解題 「防衛の意思の考察」 | 刑事弁護人の憂鬱

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今回は、理屈の話で、特に故意と防衛の意思、積極的加害意思の判例理論の整合性について、考えてみただけであり、具体的なケースや判例事案の検討は捨象している。すでにそういったものは各種論文、判例解説等がでているので、同じことを繰り返してもおもしろくないので。ただ、判例事案の流れをみていくと、なるほど、これは理屈はともかく正当防衛は認めたくないと共感できるものと、認めないのは被告人に気の毒と思うケースもあったりする。理屈もあるようでいてなかったりするのが現実かもしれないが、なんとか苦肉の策でまとめられたのが、積極的加害意思なんでしょうね。
私見の結論は、誤想防衛が故意阻却事由と解することから出発し、積極的加害意思を急迫性と防衛の意思阻却事由に消化させて判例をなんとか理屈として成り立たせてみた。一種の思考実験であり、すでに学説上主張されていたものをまとめたものでしかない。材料がすでにあったので少し、料理してみましたというだけである。
ただ、防衛の意思を故意阻却事由とすると、故意の犯罪論体系上の地位は、主観的違法要素と位置づけるのが、理論的にはスマートなんでしょうね。そうすると、責任故意ではなく、違法故意という表現が正しいのかもしれませんが。この点は実務的にはどうでもよいです。ちなみに誤想防衛が違法故意を阻却することになると、誤想防衛は、故意違法が阻却され、過失違法が残るということになりますが、今の日本の通説の説明とは齟齬をきたしますね(日本の通説は、誤想防衛は違法性は阻却されず、責任故意が阻却され、過失責任が残るという説明になります。)。

少し思考実験をすると、結果無価値論的な防衛の意思不要説の立場からは、防衛の意思は責任故意阻却事由とし、積極的加害意思は、責任要素であり(過剰防衛の故意)、正当防衛の要件に関係しないということになるでしょうか。例外的に超過的主観的要素のみ主観的違法要素を肯定する見解からは、行為時前の準備段階での急迫性判断においては「積極的加害意思=過剰防衛の故意」も超過的主観的要素なので、判断要素にできそうですけど、「規範的急迫性概念」には拒否反応を示しそうですね。もっとも、防衛の意思不要説である平野博士の「急迫性が否定されるのは、おそらく、相手を挑発する行為あるいは攻撃を予想しながら相手に近づく行為が、相手の攻撃を利用してこれを傷つけようとしたとみられうる場合に限られるであろう。いわゆる「原因において違法な行為」の法理である。もっとも、もう少し広く、正当防衛の濫用とみられる場合はすでに急迫性がなくなるという考え方もありうる。なお検討を要する。」との指摘があるので、理論上の可能性は残されているとみるべきでしょうか(平野龍一「刑法総論Ⅱ235頁参照。)。

補足 最近では、結果無価値論から侵害回避義務を正面から違法阻却事由の一般原理の一つと理解する見解も既にあるようです(西田典之「刑法総論第2版」(弘文堂 2010年)134頁以下。急迫性すなわち侵害回避義務の判断要素として主観的事情も考慮してよいとする。しかし、そうなると防衛の意思不要説を維持する理論的必要性はないように思われる。ちなみに西田説は、平野博士と同様に防衛の意思不要説で偶然防衛未遂説をとっているが、偶然防衛で未遂の違法性が否定されるためには、結局「防衛の意思」が必要だといっているに等しいのであり、論者の意図はともあれ、既に客観的違法論を重視する結果無価値論の立場を実質的に放棄しているといってよいのではないでしょうか。)。また、最近の挑発防衛の事案における判例は、急迫性でも防衛の意思でもなく、「被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない」とし、総合判断として正当防衛を否定している(最決平成20・5・20参照)。積極的加害「意思」の有無、急迫性、防衛の意思といった形式的要件論の問題から、率直に規範的要件としての正当防衛制限ないし阻却事由の新たな類型化、基準を定立する方向に判例が踏み出したかのようにみえる。まだまだ判例理論は動きがあるということでしょうか。ただ、基準の明確化、単純化というのならば、立法による解決が罪刑法定主義の理念にそうのであり、裁判所の「自由な解釈」による「法創造」的正当防衛制限は、恣意的直感的解釈の批判を受けないよう慎重な検証が必要であろう。