊急避難(転嫁型)の類型にわけ、法益衡量の基準を類型化する見解を展開する。また、いわゆる強要緊急避難についても若干の解釈をこころみる。結果無価値論側の論考である山口厚著「問題探求刑法総論」91頁以下(1998年有斐閣)と比較するとおもしろい。
第9章 「過失犯理論の現状とその評価」
危惧感説の再評価は興味深い。しかし、結果回避義務を相関的に理解するのにしても行為時のとりうる回避措置がどこまで可能なのか、結局事後的にとりえたはずだの評価になってしまうと結果責任とかわらない。たとえば、近時の東北大震災における津波の高さを予見ないし危惧し、防波堤を高く設定すべきだったとはいえないであろう。
なお、過失犯の実行行為と結果回避義務違反とを区別すべきとの指摘は鋭く重要である。許された危険行為かどうかは、結果回避義務の履行にかかるからである。
第10章 「薬害エイズ帝京大学病院事件第一審無罪判決について」
世間を騒がせた薬害事件について、権威的な元大学教授に対する過失致死が問われたが、結果予見可能性、回避義務違反を否定した判決の詳細な分析評価した判例評釈である。
第11章 「過失犯における「注意義務の標準」をめぐって」
いまだ解決されていない注意義務の基準論の論考である。一般人基準と行為者の具体的事情との関係、薬害エイズ無罪判決をベースに展開される。
第12章 「カール・ポパーの非決定論と刑事責任論」
最近は決定論、非決定論の論争ははやらないが、著者の哲学好きの傾向があらわれる逸品。団藤説にはまると必ずポパーを読みたくなるが、私もわけもわからずポパーを読んでいた時期がありました…
第13章 「量刑をめぐる最近の諸問題」
最近の厳罰化刑法改正を外観しつつ、量刑判断の枠組み、幅の理論といった従来の考えを紹介しつつ、実務の量刑相場論、裁判員における量刑への考察。
第14章 「併合罪と量刑 「新潟女性監禁事件」最高裁判決をめぐって」
最判平成15年7月10日の判例評釈である。実務的には法令の適用上の仕方をめぐる論点であり、マニアックながら、いままで学説が検討してこなかった分野での最高裁判例であり、併合罪における刑の加重、減軽の仕方の準則が明確化されたものである。